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寺社めぐり 12 石見銀山

寺社めぐり 12 石見銀山

 JR出雲市駅を発ち、8時過ぎに石見大田駅に着く。駅前から「石見銀山行き」のバスに乗り込む。今夜の高校同期会の前に、島根県の寺社めぐり第2弾として、今日は「石見銀山寺社めぐり」である。 石見銀山観光は3度目。世界遺産登録前と登録後に観光している。今回は銀山観光は省いて、銀山のある大森町の寺社めぐりに徹することにする。

1 羅漢寺

「羅漢寺前バス停」で下車すると、小川に面して建つ「羅漢寺」(写真)の前に出る。正式名は「石室山無量寿院羅漢寺」と称し、石窟五百羅漢を造営して銀山で亡くなった人々の霊を供養するために、明治元年(1764)に建立された、高野山真言宗の寺院。

銀山羅漢寺

 五百羅漢は、小川の反対側の崖に造られた、三つの石窟(写真、石窟の一つ)の中にある。この五百羅漢は、これまで2度も拝観したので、今回は拝観を省略。 五百羅漢は仏に付き従った500人の弟子たちの像で、東京では川越の喜多院や目黒の羅漢寺で拝観することができる。

銀山羅漢

2 佐毘売山神社

大森の町を川沿いに遡り、町外れの有名な銀山坑道「龍源寺間歩」の近くに建つのが「佐
毘売山神社」 参道の鳥居をくぐると、山の急斜面に長い石段(写真)が見える。

銀山佐毘石段

 100段の崩れかかった石段を上ると、大岩の上に建つ大きな拝殿(写真)が見える。運悪く逆光となっているので、重厚な拝殿が見え難いのが惜しい。

銀山佐毘神社

 説明板には「この祭神は、鉱山の守り神である金山彦神で、別名では『山神社』といい、鉱夫や村人からは『山神さん』と呼ばれ親しまれていました。 永享六年(1434)室町幕府の命によって周防国(山口県)守護大内氏が現在の島根県益田市から分霊を移し祀ったとも伝えられており、戦国時代には銀山を領有した大内氏、尼子氏、毛利氏などに崇敬され、江戸時代には幕府の初代石見銀山奉行として赴任した大久保石見守長安などに手厚く保護され、毎年正月十日には銀山の繁栄を祈願しました。 社殿は文政元年(1818)の大火で消失しましたが、翌年には代官所の援助を得て本殿、幣殿、拝殿、神楽殿などが再建され、特に拝殿の重層屋根は天領特有なものとされています」と書かれている。
 これによると、石見銀山は室町時代から採鉱が始まり、その後中国地方の有力大名の争奪の場となった後、徳川幕府の天領となり、有名な大久保長安が銅山奉行の時に最盛期を迎えたことが伺われる。 更にこの神社が、私の故郷である益田市の比礼振山の山頂に建つ「佐毘売山神社」から分祀されたことを知る。今回同期会が開催される高校の東6 kmにそびえる比礼振山は、少年時代には毎日見てきた山であり、その山の神社の分霊が銀山にあるとは興味深い。 
 金山彦命は鉱山の神であり、古代日本の製鉄の中心地であった中国地方に多いのはよく分るが、故郷・益田市に鉱山があったとは聞いたことがない。故郷の比礼振山に佐毘売山神社が建っていた背景を解明したいものである。

3 観世音寺

銀山のある大森の町の真ん中に岩山(写真)があり、岩盤を刻んだ石段の上に朱色の山
門が見える。岩盤に刻まれた仏像もあり、大森町のランドマークのような岩山である。
銀山観世音山

 石段を上り、朱色の山門をくぐると、岩上の平地に建っているのが「観世音寺」(写真) 江戸時代には大森代官所が、銀山隆盛を祈願するための祈願寺だった。寛政十二年(1800)の大火で観世音寺が全焼したため、創建年は不詳となったが、現在の本堂や山門は万延元年(1860)に再建されたもの。
銀山観世音寺

 宝暦年間(1751~63)に観世音寺の住職であった月海浄印が、銀山で亡くなった人々の供養のため、前述した五百羅漢と羅漢寺を建立したという。
 岩上の観世音寺の境内からは、大森の町(写真)が一望でき、赤い石州瓦の街並みがとても美しい。
銀山観世風景1

4 勝源寺

町並みから少し谷間に入り込んだところに、壮大な山門(写真)が見えてきた。

銀山勝源寺山門

山門をくぐると、これも壮大な本堂が建つのは「勝源寺」(写真)

銀山勝源寺本堂

この寺には銀山奉行代官18名の位牌と墓がある。説明板には「即応山勝源寺は二番目奉行竹村丹後守の時代の創建で、開祖は日誉上人といわれている。 本堂は木造瓦葺入母屋造り。 再建は元治元年(1864)から慶応二年(1866)の間であるが、宝暦度を踏襲した内外陣は格調高い」と書かれている。

5 城上神社

大森の街並みの突き当たりに、白い大きな鳥居(写真)が見えてきた。

銀山城上鳥居

 鳥居を潜り境内に入ると、荘重な社殿が見えてきたのが「城上神社拝殿」(写真)

銀山城上神社

 説明板には「拝殿の屋根は重層式の入母屋造り瓦葺きで、江戸の亀戸天満宮を手本にしたものと伝えています。 内部は、前半分が拝殿、後半分を五室に仕切り、中通りに幣殿を置き、本殿から向かって左側に直会殿と神楽殿、右側に神楽殿の神供舎を配しています。 祭神は大物主命(大国主命)を祀り、銀山と大森町の両方の氏神でもあります。 平安時代の儀式や制度を記した『延喜式』にもあり、社伝によれば永享六年(1434)大内氏によって邇摩郡馬路村から大森村に遷座され、天正五年(1577)に毛利氏によって現在地に遷座されたと伝えられています。 寛政十二年(1800)の大火で焼失しましたが、文化九年(1812)に現在の社殿が再建されました」と書かれている。

6 世界遺産石見銀山と大森町の紹介

 石見銀山の坑道(間歩)で有名なのは、坑道観光ができる「龍源寺間歩」であるが、前回観光済み。今回「福神山間歩」(写真)の前を通過したので紹介する。このような間歩が石見銀山には600もあり、その入口から岩山に潜り込んで、銀鉱石を採取していたのである。 このようにして生産された銀は、最盛期には年間40トンともいわれ、当時の日本は世界中の銀の生産量の約30%も占めたとされる。

銀山間歩

 大森の町並み(写真)を紹介する。この古い町並みが保存されていたのが、世界遺産に登録された要因だったと思われる。最盛期には20万人の人口があったとは、とても思われない鄙びた町並みである。
銀山町並み

 大森代官所跡(写真)を紹介する。現在は「石見銀山資料館」となり、銀山の歴史や遺品や当時の銀貨などを展示している。

銀山代官所
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石見銀山

いつもながらの丁寧な取材に感服です。Junpei
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