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寺社めぐり 13 島根県津和野町

寺社めぐり 13 島根県津和野町

 高校同期会の翌朝、益田駅から津和野駅行きのバスに乗り込む。今夏の島根・山口県境の集中豪雨のため、JR山口線が未だ不通のため、JR代行バスで津和野町に向かう。 津和野町は「山陰の小京都」と呼ばれる美しい町で、明治の文豪・森鴎外生誕の地としても有名。津和野は何度も訪れた町であるが、今回は初めての寺社めぐりが目的。
 清流、高津川・津和野川を遡り、バスは1時間後に津和野駅に到着。駅でもらった観光地図をたよりに、津和野川左岸を遡りながらの寺社めぐりをスタート。

1 亀井家墓所

 最初に訪れたのが、永太院という寺院の裏山にある「亀井家墓所」 荒れた山道を上ったところに平らな墓地があり、大きな墓石が立ち並んでいる。(写真)

津和野亀井墓1

 墓所の入口の説明板には「四萬参千石の津和野藩主亀井家歴代の墓所で、大正十五年に東京にあった墓碑をすべてここに移した。 門の右手の奥にある碇石でできた墓が初代藩主政矩公の墓(写真)で、元寇の蒙古軍船の碇石(いかりいし)と伝えられる」と書かれている。

津和野亀井墓2

 墓所は整然としているが、参道の坂道はとても荒れている。 現在の亀井家の当主の三男が、島根県選出の元代議士、元国民新党の亀井久興氏。「政治も大切であろうが、先祖の墓所にも少し目を向けてほしい」とお願いしたい気分だった。

2 永明寺

 亀井家墓所の近くに、津和野町の大寺「永明寺」(写真)がある。

津和野永明寺

 説明板には「この寺は応永二十七年(1420)に津和野城主吉見頼弘公が創建せられた。 爾来吉見氏十二代、坂崎出羽守一代、亀井氏十二代の歴代城主の菩提寺。 覚皇山と号する曹洞宗の修行道場として昔は栄えた」と書かれている。
 境内の墓地には、明治の文豪「森鴎外の墓」(写真)がある。遺言状に「余は石見人森林太郎として死せんと欲す。墓は森林太郎墓の外一字もなる可らす」と書かれた通り、本名森林太郎が刻まれたシンプルな墓碑であった。 幼い時に上京して作家として成功した鴎外が、生涯「石見人」の気概を持って生きていたことに、同じ石見人として熱い感動を覚えた。

津和野鴎外墓

 墓所には「坂崎出羽守の墓」もあったのだけど、失念して見損なった。 大阪夏の陣のとき、出羽守は炎の中から家康の孫千姫を救いだすが、姫を嫁にやるという約束をうらぎられ、やがて自刃する羽目になった悲将である。 次の津和野訪問時には、必ず訪れたいものである。

3 太鼓谷稲荷神社

 津和野町でもっとも有名な神社「太鼓谷稲荷神社」に向かう。津和野川沿いにある神社のつづらおりの参道は、赤い鳥居でぎっしり埋まり、JR山口線の列車の車窓からもよく見える名所。 先ず一の鳥居と二の鳥居(写真)をくぐる。

津和野稲荷一鳥居

 次の鳥居からはおびただしい赤い鳥居のトンネル(写真)が、頂上まで続くのは圧巻である。

津和野稲荷トンネル

 頂上の華やかな社殿は、日本五大稲荷のひとつと数えられる「太鼓谷稲荷神社」(写真) 津和野藩主七代亀井矩貞が安永二年4(1773)に、京都の伏見稲荷大社から勧請した。現在の豪華な社殿は昭和四十四年に再建されたもので、当時は私が島根県を去った12年後の高度経済成長の黎明期であった。 太鼓谷は地名で、津和野城の鬼門にあたる場所。

津和野稲荷社殿

 駐車場から津和野町が展望(写真)できる。津和野川に沿った狭い城下町で、右手の山上に津和野城跡の石垣が残っている。 今夏の集中豪雨で津和野川が決壊し、この地に大被害をもたらしている。
津和野稲荷展望

4 鷲原八幡宮

 津和野川沿いに北上した町外れにあるのが「鷲原八幡宮」 朱色の大きな楼門(写真)が目立つ。 説明板には「初代津和野藩主吉見頼行公が、鎌倉鶴ヶ丘八幡宮から弘安五年(1282)に勧請した。社殿がこの地に移されたのが嘉慶元年(1387) 爾来津和野城の守護神として吉見、坂崎、亀井の歴代藩主に崇敬された。

津和野八幡楼門

 大きな楼門の後ろに、拝殿、幣殿、本殿と並んでいる(写真)のが、横から見るとよく分る。

津和野八幡全景

 鷲原八幡宮の最大の見どころが、社殿前の広大な「流鏑馬馬場」(写真) 説明文には「この流鏑馬馬場は、永禄十一年(1566)吉見氏により、鶴ヶ丘八幡宮の馬場に倣って造られた。南北の長さ251 m、中央部の幅27 mの長方形となっている。当時の馬場の遺構がそのまま残っている、日本でも唯一のものである」と書かれている。 

津和野八幡馬場

 この流鏑馬馬場は、素人の私が見ても歴史的価値が分る見事な史跡。 狭い通路で繰り広げられる、鎌倉鶴ヶ丘八幡宮の流鏑馬行事を、この広い流鏑馬馬場に移すことができないものかと、暫しの夢を楽しんだ。 なお、この馬場では毎年4月の第二日曜日に、流鏑馬神事が行われている。

5 津和野町紹介

・ 森鴎外旧居(写真)

 明治の文豪森鴎外が明治五年に十才で上京するまで過ごした家。その当時の様子は作品「イタ、セクスアリス」の中にも描かれている。

津和野鴎外

・ 西周(にしあまね)旧宅(写真)

明治の啓蒙思想家、西周が4歳から25歳までを過ごした屋敷。 この地方の小規模な武家屋敷の構えをよくとどめている。 現在我々が使う「化学」「哲学」「心理学」は、西周の訳語である。

津和野西周

・ 家老多胡家表門(写真)

 多胡家は、津和野藩の筆頭家老職。 この門は構造、意匠とも簡素な造りであるが、威厳のある江戸時代中期の武家屋敷門の建築様式を今によく伝えている。

津和野多胡

 古い町並みの溝には清流がながれ、色とりどりの鯉が群れる「山陰の小京都」と呼ばれるに相応しい、津和野の城下町を紹介。
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津和野

今回も丁寧な取材記事。津和野に行ってもなかなか足を運べないところの情報です。石見人という言葉があるんですね。Junpei
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