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寺社めぐり 2 総持寺・川崎大師

寺社めぐり 2 総持寺

 趣味の寺社めぐりが4年目にして、ついに2000社目を迎えることになった。1000社目は福岡県の香椎宮だったので、2000社目もそれに相応しい寺社を関東地区で物色した結果「総持寺」に決めた。東京や鎌倉の有名寺社はほぼ参拝済だったので、初参拝となる寺社を探した結果、曹洞宗の大本山である総持寺とした。
 バスで立川駅に行き、JR南武線で川崎駅に出て、JR京浜東北線の鶴見駅に着いた。初めて下車した鶴見駅から、JR線に沿って横浜駅方面に10分歩くと、総持寺の入口に到着。 入口から100 m参道を歩くと山門(写真)があり、ここから総持寺の境内となる。

     総持寺山門

 山門から緩やかな坂道を更に100 m 歩くと、1969年建立の豪壮な「三門」(写真)がある。禅宗(臨済宗、曹洞宗)では、山門の他に「三解脱門」(欲望、怒り、愚かさの三つの煩悩が抜け出す門)といい、略して「三門」と称す。 三門近くの大きな建物は「三松閣」(写真)という、1990年竣工の研修道場。

     総持寺三門

     総持寺三松閣

 三門を潜ると、寺域は右手に大きく広がり、その奥に建つのが「大祖堂」(写真) 1965年竣工の高さ36m 、内部は千畳敷きの大建築。本山開祖・大祖宝山禅師と高祖道元禅師を祀る霊場である。 1321年曹洞宗4世の瑩山紹瑾が、能登国櫛比庄(石川県輪島市)の「諸嶽観音堂」を「諸嶽山総持寺」と改名したのが総持寺の始まり。翌年後醍醐天皇より「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨を受けて官寺、大本山となり、曹洞宗を公称する。1615年、徳川幕府より法度が出され、永平寺と並んで総持寺も曹洞宗の大本山となる。そして1911年、石川県から現在地に寺院が移転した。即ち102年前にこの地に建てられた、比較的に新しい寺院である。
 太祖堂ではお線香を焚いて、家族の平穏息災を祈る。静かで広い内部は荘厳な雰囲気に包まれていた。

     総持寺大祖堂

 大祖堂の左手には1915年竣工の、黒々とした「仏殿」(写真)が建ち、内部にご本尊、釈迦如来像が安置されている。大本山永平寺のご本尊が、釈迦如来・弥勒菩薩・阿弥陀如来であるから、曹洞宗のご本尊は釈迦如来が主体と考えてよい。 曹洞宗の教えは「即心是仏」ひたすら坐禅に生き、自分のなかの仏性を見いだし、この姿こそが仏であると信じること、と説いている。 曹洞宗の寺院数、15.000。信者数158万人といわれ、同じ禅宗である臨済宗の寺社数5700。信者数100万人よりは多い。 私は20年前に福井県の永平寺を訪ねたが、境内が厳しい禅の空気が張りつめていたように感じた。

     総持寺仏殿

 仏殿から引き返す時に、境内を横切る長い渡り廊下を越える。その渡り廊下の内部(写真)に、永平寺の回廊の姿が重なり、20年前の永平寺の一部を思い出させてくれた。

     総持寺回廊

 最後に隣接する墓地を訪ねる。「裕ちゃんの墓」の掲示に従って歩くと「石原裕次郎」の墓に着いた。若くして惜しまれて亡くなった裕次郎は、私の青春時代の大スターであった。お墓はきれいな生花で埋まっている(写真) この花束は裕ちゃんのファンや渡哲也などの「石原軍団」の連中によるものと推定したが、美しいものをこよなく愛した裕次郎の生前からの希望だったに違いない。現在の兄、慎太郎氏の行動を見ていると、墓の中の裕次郎氏の苦渋が見えるようである。

