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狭山丘陵寺社めぐり 38 阿豆佐味天神社  (瑞穂町殿ヶ谷)

狭山丘陵寺社めぐり 38 阿豆佐味天神社

 この「狭山丘陵寺社めぐり」は、東大和市からスタートし、武蔵村山市をめぐり、ようやく瑞穂町にやってきた。今回は青梅街道の「殿ヶ谷バス停」近くの古社「阿豆佐味天神社」を紹介する。 青梅街道に面して二つの石碑(写真)が立ち、左の石碑には「延喜式内 阿豆佐味天神社 文久三年亥六月 神主 宮崎能登守 朝臣威豊」と書かれ、右の石碑には「内務省下賜保存資金三百円 明治十六年八月 郷社阿豆佐味天神社」と書かれている。

天神社入口 

 左の石碑の「延喜式内」とは、平安時代の延喜五年(905)に編纂を開始し、延長五年(927)にまとめられた「延喜式神名帳」に記載された神社のこと。即ち「延喜式内」の神社は1100年以上の歴史を有する古社であり、狭山丘陵周辺にはたった4社しかない。今歩いている狭山丘陵南麓では、阿豆佐味天神社のみが「延喜式」という、歴史的な古社である。 この石碑は幕末の文久三年(1863)に、宮崎神主が造立されたと思われる。
 右の石碑は、明治政府(内務省)が神社修復等に三百円を支給したもの。三百円の価値はよく分らないが、記念碑を造るくらいであるから、大金であったに違いない。 明治四年に全国の神社を官社と諸社に分け、諸社の中に府県社、郷社、村社、無格社と区分した。阿豆佐味天神社は村社よりも格上の郷社であるから、この村山郷では最も格の高い神社であったといえる。
 青梅街道から狭山丘陵に向かう、桜並木の参道を進むと、神明系の鳥居(写真)が立ち、その左には「郷社阿豆佐味天神社」の石柱が立っている。

天神社鳥居

 鳥居をくぐり参道を進むと、石段の前に二つのずんぐりした石灯籠(写真)が建っている。

天神社燈籠

 石段を上ると、風格のある拝殿(写真)の前に出た。

天神社社殿

 拝殿の横から本殿と、拝殿と本殿をつなぐ幣殿(写真)が見える。 本殿の屋根には神明社のような、千木や堅魚木がなくとてもシンプルである。 本殿は最も多い神社本殿の形式である流造で、屋根が反り前方に曲線的に長く伸びている。

天神社本殿

 阿豆佐味天神社の社伝によれば、寛平四年(892)桓武平氏の祖・高望王が創建したという。高望王は50代桓武天皇の孫で、坂東平氏(三浦氏、土肥氏、秩父氏、千葉氏)や伊勢平氏(平清盛)の祖。 阿豆佐味天神社は村山郷の総鎮守で、武蔵七党の一、村山党(秩父平氏の流れを汲む)の氏神として崇敬を受けた。 天正十二年(1584)、慶長三年(1598)の修復を経て、享保年間(1716~36)村山土佐守により社殿の修復が行われ、現社殿は明治二十七年に改修されたもの。 阿豆佐味天神社には後北条氏が社領15貫文、徳川幕府が朱印地12石を寄進するなど、歴代領主から厚く遇されている。 因みに阿豆佐味天神社の所在する「殿ヶ谷」の地名は、村山党の居館があったことに由来するという。
 
 阿豆佐味天神社の祭神は、少彦名命、素盞鳴命尊、大己貴命。 少彦名命は海の彼方の常世の国からやってきた小人神で、医薬の神。大国主命(別名が大己貴命)とコンビを組んで、国づくりの大事業を成し遂げている。少彦名命は酒造りや温泉の神でもあり、酒や温泉は古来より病気治療に有効と認められていた。 茨城県那珂湊市磯崎には「酒列磯前神社」があり、友人の磯崎氏が自分のルーツを求めてこの神社を訪れているのを記憶している。この神社の祭神が少彦名命なのである。
 牛頭天王と恐れられた素戔嗚尊を含めて、三人の祭神がいずれも出雲の神様であり、1100年も前から出雲系の人々が、この地に進出してきていたことがうかがわれる。

 社殿の右に建つ境内社(写真)の社名が消えて分らないので、近所にいた人に尋ねると「新青梅街道近くにあった『お伊勢さん』を移した」と教わり、神明社と分った。

天神社神明社

 社殿の左に、八幡社、熊野社、雷神社が、ひとつの祠(写真)に祀られている。雷神社は初めて知る神社で、阿豆佐味天神社に問い合わせると「地元の人たちが雨乞いのために祀ったもので、よそから勧請したものではない」との返事だった。「雨乞い神社」よりも「雷神社」の方が、ご神徳がありそうに思える。
天神社三社

 社殿の更に左に、正一位稲荷神社(写真)が建っている。神社の境内社として稲荷神社が多いのは、社殿や境内を守護する目的のように思われる。

天神社稲荷

 阿豆佐味天神社のホームページに記載されている境内社、奥宮、厳島神社、須賀神社、甲子社が見当たらない。神社に問い合わせると「奥宮などの境内社は、社殿の裏山の奥深くに鎮座している。そこに向かう道が整備されていないので、梅雨時には上ることができない」との返事。 後日調査することにし、調査結果は紹介したいと思っている。
 境内には神楽殿(写真)が建っているが、現在では祭事に使われることはないとのこと。

天神社舞殿

 「阿豆佐味天」とは変わった神社名である。阿豆佐味天神社のホームページでは「一説には『阿豆』は味で弥の形容詞で甘いの意であり、『佐』は味の接頭語、『味』は弥で水の意味とされ、古代に狭山丘陵から流れる湧水・甘い水を祀ったものとされています。『味』を『弥(水)』に混用するようになるのは奈良後期とされておりますから、上代は味佐弥神社であったと考えられております」と説明されている。
 いずれにせよ「阿豆佐味天神社」と同名の神社は全国にないので、この神社が「阿豆佐味天神社の総本社」と位置付けられる。 立川市西砂町に鎮座する「阿豆佐味天神社」(写真、寺社めぐり67社目)は、江戸時代の初め、砂川新田開発を行った村山郷岸村の村野氏(後の砂川氏)が、この阿豆佐味天神社を勧請したものである。

阿豆佐味天神社立川076

 更に、小平市小川町の小平神明宮(写真、109社目)、同市仲町の熊野社(写真、119社目)は、同じく小川新田の開発を行った岸村の小川氏が、阿豆佐味天神社の境内社である神明社と熊野社を勧請したものである。小平市の神明宮、熊野社ともに大社であり、阿豆佐味天神社内の小さな境内社を勧請したとは信じられないほどである。

小平神明宮079

小平熊野社082

 多摩地方の延喜式内社は8社存在する。阿豆佐味天神社の他は、阿伎留神社(あきる野市)小野神社(多摩市)布多天神社(調布市)大麻止乃豆乃天神社(武蔵御嶽神社、青梅市)穴沢天神社(稲城市)虎柏神社(青梅市)の7社。穴沢天神社以外の延喜式内社は既に訪れているので、穴沢天神社を参拝した時に、多摩地方の延喜式内社をまとめて紹介したいと思う。
 
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奥宮にすごい関心

 瑞穂町史、村山町史に奥宮に関連すると考えられる記事があり、収録しました。是非、現地を訪ねたいと思います。ご都合のよいとき、ご一緒しましょう。  野火止用水
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