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狭山丘陵寺社めぐり 21 日吉神社  (武蔵村山市中央)

狭山丘陵寺社めぐり 21 日吉神社

 「原山観音堂」から住宅街の道路を西に向かって500m も歩くと「日吉神社」に着く。住宅地に建つ神社だけに、神秘的な雰囲気には物足りない。 神明系の白い鳥居(写真)の近くに説明版があり「創建年代は不詳ですが、御神体は元禄四年(1691)に三ヶ島の照明院から遷宮されたものです。現在の御霊社(社殿内に祀られている)は文化七年(1810)に、波多野文右衛門が奉納したものです。 別名 日枝神社、山王権現ともいわれます 祭神 大山咋尊(くいのみこと)」と書かれている。

             日吉神社鳥居

 鳥居をくぐり参道を進むと、左手に柵に囲まれたご神木(写真)がある。周りの木よりも小さいので、前のご神木の子孫である可能性あり。木の名称が分らないのが残念。

             日吉神社神木

 石段の上に小振りな拝殿(写真)が建っており、横から見ると屋根の高い本殿が拝殿と一体化した社殿(写真)であることが分る。

             日吉神社拝殿

             日吉神社社殿

 日吉(ひえ)神社は日枝神社とも書かれ、祭神の大山咋神は松尾大社の祭神でもある。大山咋神はもともと比叡山(日枝山)に宿る山の神で、延暦寺の鎮護神。延暦二十五年(806)伝教大師・最澄が、比叡山の山頂に延暦寺を創建したときに、古くからこの山の地主神として鎮座していた大山咋神を、寺の鎮護神としたことに始まる。そのときに大山咋神が鎮座する日吉大社を「日吉山王」と呼ぶようになり、やがて仏教風に日吉権現または山王権現と呼ばれるようになった。 
 全国の日吉(日枝)・山王神社の総本社は、滋賀県大津市の日吉大社東本宮である。東京都の江戸城の鎮護神として名高い日枝神社(写真、919社目)には参拝したが、未だ日吉大社は訪ねていない。 日吉(日枝)・山王神社または権現は、最澄の天台宗の寺院を中心に全国各地三千七百九十九社に勧請されている。 ご神徳は諸産業繁栄、家系繁栄、厄除け開運などである。

         日枝神社040
                                      
 説明版に記載されている所沢市三ヶ島の照明院は地図に載っていない。インターネットで検索すると「照明院の本尊が、明治初年の廃仏毀釈の際に、近くの宝生院に移された」とあるので、その時に照明院はなくなったようである。 更に説明版の御霊社とは、大山咋神の御霊を祀った祠のようなもので、鎌倉市の御霊神社とは関係ないと思われる。

 社殿の左に結構大きな境内社(写真)があるが、社名が書かれていない。境内社の横に立つ石碑に「三柱社新築記念碑」と書かれているので、この境内社は「三柱社」なのだろうか。しかし調査しても三柱社の正体がよく分からない。ある神社の境内社に三柱社があり、祭神が倉稲魂神、天御柱神、国御柱神となっている。倉稲魂神とは稲荷神社の祭神で食物神。天御柱神と国御柱神は「風の神」で、俵屋宗達の描いた「風神図」(写真、京都市建仁寺蔵)の荒々しい神様で、農作に関わる神。これらの祭神たちから「三柱社は農耕の神」と推定したが、あまり自信はない。 武蔵村山市資料には、境内に大口真神社と八坂神社が祀られていると書かれている。「三柱」とは、この二社にもう一社加えた社名であるのかもしれない。社名の記載がないと困ってしまう。電話帳にも日吉神社の記載がないので、問い合わせも出来ない。今後正確な情報を得た場合には、本文を訂正することにした。

             日吉神社境内社

             風神図

 この地域は昔、赤堀と呼ばれていたようで、日吉神社は赤堀村の鎮守だったのだろう。


 
 
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