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寺社めぐり 14 島根県益田市

寺社めぐり 14 島根県益田市

 高校同期会に参加し、出雲市、石見銀山、津和野町の寺社めぐりをしてきたが、最後に私の生まれ故郷の益田市の寺社を紹介する。

1 医光寺

益田七尾城主、益田宗兼が建立。総門(写真)は益田七尾城の大手門だったが、関ヶ原の合戦後、医光寺に移築されたもの。がっしりした門構えは、寺院の門としては特異な存在である。
 
益田医光寺門
 
 医光寺(写真)は臨済宗東福寺派の寺院で、本尊は薬師如来。「医」「薬師」から推定すると、病気の治癒にご利益のある寺院なのであろう。

益田医光寺

 医光寺で有名なのが「雪舟庭園」(写真)

益田医光寺庭

 説明書には「画聖雪舟作、池泉観賞式庭園。 雪舟は文明十一年(1479)、益田氏第十五代当主益田兼尭に招かれ、画業の傍ら作庭したと言われている。(中略) 当庭園は万福寺庭園(市内)、常栄寺庭園(山口県)、旧亀石坊庭園(福岡県)とともに『雪舟四大庭園』と言われている」と書かれている。
 子供の頃から何度も見てきた庭園であるが、いつ見ても心落ち着くよい庭である。
 「雪舟」についての説明書には「室町時代の禅僧、画僧(1420~1506)。備中国(岡山県)に生まれ、幼時、宝福寺(寺社めぐり 7 総社市 参照)で涙のネズミを描いた話は有名です。応仁元年(1467)志を得て遣明船に乗り、明国(寧波、北京)に行きました。帰国後、文明十年(1478)には益田を訪問して、万福寺とともに当寺の庭に山水庭を築きました。晩年益田を訪問し、この地で87歳の生涯を終えました」と書かれている。

2 万福寺

医光寺の近くの益田川沿いに「万福寺」(写真)が建っている。

益田万福寺

万福寺にも「雪舟庭園」(写真)がある。

益田万福寺庭

「万福寺庭園」の説明書には「雪舟禅師によって作られた寺院様式の庭園である。須弥山世界(仏教の世界観)を象徴した石庭で、曼茶羅(悟りの境地を表現したもの)さえ連想される。雪舟の墨絵に似通う趣も感じられる」と書かれている。
昔から両庭園を見てきたが、医光寺庭園には「枯」を感じ、万福寺庭園には「華」を感じていた。

「万福寺」の説明書には「応安七年(1374)、15代城主・益田越中守兼見により建立され、益田家の菩提寺と定められました。(雪舟庭が作られたのは、医光寺と同時期) また、慶応二年(1866)第二次長州征伐・益田口戦争の際、当山は幕府軍の陣営となり、兵火のため総門は焼失しましたが、幸いに本堂・庫裏は類を及ぼすことなく、現在に至っています」と書かれている。 
 幕末の頃、益田は幕府方の「松平浜田藩」であったため、大村益次郎率いる長州藩と闘い激戦の末に敗れ、大村長州軍はその後さしたる抵抗もなく江戸に侵攻したと、子供の頃から聞かされていた。

3 柿本神社

私の生家の傍にあり、少年時代の遊び場だったのが「柿本神社」。 懐かしい鳥居と石段(写真)が見えてきた。子供の頃は「すごく高い石段」と記憶していたが、この歳に至るとそれほどの高さを感じないのが不思議。
益田柿本石段

 石段の中程には、昔からの大きな楼門(写真)が見える。昔、急な階段を上ると、二階には百人一首のような宮廷男女の絵が、沢山掲げられていたが、今はどのようになっているのだろうか?

益田柿本楼門

 石段を上りきって拝殿(写真)に出る。ここで結婚式を挙げるのが、この地の慣わしであった。

益田柿本拝殿

 社殿を横から眺めると、拝殿に続く幣殿と形のよい本殿(写真)が見える。そのスケールは益田市の第1等神社であることを物語っている。

益田柿本本殿

 説明板には「柿本神社の祭神は柿本人磨で、その起源は人磨の終焉地鴨島に勅命により建立された社殿といわれています。 鴨島は万寿三年(1026)の大地震により海中に没しましたが、その時に人麿像が松崎に漂着したので、現在地より北の松崎の地に社殿が再建されました。その後、近世に入り慶長十三年(1806)に徳川秀忠の命により、石見銀山奉行大久保長安によって造営され、寛文十一年(1671)には津和野藩主亀井茲政によって宝殿、拝殿、楼門が修理されました。 そして、延宝九年(1681)に茲政は風波を避けて神社を現在地の高津城跡に移転しました」と書かれている。
 宮廷歌人として活躍した歌聖・柿本人麿は、罪をえて石見国に流刑され、その終焉の地は、明治時代までは益田市鴨島と決まっていた。ところが明治の歌人、齋籐茂吉が島根県にやって来て、人麿終焉の地を江の川上流の湯泡鴨山と発表した。茂吉説には梅原猛夫氏の反論があるものの、爾来人麿終焉の地がややあいまいとなってきた。茂吉の人麿の石見国で作った和歌からの推定よりは、私は昔からの伝承による益田市沖の、鴨島終焉の地説を支持したい。

 画聖・雪舟の終焉の地も、益田市の「大喜庵」(写真)とされている。しかし雪舟には謎が多いのが懸念材料。それでも雪舟が修行した中国の寧波市が、益田市の姉妹都市となったのは、寧波市が雪舟・益田市を高く評価してくれたものと思う。

益田大喜庵

 高校の校歌は「歌の聖と絵の聖 二人眠れるこのさとは」から始まる。私の高校在学中に来校した作家・佐藤春夫氏が作詞したもの。 柿本人麿と雪舟は、私には永遠に忘れられない故郷の聖である。 
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