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狭山丘陵寺社めぐり 3 熊野神社 (東大和市蔵敷)

狭山丘陵寺社めぐり 3 熊野神社

 青梅街道の蔵敷バス停の傍に「蔵敷高札場」(写真)がある。高札場は江戸時代に幕府や領主が決めた法度、掟書、犯罪人の罪状などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げた場所。都内では府中高札場とここ蔵敷高札場の二つのみ現存し、都の旧跡に指定されている貴重な史跡である。高札場の存在は、この場所が狭山丘陵南麓の中心地の一つであったことが分る。 

     熊野高札場

この高札場横の脇道に「熊野神社」の案内板が立ち、その脇道を進むと鳥居(写真)が見えてくる。鳥居を潜ると左手に石碑があり「村社熊野宮鳥居石階石橋 明治十五年氏子中」と書かれている。この熊野神社が蔵敷村の鎮守であり、明治15年即ち今から100年くらい前に神社の氏子たちが、鳥居や石段を普請したことのであろう。

     熊野鳥居

丘陵に付けられた石段を上ると、広い境内に出る。正面に熊野神社の拝殿(写真)が建ち、木立に囲まれた厳かな雰囲気。本殿(写真)は全体像がやや見えにくい。第1番の八幡神社よりは少し小振りな神社であるが、村の鎮守としては十分な規模と見た。

     熊野拝殿

     熊野本殿

当熊野神社のご祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)で、天照大神、大山祇神など多くの神様を産んだ有名な神様。 熊野神社の総本社は、和歌山県の熊野にある熊野三社(熊野大宮大社、熊野速玉神社、熊野那智大社)であり、祭神は熊野神。従って当熊野神社のご祭神とは違うけれど、熊野神の父母または先祖にあたる二人の神様を祀っているのだから問題はない。 熊野信仰は、熊野の山や樹木を神霊としているので、狭山丘陵の樹木や森林を祀るために建てられた神社であると思われる。
熊野三社の内、熊野那智大社には50年前に新婚旅行で参拝した思い出がある。熊野那智大社は名滝「那智の滝」をご神体とし、主祭神は熊野夫須美神。他の二社には参拝していないので、いつの日か「熊野詣で」をしたいものである。 熊野信仰の対称には、山、樹木の他に滝もあり、熊野山中の自然が信仰の対称となっている。平安時代に熊野の山岳信仰は修験道として興隆し、熊野山伏の拠点となった。更に朝廷の厚い崇敬を受け、多くの天皇が熊野に行幸された。鎌倉・室町時代には、武家や庶民の間にも熊野信仰が広まり、多くの人々が「熊野詣で」をし、その参道が現在人気の「熊野古道」。 熊野神を祀る神社は全国に三千社を超える。 蛇足となるが、神武天皇が東征の折に熊野に上陸した時、道案内したのが八咫烏。八咫烏は熊野神と関係が深く、最近はサッカーの日本代表のエンブレムであり、守り神にもなっている三本足のカラス。

当熊野神社の創建時期は不明。一説には、蔵敷一の素封家である内野家の祖である秀勝が、同家の鬼門除けに勧進したことに始まるとされている。確かに神社の下には内野家が建っているので、有力な説かと思われる。

境内には3個の「力石」(写真)が展示されている。掲示板には「ここにある石は、むかしの人たちが力くらべをした力石です。むかしの人は楽しみが少なかったので、村の力自慢が力試しをすることが盛んでした。力石を持ち上げるには中腰になり、一度膝の上まで石を持ち上げ、かけ声とともに力をふり絞って、一気に肩にかつぎ上げたものです。この石は熊野神社境内で力くらべをした時に使われたものです。 大 121 キログラム 中 96 キログラム 小 75 キログラム」と書かれている。 狭山丘陵の人々の昔の暮らしを知る貴重な遺物である。石を一旦膝まで持ち上げ、次いで肩まで持ち上げるのは、オリンピックの重量挙げのルールとよく似ているのが興味深い。

     熊野力石

境内に二つの祠(写真)が並んでいるが、神社名が分らない。八幡神社と同様に、地元の人が持ち寄ったものかも知れない。 神社の周辺には竹林が茂り、静寂な境内を神秘的な雰囲気にさせていた。

     熊野祠
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