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狭山丘陵寺社めぐり 33 御嶽神社  (武蔵村山市三ツ木)

狭山丘陵寺社めぐり 33 御嶽神社

 狭山狭山丘陵沿いの寺社めぐりを続けていたが、久々に丘陵から離れて、青梅街道に出る。青梅街道は峰バス停から大きく左右に湾曲するが、曲がり終わった三ツ木バス停の近くに「御嶽神社」がある。青梅街道から狭山丘陵の方に少し入ったところに「御嶽神社」の小社(写真)が建っている。

御嶽神社社殿

 この社は「宿の御嶽神社」と呼ばれ、青梅市に鎮座する武蔵御嶽神社の分社として、明治四十年(1907)に宿村に勧請された。 御嶽神社は「5報、御嶽神社(東大和市蔵敷)」で既に紹介した。主祭神は武蔵御嶽神社と同じならば櫛真智命で、知恵や占いの神様。御岳山の土地神であって、あまり有名な神様ではない。 武蔵御嶽神社には主祭神の他に、祭神として大己貴命、少彦名命、安閑天皇、日本武尊がおられる。 大己貴命は、大国主命の若い頃の名前。大国主命は島根県の出雲大社に鎮座する縁結びの神として有名。出雲大社の60年ぶりの遷宮(本殿の修復)が、昨日行われた。4年前に出雲大社を訪れたときは、本殿が修復中で見ることができず、拝殿(写真、216社目)に参拝しただけ。今年こそ修復なった国宝の本殿を見てみたい。

出雲大社060

 少彦名命は「28報、十二所神社」の境内社「疱瘡神社」で紹介した医薬の神様で、小人(こびと)であったため一寸法師のルーツとされる。 安閑天皇は第27代天皇(在位531~535)で、蔵王権現と同一視されたため、明治時代の神仏分離以降に、従来蔵王権現を祭神としていた神社が、安閑天皇を祭神とし直したところが多いとされる。なお蔵王権現は、奈良県の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊で、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩三尊の合体したもの。 日本武尊は、西国や東国に出征し、反抗勢力を討伐し服従させた、日本神話のヒーローで、名古屋市の熱田神宮の祭神。

 社殿の左に建つ境内社(写真)は不明であるが、武蔵御嶽神社の境内社である大口真神社の可能性がある。武蔵村山市内の神明社に「大口真神御符」が貼られている境内社が多かったのが推定の理由。
御嶽神社境内

 御嶽神社の参拝を終え、青梅街道を西に向かうと、道路沿いに小社があり「赤稲荷神社」(写真)と分る。説明版には「赤稲荷は、嘉永二年(1849)稲荷総本社より勧請し、再三移転され現在の場所に祀られました。稲荷は、古代大陸から渡来してきた豪族秦氏の守り神といわれていますが、もともと農耕の神で『稲生』から『稲荷』・『いなり』に転化したといわれています」と書いてある。 「赤稲荷」とは、稲荷神社の社殿が赤く塗られているのが、命名の根拠とか。  後日、ブロ友様より「赤稲荷は祀ったすがたより、個人の神ではなく、一族の神とおもわれます。本家、分家、それらから分かれた一族が大切にした神でしょう」とのコメントをいただいた。

御嶽神社赤稲荷

 この「狭山丘陵寺社めぐり」では2社目の稲荷神社。全国に三万二千社もあり、神社では最も数の多い稲荷神社であるが、これまでの寺社めぐりで2社目とは、思ったほどには多くない。江戸時代に多いものとして「火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞」と言われたのは有名。 因みにこれまでの寺社めぐりで多かったのは、神明社4社、熊野神社3社。
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屋敷神の象徴

 宿の赤稲荷はまつられている姿から個人と言うよりは一族の神と思われます。本家・分家、さらに分かれた一族が共にまつったのでしょう。紹介下さった嘉永二年(1849)に、このような神まつりが行われたことに意義深さを感じます。

 東大和市では、青梅街道の北、市博物館に向かう八幡通左側、奈良橋川近くにある稲荷社が一族で講を設け、それが地域に広がった姿をとどめています。
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