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寺社めぐり 26 縁切寺満徳寺  (群馬県太田市)

寺社めぐり 26 縁切寺満徳寺  (群馬県太田市)

 前報、歓喜院を見学する前に、群馬県太田市徳川町に建つ「満徳寺」を訪れた。入口の風変わりな山門が「駆込門」とも呼ばれる「山門」(写真)である。江戸時代、夫の不法に泣く女が、この門をくぐると、夫との離婚が達成できたのである。鎌倉の東慶寺とともに、日本に二つしかない縁切寺である。
満徳寺駆込門

 中門(写真)をくぐると、満徳寺の「本堂」(写真)に出る。 本堂は20年前に門と共に再建されたもので、新しい。
満徳寺中門

満徳寺本藤

 満徳寺は山号を徳川山という時宗の寺院である。江戸幕府を開いた徳川氏の祖とされる世良田義季により創建されたと伝えられる。そのことから徳川氏の帰依を得、2代将軍・徳川秀忠の娘・千姫が豊臣秀頼と別れた後、縁切りのためこの寺に入り、その後本多忠刻に再嫁したという。 江戸時代には江戸幕府の支援を得ていたが、幕府瓦解により明治五年に廃寺4となった。しかし地域住民が本尊や資料を守ってきたので、平成四年縁切寺満徳寺資料館が開館し、平成六年に本堂・門などが復元された。

 縁切寺資料館(写真)には、江戸時代の縁切りの事情を詳しく伝えている。縁切門の直前で、追ってくる夫を振り切ろうとする女の絵(写真)が迫力十分。二階では縁の切れた女たちが、優雅に暮らしているという絵。 当時の女性たちの苦難はよく分るが、現在縁切寺があれば、男性の駆け込みが多いであろうと思われる。

満徳寺資料館

満徳寺絵

 道路に「徳川氏発祥の地」の幟(写真)が見える。徳川家康は、元は松平家康であった。家康の親戚や部下に松平姓が多く、彼らよりは一頭地抜けた存在を示すために家系を調べ、昔この地で徳川氏を名乗っていたことが分ると、以後家康の直系のみに徳川を名乗らせたと伝えられている。従って大田市徳川町は、徳川氏発祥の地と名乗っているのである。
 
満徳寺徳川

 満徳寺と道路を挟んで建つのが「永徳寺」(写真)。 案内板には「医王寺和光院永徳寺 天台宗 本尊薬師如来  寺伝によると、天台宗の開祖・伝教大師最澄の弟子有海上人によって大明元年(806)に創立され、関東最初の天台三道場の一つだったという。 建久三年(1192)に徳川氏の祖、徳川(新田)義季が徳川郷に居館を構えると、薬師如来を深く信仰し、当寺を祈願所とした」と記されている。
満徳寺永徳寺

 徳川の郷のように記されているが、「徳川家康の改姓の基となった郷」と考えた方がよさそうである。

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