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狭山丘陵寺社めぐり 25 八坂神社  (武蔵村山市本町)

狭山丘陵寺社めぐり 25 八坂神社

 前報の七所神社から軽便軌道跡に戻り、狭山丘陵沿いの道路を西に向かうと、今回紹介する「八坂神社」に着く。 石段の上に直線的な白い神明系の鳥居(写真)が立っている。12報で紹介した中藤地区の八坂神社の二つの鳥居が、曲線的な明神系だったのとは違う。参考書にも「明神系の鳥居の代表は京都の八坂神社」と書かれているので、この八坂神社の神明系鳥居は不思議。 

八坂鳥居

念のため、京都の八坂神社の鳥居(写真)を載せておく。 23報の熊野神社でも、本町と中藤の鳥居が神明系であったのに、蔵敷の鳥居は明神系と異なっているのに気付いた。同系列の神社内で、鳥居の形が統一されていないのはつまらない。鳥居を造った時の神社の神主さんが、自分の好みで鳥居の形を決めているのだろうか?

八坂神社鳥居044

 武蔵村山市の神社では、鳥居の近くに必ず設置してある説明版が、この神社では見当たらない。武蔵村山市歴史民俗資料館に問い合わせた結果「この八坂神社の祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト」と判明。祭神は八坂神社の総本社、京都の八坂神社の祭神・素盞鳴尊と同じ。 武蔵村山市資料によると「鍛冶ヶ谷戸の八坂神社は、江戸時代に牛頭天王社と呼ばれ、大行院の境内に小祠が造られていた。神体は木の座像で、大行院の支配を受けていた神社である。明治維新後の神仏判然により八坂神社に改称された」と書かれている。 スサノオ尊は最初、神の住む高天原の秩序を破壊する乱暴者として登場し、牛頭天王(ゴズテンノウ)とも呼ばれていた。高天原を追われたスサノオ尊は、人間の世界である出雲に降り、弱きを助ける英雄にイメージチェンジするのである。 資料では牛頭天王社は、大行院の鎮護社であったのが、八坂神社と名称を変えて独立したようである。なお八坂神社の敷地の裏手にあった大行院は、明治時代に廃寺となってしまった。 そしてこの地が鍛冶ヶ谷戸と呼ばれていたことも判明した。

 鳥居をくぐると再び石段があり、その上にあまり大きくない社殿(写真)が建っている。この社殿が市内のいろいろな神社の社殿とよく似ており、同一の宮大工が建てたことが推察される。
 
八坂社殿

 社殿の扉の隙間から内部を覗うと、小さな祠(写真)があり、これが京都市祇園の八坂神社の祠かと思われる。
八坂祠

 社殿の右上に奇妙な額(写真)が架かっている。獅子のような動物のようである。額の横に「奉納」のタイトルがある説明版に「北海道地方を旅行した時、阿寒湖の密林に生えていたという樹令三百年に及ぶ紅葉の根幹を店頭に見た。風雪の厳しい北辺の地に育つ、生命力の強さと、獅子の貌に似た樹形に惹かれて土産として購入し、拙いながら作品としたので、産土の八坂神社に奉納する。 昭和六十年 進藤利治」と書かれている。 少々グロテスクな作品ではあるが、木の根をここまで仕上げた腕前は見上げたもの。 合わせてこの八坂神社が鍛冶ヶ谷戸地区の産土神であることが分る。氏神信仰の後に流行した産土神信仰が、この地にあったことを理解した。

八坂額

 社殿の右に神輿舎(写真)があり、中に華やかな神輿(写真)が納められている。八坂神社の例祭は六月三〇日、七月一日であり、この神輿が練り歩くのだろ

八坂神輿舎

八坂神輿
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