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狭山丘陵寺社めぐり 14 仙元神社 (武蔵村山市中藤)

狭山丘陵寺社めぐり 14 仙元神社

 今回は武蔵村山市中藤地区の北端に位置する「仙元神社」を紹介する。 我が家から自転車で多摩湖を周回する多摩湖自転車道を、西に向かって走る。7報で紹介した豊鹿島神社の奥宮を過ぎると、あまり好ましくないホテル街を過ぎた左手に、小高い丘が出現。この丘が仙元神社の「富士塚」である。 富士塚の下に建つ小振りな仙元神社(写真)に参拝する。社殿は文化三年(1806年)に再建された古社。
仙元社殿

 神社の右手に「谷津仙元神社富士講」という説明版が立ち「谷津仙元神社富士講は、富士講を信仰行事として続けている都内でも数少ない団体です。 谷津地区に富士講を伝えたのは、富士講中興の祖食行身禄から5代目の先達星行であるといわれています。この時、星行から直接教えを受けたのが、谷津の山行星命(俗名藤七)と呼ばれる農民でした。 谷津講社に残る富士講文書の中には星行の署名が残されているものがあります。これらの古文書から谷津富士講が興ったのは寛政から文化期であったことがわかりました。 社の裏の小高い山は富士塚で、登山できない人たちがここに登り、富士山を遥拝しました」と書かれている。 仙元神社の社名の上に「身禄山」と書かれているのは、中興の祖の名前を号しているようだ。しかし神社を〇〇山と号するのは珍しい。
 この説明から、仙元神社は富士山信仰の神社であるから、静岡県富士市にある「富士山本宮浅間(せんげん)神社」の「せんげん」を、「浅間」から「仙元」に書き替えたことが推定される。社殿の左後ろに立つ大きな石碑に「富士山登山・浅間神社参拝記念」と書かれているので、私の推定に間違いはなさそう。 仙元神社の祭神は分らないが、浅間神社の祭神は美人の誉れも高い木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)であり、木花咲耶姫命を祭神とする浅間系の神社は、全国に千三百社を数えるという。 私は30年くらい前に富士浅間神社を参拝しているが、富士山頂にある浅間神社の奥宮には参拝していない。浅間神社の神徳は農業、漁業・航海、安産・子授け、火難消除、繊維業守護とあるが、この地は江戸時代に木綿縞を織ったと学んだので、繊維業守護の意味があったのではなかろうか。
 木花咲耶姫命は、日本の山の神の総元締・大山祇神の娘で、天照大神の孫にあたるニニギ尊と結婚して、天照大神の子孫を生む神母とされる。 ところが山男の友人が「大昔、富士山と八ヶ岳の高さは同じだった。それを不服とした富士山の女神が、八ヶ岳の頂上を殴りつけた。殴り飛ばされた八ヶ岳は富士山よりも低くなり、山の頂上がギザギザの八つの峰となってしまった」と教えてくれたことがある。 女性の神様はとんでもない乱暴者であるが、それに比べ人間の女性はとてもやさしいのが嬉しい!

   社殿の裏に建屋があり、中に二つの仏像と祠(写真)が並んでいる。真ん中の仏像の下に「星行佛」と書かれているように見える。その左右に市ヶ谷柳と江戸麹町と書かれ、都内または江戸から奉納されたことが推定される。この谷津や中藤地区以外からも参拝者があった様子。 祠は浅間神社であろうか。
仙元家屋

 富士塚に登る。高さ20m はあるようだ。塚というからには、人が造ったものであろう。頂上は平坦な広場(写真)で、ここから富士山を遥拝したのだろう。

仙元広場

生憎広場から富士山が見えない。後日富士山がよく見える日に富士塚に来てみると、南方の木々の間から富士山が見えた(写真)。狭山丘陵から富士山を見るのは容易であるが、わざわざここに小型の富士山を造って、その上から富士山を遥拝するとは、まさに信仰の力である。この富士塚を造った原動力は、人々の信仰の強さか、この地の支配者の力か、いずれなのだろうか?

仙元神社富士山030
 
 広場の奥に小さな祠(写真)があり「浅間神社」と刻まれていた。これで仙元神社と浅間神社が完全に結びついた。 帰途、仙元神社の傍に、中藤から上ってくる舗装道路を発見。中藤村と多摩湖に沈んだ石川の谷を結んだ、昔の幹線道路の峠に仙元神社を建立したように理解した。

仙元祠


ブログ発信後に気付いたけど、仙元神社の社殿が、近くの熊野神社の社殿とよく似ている。ある宮大工さんが両神社の社殿を造ったか、どちらかの社殿を真似して造ったように思われる。同じ村内の神社なので、当たり前の話かもしれない。
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仙元神社

仙元神社から赤坂トンネルに抜ける自転車道を、29日、はじめて歩きました。

石川の村人たちも講中だった

 上貯水池に沈んだ石川の人々が、講のメンバーで、書かれているとおり「中藤村と多摩湖に沈んだ石川の谷を結んだ、昔の幹線道路」で結ばれていました。
 この時代を考えると、狭いようで、実は相当の広さの交流を持っていたことがわかり、江戸から明治にかけての狭山丘陵の村々のつながりの深さを実感します。 野火止用水

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