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狭山丘陵寺社めぐり 110 八雲神社  (所沢市山口)

狭山丘陵寺社めぐり 110 八雲神社

 前報の「来迎寺」を出て、県道55号線を所沢市内に進むと「さくら通り」という西武池袋線小手指駅に向かう道路がある。さくら通りを椿峰丘陵に向けて上る坂道の途中に、枯れた杉の巨木が目立つ「八雲神社」(写真)が建っている。

八雲神社全景

 さくら通りに面した神社の入口に、笠木の両端が反り上がった明神系の一の鳥居(写真)が立っている。
八雲神社一鳥居

 狭い境内の石段の上には、白い二の鳥居(写真)が立っていて、鳥居の後方に小さな社殿(写真)が建っている。
八雲神社二鳥居

八雲神社社殿

 案内板には「美園上八雲神社由緒  当社は鎌倉時代に山口城第十二代城主山口平内左衛門尉高治の嫡子高忠が、山口城の規模を拡大し、六ッ家川の流れを外堀として堀之内に庭園を設けたのを、里人は此の辺りを美園上と稱するようになった。 城主が素戔嗚尊を奉祀し八雲神社(通稱天王様)と尊稱して、城の鬼門守護の社とした。此の後、天正年間山口城は小田原北条の攻める所となり落城した。その後八雲神社を守護する者なく、荒廃の一途をたどった。 その後武蔵郷拾数箇村の総代名主、小峰善右衛門が当社を再興した」と記されている。
 この寺社めぐりの祭神として13度目の素盞鳴命の登場である。狭山丘陵で素盞鳴命の人気が高いのは、ブロ友様の「素盞鳴命を祭神とした武蔵一の宮である氷川神社信仰の狭山丘陵への普及説」が有力と考えられる。 出雲の神である素盞鳴命が武蔵国に祀られた歴史は、史書「国造本紀」に「日本武尊の兄、景行天皇の勅命で、出雲国造の一族である兄多毛比命が武蔵国造として氷川神社に遣わされた」と書かれていることによる。「氷川」は出雲を流れる「簸川(現在名は斐伊川)」に由来するという。 出雲から来た兄多毛比命が武蔵国で善政を敷いたので、氷川神社信仰が関東、特に武蔵に広まっていったとされる。島根県出身の私には、とても誇らしい話である。

 狭い境内の一画に「庭津火神」という小社(写真)があり、社内に丸い石(写真)が祀られている。

八雲神社境内社1

八雲神社境内社2

 案内板には「山口中学校の裏庭の大木の根元に、山の火難除けの神として庭津火神が祀られていたが、学校の用地拡張のためここに移設した」と記されている。 庭津火とは地面に籠る霊魂という意味。兵庫県の西宮神社の境内にある庭津火神社は本殿がなく、塚の形をした土壇がご神体であるというから、ここの社内の丸い石もご神体とみなしてよいと思う。

 八雲神社の500 m南の柳瀬川畔に「桜淵延命地蔵」なる祠(写真)があり、祠内に赤い布をまとった地蔵像(写真)が安置されている。

八雲神社桜淵

八雲神社地蔵

 この辺りの民話に「夜泣きする赤ん坊が、子守りしていた娘から突然いなくなり、翌朝桜淵に水死体となって見つかった。それを苦にして、子守りの娘も桜淵に身投げして死ぬ。それを期に家が傾いた主人が、この延命地蔵を建立し、地蔵堂を生涯守った」という暗い伝説が残っている。 延命の大切さを説いたお地蔵様なのであろう。
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