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狭山丘陵寺社めぐり 32 神明社  (武蔵村山市三ツ木)

狭山丘陵寺社めぐり 32 神明社

 前報の「慈眼寺」から西に向かい「東京多摩マップ」にある「新明社」を探す。後ヶ谷戸自治会館があり、自治会館は寺社の境内に建つことが多いと気付き付近を見渡すと、丘陵に上るような坂道(写真)がある。これが神明社の参道かも知れないと、坂道を上って行く。

神明社入口

 坂道をかなり上ると、小社が見えてきた。その前の立木に紐が掛けられているのが、鳥居(写真)であるらしい。なんとも微笑ましい鳥居であるが「神明系鳥居であるためには、紐はピンと水平に張っておかなくてはいけない。紐の両端が反り上がっているので、明神系の鳥居に見えるよ」と小声で注意。
神明社鳥居

 木洩れ日の中の小さな社殿(写真)が寂しそうに建っている。社殿の屋根には、神明社特有の千木や堅魚木もなく、忘れ去られた神社のように思える。 祭神である天照皇大神も寂しい思いをされていることだろう。 後ヶ谷戸の人々によって祀られた祠で、お伊勢様、伊勢社などとも言われている。 祭礼は「十二所神社(28報)」が行っているとのこと。十二所神社の主祭神、天神七代地神五代の大神の中、地神五代の初代が天照皇大神である。従って市内にいくつも存在する神明社ではなく、祭神が共通する十二所神社が、この神明社の祭礼を兼務するのには納得。 江戸時代にはこの神明社は、十二所神社の摂社(末社)の一つであったという。

神明社社殿

 境内には、社殿の左右に二つの境内社(写真)がある。十二所神社と伊勢神宮または神明社なら理解しやすいが、境内社については不明。

神明社祠1

神明社祠2

 参拝を終え、石段のない坂道を下りながら、武蔵村山市に神明社が多いことに気付く。この神明社が4社目であるが、残堀地区にも神明社(写真、63社目)があるので、あわせて5社も神明社があるのは驚き。残堀の神明社は、江戸時代の新田開発のため、峰(三ツ木)から移った人々により建立された。狭山丘陵から離れているので、残堀神明社は紹介しない。 市内に神明社が多いのは、昔の武蔵村山市には各地に有力者が住んでいて、各々が自前の神明社を建立し、信仰したためらしい。最も規模の大きい「お伊勢の森神明社(11報)」に参拝すればいいではないか、という訳にはいかないようである。
神明社(残堀)056

 この神明社には4年前に参拝(60社目)しているのに、見つけるのに苦労するとは情けない。4年前、息子がくれたサイクリング車で「近郊の寺社めぐり」を思い立ち、東大和市、東村山市に次いでチャレンジしたのが武蔵村山市の寺社めぐりだった。「東京多摩マップ」に記載された寺社を訪れて、写真を撮り記録するだけの時期だったので、当時は未だ寺社への打ち込み方が浅かったのが、神明社を忘却した理由のように思う。 これから訪れる狭山丘陵の寺社は全て既に参拝済みであるが、ブログに載せるため改めて訪ね、学習をするのが楽しみ。ブログを沢山の人に読んでもらうためには「写真を多く、字は少なく」がよいとされるが、私の場合は「字が多過ぎるのが問題」であるのは自覚している。「読んでもらえるブログ作り」はもっと先のこととして、先ずは狭山丘陵寺社から学び紹介することを優先したい。
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