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寺社めぐり 9 広島県竹原市

寺社めぐり 9 広島県竹原市

 広島県野呂高原でのクラス会を終え、呉線広駅から三原行の電車に乗り、竹原駅で途中下車。「安芸の小京都・竹原」の寺社めぐりをスタート。パンフレットには「はるか平安時代、京都下鴨神社の荘園として栄えた竹原。今も貴重な文化遺産が生き続ける情緒あふれる町です。特に上市・下市には、江戸時代後期に製塩や酒造業で栄えたお屋敷や由緒ある町並みが往時の姿をそのまま伝えています」と書かれている。
 駅前から約1km歩いて「町並み保存地区」に着く。

1 長生寺  寺社めぐり 2142社目

 天正十五年(1587)小早川隆景が開山。正保元年(1644)には僧、快辺が再興して真言宗となる。現在の本堂(写真)は昭和三十七年の建築。 「毛利家三本の矢」で名高い、毛利三兄弟の末弟、隆景が幼い頃小早川家に養子に入り、竹原で幼少期を過ごしたことを知る。 平安時代の荘園、戦国時代の小早川家支配、江戸時代の塩田が、竹原を小京都にした要因であることが分る。

竹原長生寺

2 町並み

 町並み保存地区(写真)を歩く。高い壁や長屋門の格子、覆いの漆喰壁などが、江戸時代の町の雰囲気をよく伝えている。

竹原町並1

竹原町並2

3 西方寺

 石段を上った高所に建つのが「西方寺」(写真)。 慶長八年(1603)に建立された浄土宗の寺院。

竹原西方寺

 西方寺本堂横の高台に建つのが、宝暦八年(1758)に建立された「普明閣」(写真)。方三間宝形造、本瓦葺の二重屋根、舞台作りとなっており、京都の清水寺を模して建立された。

竹原普明閣

 「普明閣」の舞台からの竹原市の町並み(写真)を紹介する。

竹原展望

4 照蓮寺

 もとは定林寺と称し曹洞宗の禅寺で、小早川氏代々の子弟が学んだ寺。慶長八年(1603)僧、浄喜が真宗に改宗、すぐれた学問僧が輩出した。江戸時代からは竹原の文化センター的役割を果たしている。 明和三年(1766)建立の鐘楼門(写真)から境内に入る。

竹原照蓮門

 本堂(写真)は元文二年(1737)の再建。

竹原照蓮寺

5 頼山陽

 町並み保存地区の入口に「頼山陽広場」があり「頼山陽座像」(写真)がある。

竹原頼山陽

 説明版には「頼 山陽(1780~1832年) 頼 山陽は竹原を故郷とし、文化文政の江戸時代の最盛期に活躍した儒者である。詩文は一世を風靡し歴史に残る代表的な『日本外史』『日本政記』の二つの大著によって明治維新の原動力となり、日本の夜明けに多大の影響を与へ歴史家としても著名である」と書かれている。 頼家は七人の優れた学者文人を世に輩出した名家で、山陽は号で名は襄(のぼる)。

6 伊勢神社

 町並み保存地区を歩きながら見つけたのが「伊勢神社」(写真)という小社。

竹原伊勢神社

天照大神を祭神とする1万八千社に及ぶ伊勢神宮系の神社は、決して「伊勢」とは名づけないで、神明社、皇太神社と名付けられている。それは伊勢神宮の名を冠するのは畏れ多く「伊勢」の名は使ってはいけないものと思っていた。 それが竹原で伊勢神社を見つけたので驚いた訳。 インターネットで検索すると、なんと佐賀市に「伊勢神社」が存在すると分った。その伊勢神社の広告に「日本で唯一伊勢神宮より破格の恩恵を受けて分霊を勧請することのできた社です」とやや勿体ぶって説明されている。これを見ても「伊勢神社」はまことに珍しい存在なのである。 ところが竹原市西野町には「伊勢両宮神社」もあることも分った。両宮とは伊勢神宮の「内宮」と「外宮」の「両方」を指すのかと思われる。 不思議に思って竹原市役所に問い合わせると「両神社共に古くから存在するが、伊勢神宮との関係は不明。伊勢神社の祭神は天照大神、大国主命、素戔嗚尊。伊勢両宮神社の祭神は天照大神、豊受大神」との返事。 伊勢神宮内宮の祭神が天照大神であり、外宮の祭神が豊受大神であるので、伊勢両宮神社の祭神は予想通り。 いずれにせよ祭神に伊勢神宮と同じ天照大神を頂きながら、堂々と「伊勢神社」「伊勢両宮神社」を名乗るとは、竹原の神社の立派な根性には感心してしまった。
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