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狭山丘陵寺社めぐり 23 熊野神社  (武蔵村山市本町)

狭山丘陵寺社めぐり 23 熊野神社

 前報の「吉祥院」から西南に向って500 mも歩くと、今回紹介する「熊野神社」に着く。これまで武蔵村山市の中央地区を歩いてきたが、これから本町地区に入る。この地は昔、中村と呼ばれていた。 住宅地の中に、窮屈そうに建つのが熊野神社。白い神明系の鳥居(写真)が立っている。

熊野神社鳥居

 鳥居をくぐると、参道は左に折れ、短い参道の向うに、小振りな社殿(写真)が建っている。武蔵村山市内の寺社には必ずある説明版が、この神社にないのはどうしてだろうか。

熊野神社社殿

 この「狭山丘陵寺社めぐり」で、熊野神社は東大和市蔵敷(3報)、武蔵村山市中藤(13報)に次いで三社目。 ご祭神は速玉男之命(ハヤタマオノミコト)。熊野三神のひとりで、熊野速玉神社のご祭神である。これまでの熊野神社の祭神が、伊弉諾尊や天照大神であったのに対し、初めて本来の熊野神の登場である。 社殿の形を比べると、これら熊野三社の拝殿がとてもよく似ていることを発見。三社共に同一の宮大工が建造したのではないかと思われる。 鳥居はこの神社と中藤熊野神社は笠木が直線的な神明系であるのに対し、蔵敷熊野神社の鳥居は笠木の両端が上に反った明神系であった。同じ熊野神社であっても、鳥居の形が違うことを発見。鳥居の形は各々の神社の好みで決まるものらしい。これからの寺社めぐりで、神社の系列と鳥居の形を学んでみたい。 社殿の建立時期は不明であるが「新編武蔵風土記稿」には、江戸時代から社前に鳥居をもった神社だったことが記載されている。
 これまで述べたように、熊野信仰の本拠地は和歌山県の熊野三社であり、山や滝の神秘性を背景にしていたが、新宮市に位置する熊野速玉大社は海の神秘性を背景にしている。海から遠い狭山丘陵のこの地と海の神が結びつくのかよく分からないが、熊野信仰のご神徳が国土安穏、延命長寿、無病息災であるというから、これ以上海との関連を追及するのは止める。

 社殿の左に境内社「蚕影(こかげ)神社」(写真)が建っている。「蚕」の字から分るように、養蚕に係わる人々の信仰を集めた神社。茨城県つくば市に「蚕影神社」があり、祭神は稚産霊命(穀物の生産を司る神)、埴山姫命(土の神)、木花開耶姫命(山の神)の三神。 境内社としてはとても大きく、江戸時代に養蚕が盛んだったこの地方で信仰を集めたようである。

熊野神社蚕

 社殿の右には、境内社ではお馴染みの「稲荷神社」(写真)が建っている。西国出身の私が関東に移り住んで、地元の人々の住宅地の隅に、小さな祠がある家が多いのに注目した。その祠は「屋敷神」と呼ばれ、屋敷およびその土地を守護する神様であることが分り、屋敷神の多くが稲荷神であり稲荷社だと分った。 その観点からすると、神社および境内の屋敷神として、神社に稲荷社が多いということになるのだろうか。数か月前に府中市の寺社めぐりをした時、全ての神社の境内に稲荷小社が鎮座していた。その時「境内に稲荷小社を置くのは、その神社の宮司の趣味の問題ではなく、稲荷神を置かなくてはいけない理由がある」と気付いたので、今日境内社=稲荷社説を取り上げてみた。
熊野神社稲荷

 境内に、明治神宮宮司や大国魂神社宮司の揮毫された、大きな石碑が立っている。その石碑のひとつに「熊野神社土地購入記念碑」があった。この神社の鳥居と社殿の配置が不自然であり、かつ普通は南か東を向く鳥居が西向きとなっている。 これらの疑問を武蔵村山市歴史民俗資料館に問い合わせると「神社は昔から移動していない。土地購入は付設されている公会堂関連かも知れない。鳥居は西をむいていてもおかしくない」との返事。 私の第六勘もあやしくなってきたと悟って、本報を終わる。
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