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狭山丘陵寺社めぐり 37 須賀神社  (武蔵村山市岸)

狭山丘陵寺社めぐり 37 須賀神社

 青梅街道を東大和市から西に向かい、武蔵村山市の寺社めぐりをしてきたが、とうとう市の西端の「須賀神社」にまでやってきた。 須賀神社の長い参道を進むと、神明系の白い鳥居(写真)があり、その左の説明版に「江戸時代寛政二年(1790)の創建で、村内悪疫鎮護のため祀られたものです。岸の天王様ともいわれ、村人の信仰が篤く、境内の杉や樫の葉をいただき門口につるしておくと、伝染病にかからないといわれています。 祭神 素戔嗚尊(スサノオノミコト) 軻遇突智命 天照大神 豫母津事解之男神」と書かれている。

須賀神社鳥居

 狭山丘陵の尾根にかかる石段を上ると、昭和十九年建立の小振りな「拝殿」(写真)が建ち、その後ろの「本殿」(写真)は更に小さい。それはこの社殿が昔は遥拝所であり、遥拝する本殿は1 km北に離れた狭山丘陵の中にあったことによるらしい。昔の遥拝所が現在は本殿で、昔の本殿は現在奥の院となっている。
須賀神社拝殿

須賀神社本殿

 須賀神社は、牛頭天王・素戔嗚尊を祭神とする祇園信仰の神社で、八坂神社、祇園神社、八雲神社が仲間である。 社名は、日本神話において、スサノオが八岐大蛇を退治してクシナダヒメを妻とした後、出雲国須賀に至って「吾此地に来て、我が御心すがすがし」と言って、そこに宮を作ったことに由来するものである。須賀神社の多くは、明治の神仏分離まで「牛頭天王社」などと称していた。
 祭神の素戔嗚尊の神徳は、水難・火難・病離除去、五穀豊穣など。 軻遇突智命は愛宕神社の祭神で、神徳は鎮火、火難除け、郷土守護など。 天照大神は素戔嗚尊の姉で、伊勢神宮の祭神であり、国土平安の守護などあらゆる神徳を発揮する万能の神。 豫母津事解之男神(よもつことわけのおがみ)は事解男神とも呼ばれ、伊弉諾神から生まれた神であるが、あまりよく分っていない神様であるらしい。 事解男神を祀る島根県益田市の「染羽天石勝神社」(写真、寺社めぐり252社目)を紹介しておく。
石勝神社水平

 須賀神社は、江戸時代には牛頭天王社と呼ばれ、明治時代になり須賀大神、須賀神社と改称され、岸地域の鎮守として信仰された。 これから訪れる予定の瑞穂町の阿豆佐味天神社と須賀神社のかかわりは深く、阿豆佐味天神社の宮司が須賀神社の宮司を兼ねた時代もあった。

 境内には神輿舎があるので、例祭の時には神輿が担ぎ出されるのであろう。 境内社として熊野宮の祠(写真)がある。 大きな伊勢神宮参拝記念碑と乃木大将書の明治三十七年八年戦役の碑(写真)がある。 祭神の天照大神を祀る伊勢神宮参拝は分るが、熊野宮の存在については不明。

須賀神社熊野

須賀神社乃木

 拝殿の左の小道を上っていくと、稲荷神社(写真)があった。これは須賀神社の境内社ではなく、明治二十五年に茨城県笠間市の笠間稲荷から勧請された「笠間稲荷神社」。名称が紋三郎稲荷から胡桃下稲荷から笠間稲荷と変わってきた。 笠間稲荷は日本三大稲荷の一つで、その他は総本社の京都の伏見稲荷と佐賀県の祐徳稲荷。笠間稲荷の代わりに愛知県の豊川稲荷を日本三大稲荷と呼ぶこともあるようだが、残念ながら未だ一社も参拝していない。 白雉二年(661)創建とされる笠間稲荷の別称が、胡桃下稲荷、紋三郎稲荷と分り、昔の名称変更の根拠が分った。

須賀神社稲荷

 奥の院に向って歩くと「里山民家」がある。これはこの地域にあった江戸時代建築の宮鍋家住宅をモデルにして、当時の民家を忠実に再現・新築した施設で、平成12年にオープンした。生垣に囲まれた敷地の中には、大きな母屋(写真)のほかに蔵や作業小屋、納屋なども再現されている。私も何度か訪れたことがあり、無料の「野草汁」をふるまわれたが、その中にぺんぺん草が浮かんでいたのには驚いた。決して美味しい汁ではなかったが、飢饉の時には村人はこの野草汁で飢えをしのいだのではなかろうか。
須賀神社里山

 里山民家の傍を通り、狭山丘陵の中に続く寂しい道路を歩いていくと「須賀神社奥の院」の鳥居(写真)が現れる。
須賀神社奥鳥居

 鳥居をくぐり石段を上った上に「奥の院」(写真)が建っている。「岸の天王様」と呼ばれた須賀神社の元本殿は、文治年間(1185~89)に建てられたものだという。はじめ大山衹神と日本武尊が祀られていたが、岸村が開かれた際に、山伏三行院信道が村の悪疫鎮護のため、素戔嗚尊を祀ったという言い伝えがある。
須賀神社奥院

 境内には、須賀神社に土地を奉納したことを刻む小さな石碑(写真)が、二つ並んでいる。村の鎮守様への信仰の証と受け取った。
須賀神社奥奉納

 引き返そうとすると、奥の院の裏の方を人が歩いているのを見つける。その方向に小路を上ると、多摩湖道から六道山に向かう遊歩道(写真)があった。ここは幼かった子供たちと六道山にハイキングしたことのある懐かしい道。その道路脇に須賀神社の奥の院があったことを初めて知った。全く人の気配のない寂しい奥の院とは対照的に、明るい遊歩道に出て気分爽快となり、武蔵村山市の寺社めぐりに別れを告げた。
須賀神社遊歩道


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奥の院を考える最高の教材

 なかなか奥の院までは足を伸ばせないのですが、この道をたどると、山峡田が続き、東大和市の狭山神社と二つ池の近くにあったという神まつりの場の関係を実感を持って味わえます。
 これからいよいよ、殿ヶ谷戸に入り、楽しみが増します。ご健闘を祈ります。
 野火止用水
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