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狭山丘陵寺社めぐり 19 稲荷大明神  (武蔵村山市中央)

狭山丘陵寺社めぐり 19 稲荷大明神

 前報の萩ノ尾薬師堂の参拝を終え、地図{東京・多摩}にある「稲荷大明神」を目指して北に向かう。狭山丘陵の谷間を上って行くが、稲荷社が見つからない。地元の人に問い合わせるが、誰も「知らない」との返事。3年前に訪ねた時も、神社探しに苦労したことを思い出した。丘陵から突き出した尾根の上に墓地が見える。墓地の近くに行けば手がかりがあるかと墓地に上ると、なんと墓地の近くの木立の中に神社発見。赤い鳥居の小社「稲荷大明神」(写真)だった。

稲荷鳥居

 木立の中に隠れるように建つ社殿(写真)では、地元に昔から住んでいた人たち以外には、神社の存在が分らないだろう。 社殿の中には、狐の人形を沢山乗せた祠(写真)が鎮座していた。

稲荷社殿

稲荷祠

 狭山丘陵寺社めぐり18社目にして、初めての稲荷社。境内社では稲荷社に10社くらいにお目にかかっているので、初めての参拝とは思えない。稲荷社は全国に三万二千社を数え、神社数では第一位を誇る。稲荷社の総本社は京都市の伏見稲荷大社。その他に愛知県の豊川稲荷、茨城県の笠間稲荷、佐賀県の祐徳稲荷が有名。いずれも参拝したことがないけれど、せめて伏見稲荷大社には訪ねてみたい。
 この稲荷大明神の祭神は分らないが、通常稲荷社の祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、稲の精霊を神格化した神であり、食物神である。「古事記」ではスサノオ尊とオオイチヒメ命の子どもとされ「日本書紀」ではイザナギ命とイザナミ命の子どもとされ、有名神であるのに出生がはっきりしないとは面白い。 稲荷信仰は奈良時代に発生したもので、伏見稲荷大社の社伝には、和銅四年(711)に稲荷山三ヵ峰、今の伏見稲荷大社の境内に、稲荷神が鎮座したとある。 この稲荷信仰のルーツは、当時山城国一帯に住んでいた渡来系の豪族・秦氏が、自分の氏神として祀り、秦氏の勢力拡大にともなって稲荷神の信仰が拡大した。 のちに稲荷神は仏教や民間信仰を巻き込みながら信仰を広げ、稲荷神の性格も、本来の農耕神から商工業の神へと拡大していった。 稲荷神のご神徳は、五穀豊穣、産業興隆、商売繁盛、家内安全、芸能上達など。

 小さな社殿と鳥居以外はなにもなく、帰りの道を探すけど、参道らしき道が見当たらない。3年前に上ってきた道には大木が倒れて通れない状況。木立の中を移動すると、ようやく道らしきものを見つけて、住宅地の中に下りることができて一安心。 ところが下りた場所に、地図にない観音堂(写真、後方の山道が参道)を発見するハプニングがあった。この観音堂は次報で紹介する。

稲荷参道
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