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狭山丘陵寺社めぐり 35 禅昌寺  (武蔵村山市岸)

狭山丘陵寺社めぐり 35 禅昌寺

 前報、宿薬師堂で武蔵村山市三ツ木地区の寺社めぐりを終え、岸地区に入り狭山丘陵沿いを歩き「禅昌寺」に着く。「狭山観音霊場めぐり24番札所」(写真、赤丸)である。

観音地図禅昌寺069

 山門(写真)の前に説明版があり「岸清山禅昌寺は、室町時代の生長元年(1428)恵山和尚によって開山されたと伝えられています。江戸時代に強風でお堂が壊れ、文化十四年(1817)に再建されました。現在の本堂は、昭和四十六年に建てられたものです。観音堂は文禄三年(1594)の創建と伝えられ、狭山二十四番の札所になっています」と書かれている。

禅昌寺山門

 室町時代の開山や戦国時代の観音堂創建は、禅昌寺が相当古い歴史をもつ寺院であることが分る。
 山門をくぐると、本堂(写真)が建っている。

禅昌寺本堂

 禅昌寺は臨済宗建長寺派の寺院で、本尊は釈迦如来。 臨済宗の開祖、栄西は備中国吉備津宮(寺社めぐり1437社目)に生まれ、天台密教を学び、二度中国の宋に渡り、帰国後「興禅護国論」を著し、鎌倉の北条政子の支援を受けた。栄西が建てた寺院は、京都の建仁寺であるが、栄西の弟子たちが「鎌倉五山」や「京都五山」を建立し、それぞれが建長寺派、円覚寺派、南禅寺派、東福寺派などと称して各々が本山であるが、本山の数が15もあるとは複雑。 禅昌寺の本山は勿論、鎌倉の建長寺(写真、1884社目)となる。
 臨済宗の信者数は約100万人で、同じ禅宗の曹洞宗の信者158万人よりはやや少ない。 臨済宗の教えは「生まれそなわっている人間性(仏性)を坐禅によって目ざめさせ、人生を豊かに生きていくこと」とある。
建長寺068

 境内に戦国時代に建立されたという「観音堂」(写真)が建っている。 堂内には、これまで訪れた吉祥院や慈眼寺と同じく、聖観音が安置されている。

禅昌寺観音堂

境内には鐘楼(写真)が建っている。 六地蔵(写真)は雨露を避けるためか、建屋の中に安置されている。
禅昌寺鐘楼

禅昌寺六地蔵

 本堂の横に「少飛の塔」(写真)が立ち、説明版には「この地には、昭和十三年より終戦に至る八年有余にわたり東京陸軍少年飛行兵学校がありました。 祖国の急を救わんと、全国各地よりはせ参じた若冠十四・五才の少年達が、ひたすらに大空へと志し、情熱を燃やして訓練に励んだ、元陸軍少年飛行兵揺らんのちです。 昭和三十八年生存者有志により、戦没者のめい福を祈念して慰霊碑を建立しました」と書かれている。
 当時は横田飛行場の前身である多摩飛行場が近くにあったので、少年飛行兵学校が禅昌寺内に建てられたのであろう。学校を卒業した少年兵の多くが、神風特攻隊などで戦死したに違いない。戦争哀話がこの寺にあることが信じ難い。しかもちょうど私が生まれた年から小学校一年生の間の出来事であったのが重たい。

禅昌寺少飛塔

 寺社めぐりは、その土地の歴史や風物に触れられるのが嬉しい。 禅昌寺近くの芝桜(写真)が満開。その鮮やかな色彩は見事。

禅昌寺芝桜
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小川村開発の小川家の墓

 早くも岸の禅昌寺まで紹介下さり、動きの速さに頭が下がります。禅昌寺本堂を左に進むと裏側に壮大な墓地があり、小川村(現・小平市)を開発した小川家の墓地があります。立派な宝篋印塔がまつられています。
 また、寺の過去帳に、砂川村(現・立川市)を」開発した砂川家の記録が残されています。
 東大和市域の村々とも関わりがあったであろう両家です。中世から江戸の初期の夢いっぱいの地でもあります。記事を拝見して急に訪ねたくなりました。
 野火止用水
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