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狭山丘陵寺社めぐり 22 吉祥院  (武蔵村山市中央)

狭山丘陵寺社めぐり 22 吉祥院

 前報の「日吉神社」から西に向かって歩くと、今回紹介する「吉祥院」に着く。 石段の右に「狭山観音霊場 第二十二番札所 吉祥院 本尊 聖観音」の看板が立っている。「狭山観音霊場地図」の赤丸が吉祥院の位置(写真)。

         吉祥院図042

 看板の横に「馬頭観音菩薩」の石柱が立ち、石段の左に馬頭観音の祠がみえる(写真)。馬頭観音の祠には色紙や草履が飾られ(写真)、地元の人々に大切にされていることが分る。
馬頭観音は「16報入り天満宮」で紹介した。忿怒相をもち、頭上に馬の顔を戴く観音菩薩で、江戸時代に道中の安全の祈願や家畜としての馬に対する供養が、信仰の中心となっている。

             吉祥院入口

             吉祥院馬頭

 石段の右の説明版には「横龍山吉祥院は、曹洞宗長圓寺の末寺で、江戸時代のはじめ長圓寺三世竹同呑行によって、開山されたと伝えられています。本尊は聖観音で、狭山二十二番の札所になっています。江戸時代の末ごろには寺子屋であったといわれています。明治時代には、明治五年の学制制定に基づき、第一小学校の前身である吉祥学舎が置かれていました」と書いてある。
 
 石段を上ると広い境内に、明治三十六年(1903)に再建された本堂(写真)が建っている。お寺というよりは、古い大きな民家と言いたいような造り。 

             吉祥院本堂

 狭山丘陵寺社めぐりを始めて、曹洞宗の寺院は初めて。曹洞宗は鎌倉時代に道元により興された宗派。道元が中国に渡り坐禅により悟りを開き、帰国して京都・建仁寺に入り「普勘坐禅儀」を著し、坐禅のやり方を説き、「坐禅こそ安楽の法門である」とした。 総本山は福井県の永平寺と神奈川県の総持寺。 全国に寺院数15.000ヵ寺。信者数158万人。
 永平寺には20年前に参拝したし、総持寺(写真)は趣味の寺社めぐり2.000社目記念に今年参拝した。総持寺は関東地区総本山の位置づけにあると思われ、歴史や規模・寺格の点において永平寺には及ばない。私のブログ「2/14 寺社めぐり2総持寺・川崎大師」を参照していただきたい。

         総持寺大祖堂

 吉祥院は武蔵村山市内の長円寺の末寺で、長円寺の住職が吉祥院の住職を兼ねているとのこと。 吉祥院の本尊は聖観音。二十一番札所・原山観音堂と同じ本尊。「曹洞宗の本尊は釈迦牟尼仏」と書かれた文書もあるので、長円寺に問い合わせると「曹洞宗の寺院は釈迦如来を本尊にすることが多いが、聖観音や馬頭観音を本尊とする寺院もある。本尊は釈迦如来にこだわらない」との返事だった。

 境内に「村山第一小学校発祥の地」と書かれた木柱(写真)が立っている。吉祥院の本堂が学び舎であったことが分った。 

             吉祥院学校

 本堂の左奥に「大黒天」と書かれた祠(写真)がある。お寺や墓地の鎮護神だろうか。 七福神のひとり大黒天は、もともとはマハーカーラと呼ばれるインド・ヒンドゥー教の神で、創造と破壊を司るシヴァ神の化身。後に日本神話の大国主命と結びつき、福の神として信仰された。故郷の石見神楽の開幕は、打ち出の小槌を持つ大黒天と釣竿を持つ恵比寿が、面白おかしく舞うのが決まりだった。 公民館サークルの活動で、毎年1月に七福神めぐりを続けており、既に深川、川越、亀戸七福神めぐりを行った。来年1月に予定している東海七福神めぐりが楽しみである。

             吉祥院大黒
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裏山に縄文から古代にわたる史跡が

 武蔵村山市でも屈指の史跡が吉祥院の裏山にあります。中でも、東大和市では確認されていない弥生時代の住居址があります。もし、郷土博物館辺りが、その時の水田であったとしたら、なんでこんな高いところに住居をと、弥生時代の謎解きのポイントです。
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