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狭山丘陵寺社めぐり 16 入り天満宮 (武蔵村山市中藤)

狭山丘陵寺社めぐり 16 入り天満宮

 真福寺を後にして、丘陵上を東に向かって歩くと、「入り天満宮」に着く。神社の横から境内に入ったけれど、参道の入口は青梅街道に近い丘陵の下にある。 入口から石段を上ると「一の鳥居」(写真)が立つ。これは直線的な神明作りの鳥居。

天満宮一鳥居
 
 参道を進むと広い境内に出る。そこに赤い笠木の両端が上に反った明神系の「二の鳥居」が立っている。この赤い鳥居こそ天満宮の鳥居に相応しいように思われる。神社内で二つの鳥居が違うのは、この入り天満宮が初めてであるが、合祀した神社がある場合、合祀された神社の鳥居も必要なのではなかろうか?

天満宮二鳥居

 天満宮としては少し小振りな社殿(写真)が建っている。

天満宮社殿

 私が入ってきた境内横の入口に説明版があり「元は真福寺持ちでしたが、明治時代以後神仏分離により、入りの氏神として氏子が管理するようになりました。祭神は菅原道真公で、ほかに真福寺持ちであった八坂社・稲荷社・水天宮が合祀されています」と書かれている。 「江戸時代には真福寺の境内社として、入り天満宮が真福寺境内や墓地を守っていたが、明治時代に真福寺から分離独立し、入り地区の氏神様となった」と解釈したが如何なものか?
 13報、熊野神社で番太池の説明版に「番太池は入りの田んぼと中藤の田んぼの灌漑用貯水池」と書かれていた。広い谷津の北側が中藤地区で、南側が入り地区と分れているのだろうか。中藤地区の鎮守が熊野神社で、入り地区の氏神が入り天満宮となる。
 菅原道真を祭神とする天満宮・北野神社・菅原神社・天神社は、全国に一万四百四十一社もあり、日本の神社では稲荷社、八幡社、神明社に次いで第四位である。菅原道真はふだん「天神さま」と呼ばれ、学問、文筆の神としての天神信仰が、一般庶民の間に広く浸透したのは、江戸時代に寺子屋が隆盛してからのことである。所沢市には有名な北野天神があるが、狭山丘陵南麓には入り天満宮以外に天神さまが見当たらない。昔の武蔵村山市周辺は、寺子屋や学問が盛んな土地であったのだろう。
 全国の天神さまの総本社は、京都市の北野天満宮である。次いで有名なのが、道真が詠んだ「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」という一首で、彼の愛した梅が一夜にして京都から飛んできたという、福岡県の大宰府天満宮。東京では湯島天神や亀戸天神が有名である。 私は北野天満宮には参拝していないが、大宰府天満宮(990社目、写真)湯島天神(664社目)亀戸天神(1811社目)には参拝している。

大宰府天満宮033

 社殿の左に赤い鳥居をもつ境内社(写真)がある。小さな社の内部に、おもちゃのような社殿が並んでいたのが、合祀された神社なのだろう。 合祀された八坂社、稲荷社はこれまでにも取り上げたが、水天宮は初めて。水天宮は水と子供を守護する神様。奈良橋川の水源や番太池・赤坂池の守護を祈願する社と思われる。

天満宮境内社

 入り天満宮を後にして、青梅街道のバス停に向っていると、路傍に馬頭観音(写真)が祀られている。 馬頭観音は観音菩薩の変化身の一つであり、観音としては珍しく忿怒の姿をとる。江戸時代以降、荷運びの馬が急死した路傍や馬捨場などに馬頭観音が祀られ、動物供養塔としての意味がつよくなっていったとされる。青梅街道が大きく南に曲がるこの地で、馬や動物にかかわる出来事があったのだろうか?

天満宮馬頭

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