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狭山丘陵寺社めぐり 49 狭山神社  (瑞穂町箱根ヶ崎)

狭山丘陵寺社めぐり 49 狭山神社

 今年の初めに「狭山丘陵の寺社めぐり」を目指して、我が家から時計回りにスタートし、「狭山観音霊場めぐり地図」(写真)の赤丸、即ち狭山丘陵の西端にあたる「狭山神社」に到着した。既にめぐり終えた観音堂八か所を、緑丸で示しておく。 狭山丘陵の全寺社めぐりのゴールまでには、更に100社以上の寺社に参拝が必要と思われる。

狭山神社地図107

 狭山神社の山麓に国道16号線があり、狭山丘陵の中で唯一国道16号線の西側の丘陵の頂上に、狭山神社が建っている。 明神系の一の鳥居(写真)の傍の説明板には「御祭神 伊邪那岐尊(イザナギノミコト)伊邪那美尊(イザナミノミコト)泉津事解男命 箱根大神 木花咲耶姫命 大山衹命 巌永姫命  由緒 創建年代不詳 箱根大神は永承年間(1046~53)源義家の奥州征伐の折、筥の池(狭山池)辺に陣営、箱根権現の霊夢に感じ、当地に勧請、凱旋の時に奉賽したと謂われる。木花咲耶姫命他二柱は源頼朝の関東五百社勧請の一社と思われる。主祭神の伊邪那岐、伊邪那美二神と泉津事解男命はそれ以前の奉斎と思われる。幕末と明治の火災の後、昭和二十六年拝殿幣殿完成」と書かれている。
狭山神社一鳥居

 一の鳥居をくぐると、神明系の二の鳥居(写真)が立っているので、鳥居からみた系列別の神様が合祀されていることが分る。

狭山神社二鳥居

 狭山丘陵にかかる石段を上った中腹の平地に、美しい燈籠と赤いトタンの屋根付の三の鳥居(写真)があり、古い歴史を感じさせる。

狭山神社三鳥居

 急勾配の石段を上りつめた狭山丘陵の頂きに、美しい狭山神社の拝殿(写真)が建っている。昭和26年という終戦後の混乱期に建てられたとは思えない、優美な拝殿・幣殿である。

狭山神社拝殿

 本殿はよく見えないが、木々の間に見える屋根(写真)の上には、天に向かう鋭い千木や横とう堅魚木が見渡せ、伊勢神宮や出雲大社に似た神々しさが感じられる。この本殿が建立された時期は、拝殿・幣殿よりも古いが、年代は不明とのこと。

狭山神社本殿

 主祭神のイザナギ尊、イザナミ尊は、神話のなかに一番最初に出てくる夫婦神である。そこから、夫婦婚姻のはじめとか結婚の神などといわれる。また、結婚して数々の国土を誕生させる「国生み」や、多くの自然神や文化神を誕生させる「神生み」を行ったことから、国堅めの神、生命の祖神などともされている。
 イザナギ尊・イザナミ尊の二神が鎮座するのが滋賀県の多賀神社であり、全国の多賀系の神社、233社の総本社。関東の多賀信仰の神社としては、秩父の三峰神社がある。
 主祭神の一人泉津事解男命は、イザナミ尊亡きあとにイザナギ尊から生まれた神様で、事解の神名から事態を収拾させる神といわれるが、どうもよく分らない。同じイザナギ尊から生まれた兄が、熊野速玉大社の祭神である熊野速玉男神といわれたり、兄弟は同一神といわれることもある。 「八百万の神」と呼ばれるくらいに、日本の神様の数は多いので、個々の神様について説明が十分できないのが残念である。

 社殿の左右に4つの境内社が並んでいる。 左端に建つのが「権現山稲荷社」(写真) 境内社として稲荷社は何度も紹介しているので、説明を省く。「権現山」は、説明板にある箱根権現のことらしい。

狭山神社稲荷

 社殿の左脇に建つのが「機神社」(写真) この「機神社」は「機織り」のことで、武蔵村山市の「大島紬」の神社として建てられたとのこと。

狭山神社機

 社殿の右には「金刀比羅宮神社」と「高尾神社」の小社(写真)が並んで建っている。 「金刀比羅宮(ことひらぐう)」は、四国・香川県・琴平町に建つ「讃岐のこんぴらさん」であり、通常「金毘羅さま」と呼ばれて親しまれている。祭神である金毘羅神は航海の神、船の神であり、海辺に祀られていたが、農業守護や雨乞いの神として内陸部でも祀られるようになり、金毘羅神の神社は全国に683社もあるという。 「高尾神社」は神社の裏側の人々が建てたもので、由来は不明。高尾山(薬王院)とは関係がないらしい。広島県呉市に高尾神社が存在するが、そのような遠方の神社を祀るのも考えにくい。

狭山神社金刀

 最後に「狭山丘陵の成り立ち」について、歴史講座などで学んだことを紹介する。 狭山丘陵周辺の武蔵野の大地は、太古は海底であった。そこに多摩川が奥多摩の土砂を堆積させながら、埼玉県南部と東京都に渡る広い流域を、川筋を変えながら流れ込んでいた。その多摩川の広大な流域の中にできた三角州に、火山灰が降り積もって形成されたのが「狭山丘陵」。その三角州、即ち狭山丘陵の上流部先端が、この狭山神社辺りではないかというのが私の推定。少々乱暴な「狭山丘陵の成り立ち説」であるので、ご批判・ご意見を頂きたいと思う。
 狭山丘陵西端の地に到着した喜びをかみしめながら、狭山神社を後にした。
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