     総持寺裕次郎墓


 2000社目の総持寺の次の、2001社目は「川崎大師」に決めた。 川崎駅からバスで30分、バス停大師で下車すると「表参道、大師、厄除門」(写真)が建っている。表参道には沢山の商店が並び参拝客も非常に多い(写真)。今日は祝日(建国の日)なので人が多いのだろう。長い参道は「コの字型」となり、長方形の三辺を歩いて、ようやくお大師様の前に来る迷路のようである。参拝客目当ての商店街の逞しい商魂を垣間見た。

     大師厄除門

     大師参道

 「大山門」(写真)を潜って境内に入る。この大山門は開創850年記念事業として、1977年に落慶した。門を守る金剛力士像は、京都東寺の四天王像を模刻したもので、4人の力士像が立ち並んでいるのは珍しい。

     大師大山門

 大山門の正面には「大本堂」(写真)が建ち、内部にご本尊厄除弘法大師が祭られている。1964年に落慶された建物で、勅願寺(皇室が祈願される寺)として大本堂大棟には菊花の紋章が許されている。 本堂でお祈りをした時に、本堂内部に大勢の人々が入り込、僧侶たちの勤行を取り囲んでいるのを見つけた。寺院の人に尋ねると「1.5時間毎に希望する参拝者を内部に入れる。次は1時間後の14時30分に入場可能」と分る。1時間は待てないので、僧侶の勤行の様子を撮って(写真)大本堂を出る。 

     大師大本堂

     大師勤行

 この川崎大師は通称であって、正式な寺院名は「金剛山 金乗院 平間寺」真言宗智山派の大本山で、高尾山薬王院、成田山新勝寺とともに関東大本山のひとつ。880年前この地に住みついた平間兼乗という武士が、夢まくらに立った高僧のお告げにしたがい、海中から一体の木像を引き揚げた。それが尊い弘法大師の像だったので、1128年この地に平間寺を建立したのが、今日の川崎大師のおこり。 真言宗の大本山は高野山金剛峰寺であるが、主流である古義真言宗から袂を別ったのが新義真言宗。その新義真言宗が豊山派と智山派に別れ、智山派の大本山は京都府智積院。その地積院の下に属する大本山の一つが川崎大師となる大本山の三重構造は、複雑で分り難い。 我が東大和市には雲性寺など真言宗豊山派の寺院が多いのだけど、川崎市には智山派が好まれるらしい。 40年くらい前に、川崎市の会社に出張した折に、川崎大師を訪れた記憶がある。但し覚えているのは沢山の店の並ぶ参道だけで、肝心の寺院については残念ながら全く記憶していないので、今回は初めての参拝といってよい。
 
境内を歩くと、先ず目に付くのが「中興塔」(写真)と呼ばれる八角の五重塔。1984年建立と新しく、上部には上れない。しかも工事中のため全体が網で包まれているのが物足りない。川崎大師の建物が、全て1964年以降の建立であたらしいのは、太平洋戦争で全ての建物が焼失してしまったため。 4つある境内社の内「不動堂」には、成田山新勝寺の本尊、不動明王が勧請されている。

     大師中興塔

 川崎大師を後にして、再び参道を引き返す。毎年正月には300万人に近い初詣客で賑わうといわれる参道はとても狭く、初詣時は殺人的な混雑が想像される。それでも多くの初詣客が押し寄せるのは、ご利益が「厄除け」なので、特に厄年の人々には大事な初詣なのだろう。

 かくして2000社記念の総持寺と、2001社目の川崎大師の参拝を終えた。総持寺は大寺ではあったが、よい寺というには今一歩。川崎大師は信仰の寺というよりは、商売上手な寺のように思えた。 さてこれから3000社を新たな目標に寺社めぐりを再開することになるが、近郊の寺社は参拝しつくしたので、数を重ねるのは難しくなりそう。従ってこれからは1社1社を丁寧にめぐるように心がけたい。そして心に染み入るようなよい寺社に巡り合いたいものである。


 
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川崎大師

1991年夏から1998年末まで、途中の2年を除き、川崎に勤務していました。川崎大師には年の初めに職場の仲間とよく詣でました。次はいよいよ3000社目を目指してですね。それにしても2000社とは凄い!
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