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狭山丘陵寺社めぐり 51 円福寺  (瑞穂町箱根ヶ崎)

狭山丘陵寺社めぐり 51 円福寺

 箱根ヶ崎の大寺「円福寺」は、青梅街道と国道16号線の交差点の近くに建ち、青梅行き都バスの窓からよく見える寺院である。 青梅街道沿いに、やや小振りな山門(写真)が建っている。

円福寺山門

 山門をくぐると石段の上に、見上げるほどの大きな「仁王門」(写真)が建っている。仁王門内の両側に立つ大きな仁王像(金剛力士像)の形相が凄まじい。平成十二年、「円福寺開山四百年遠忌記念事業」として、鐘楼と一緒に仁王門が建てられことを記した説明板がある。 円福寺仁王門は、これまでに訪れた狭山丘陵の寺院では、最大級の門である。

円福寺仁王門

 境内に建つ大きな本堂(写真)は、とても風格のある建物で、明治時代以前に建てられた。以前は茅葺の屋根であったが、近年に現在の屋根に変えられたという。

円福寺本堂

 格子窓から覗いた本堂内部(写真)は、思ったほどにはきらびやかではなかった。

円福寺内部

 円福寺は天正十五年(1587)村山土佐守義光開基、梅室慶香和尚開山といわれる臨済宗建長寺派の古寺。岸地区の禅昌寺(35報)、殿ヶ谷地区の福正寺(41報)と同じく、立川市普済寺の末寺である。 福正寺の説明板に「九世梅室和尚円福寺を開く」と書かれていたので、円福寺は福正寺の末寺かと思い込んでいたが、福正寺と同格な寺院のように思える。 村山土佐守については、その墓のある福正寺(41報)で紹介済み。
 円福寺のご本尊は薬師如来である。病気平癒の功徳があると思われる。

 いつも引用させて頂くブロ友様の資料には「円福寺伝では元応元年(1319)創建を伝えます。武蔵名勝図絵は『円福寺 筥根ヶ崎村にあり。北小山と号す。鎌倉建長寺末なり。寺領十石。天正元年(1573)起立。開山梅室和尚。この寺は往古殿ヶ谷村にあり。阿豆佐美神社より南の田畠を旧地なりと云』の面白い縁起を伝えます」と書かれていて、円福寺は天正元年に殿ヶ谷村または石畑村(丸ケ谷戸)から、この地に移されたことが分る。

 寺内には室町時代末期頃の「紙本着色観心十界図」が所蔵されており、毎年2月15日の涅槃会で展観している。この図は仏教の世界を一般の人にも分かりやすく説明したもので、日本では13点残されている貴重なもののひとつである。
 
 仁王門の左に建つのが「如意輪堂」(写真) 堂内に物思いにふける姿の魅力的な「如意輪観音菩薩像」(写真)が鎮座している。これまで何度か紹介した如意輪観音菩薩の「如意」は、人々の願いを意のままに叶えることを指し「輪」は車輪が転がるように仏の教えを広めることを指す。

円福寺如意輪堂

円福寺如意輪像

 仁王門の右に建つ「鐘楼」(写真)は、仁王門と同時に建立されたもの。

円福寺鐘楼

 墓地入口に並ぶ「六地蔵」(写真)は、これまで沢山見てきた中ではもっとも風格の漂う六地蔵であった。
円福寺六地蔵

 本堂後の丘陵の広大な墓地に入る。墓地の最上部に「円福寺歴代住職の墓」(写真)があり、中央右の墓は「開山 梅室慶香禅師 天正十五年卒」 そして現在は「廿世了山悟堂和尚」であることが分る。20(廿)世、400年の歴史が刻まれた由緒ある墓所である。

円福寺歴代墓

 山門と青梅街道を挟んだ、道路の反対側の墓地に「名主 村山家の墓」(写真)がある。 説明板に「村山家は、箱根ヶ崎村の名主や尾張侯の鷹狩案内役を勤めた旧家である」と書かれている。 村山家は、円福寺の開基・村山土佐守の子孫であるともいわれている。
 名主の墓が、民家の窓に近接しすぎているのが頂けない。それは瑞穂町が東京の通勤圏にのみ込まれている姿を反映しているようだ。
更に昔この辺りが尾張家の鷹狩場であったとすると、前報「筥が池弁財天」で説明したように、江戸時代はこの辺りが、鷹狩に都合のよい芝地であったことが理解できる。

円福寺名主墓

 最後に、円福寺では毎年1月には「だるま市」が、6月には「ほおずき市」が開催されてにぎわいを見せていることを紹介しておく。
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