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寺社めぐり 25 歓喜院聖天堂  (埼玉県熊谷市)

寺社めぐり 25 歓喜院聖天堂  (埼玉県熊谷市)

 公民館サークル活動のマイクロバスで、熊谷市の「妻沼・聖天山(登録名称:歓喜院聖天堂)を訪れた。
 バスを降りると、歓喜院聖天堂の「総門」となる、二階造りの「貴惣門」(国指定重要文化財、写真)が建っている。江戸時代末期の嘉永四年(1851)に竣工した豪快な門である。

歓喜院貴惣門

 総門から参道を進むと、右に「斎藤別当実盛公」の銅像(写真)がある。実盛公が当地の荘司として、祖先伝来のご本尊聖天さまを治承三年(1179)にお祀りしたが聖天堂の始まり。 実盛公は平家物語、保元物語などに武勇に勝れ、義理人情に厚い人柄が称えられている。次いで実盛公の次男斎藤六実長が出家して阿請房良応となり、建久八年(1197)に本坊の歓喜院を開創した。

歓喜院齋籐像

 参道を進むと「四脚門(中門)」が現れ、右に「国宝聖天山本殿」の掲示がある。平成24年7月に「本殿」が国宝に指定されている。これから見学する本殿のみが国宝なのである。 この四脚門は聖天山の中では最古の建物で、里人は「甚五郎門」と称している。

歓喜院中門

 次に現れた大きな門が明治27年に再建された「仁王門」(写真)であり、門内に恐ろしい形相の「仁王さま」(写真)が、境内に悪者が入らないように睨みをきかせている。

歓喜院仁王門

歓喜院に汪像

 境内の最奥に見えてきたのが、国宝「本殿」正面、即ち拝殿(写真)である。廟型式権現造りの拝殿はとても重厚であるが、美しさには欠ける。 この本殿は妻沼の大火で焼失したが、享保から宝暦年間(1750頃)にかけて再建されたものである。

歓喜院御本殿

 驚いたのは大きな拝殿の後方に続く「奥殿」(写真)で、三方の壁面を全て彫刻で装飾し、華麗な色彩が施されている。まさに日光の東照宮の輝きであり、この彫刻は左甚五郎が彫ったと知り、納得。
歓喜院奥殿

 奥殿の彫刻を観賞しながら一周。美しい彫刻の中から三点(写真)を紹介する。

歓喜院彫刻1

歓喜院彫刻2

歓喜院彫刻3

 最初の彫刻が「鷲と猿」で、木登り上手な猿はその上手さにうぬぼれて、手を滑らせて木から落ちて水におぼれる直前、危機一髪のところを鷲に助けられている彫刻。猿はわたしたち人間。鷲は聖天様を象徴している。 次の彫刻は、真ん中が囲碁を楽しんでいるので、聖人たちか人々の日常生活と推定される。 その次の彫刻も同様であるが、雲がたなびいているので、聖人・仏の世界であるように思われる。
 この彫刻は左甚五郎作と言われている。日光・東照宮の有名な眠り猫も左甚五郎作とされているが、歓喜院・奥殿は東照宮より百年後に造られている。従って奥院の彫刻は、初代左甚五郎ではなく、彫刻家・左甚五郎家の四世か五世が彫ったのではないかと推測されている。
  
 奥殿の後ろに境内社が7社もあり左に天満宮、真ん中に五社(諏訪、灌須、井殿、稲荷、神明大明神)神社(写真)、右に三宝大荒神社が並んでいる。境内を守護する神社か、神仏習合時代の名残の神社であるのかも知れない。
 
歓喜院境内社

 この歓喜院は、聖天山と号する高野山真言宗の準別格本山で、本尊は歓喜天御正体錫杖頭(重要文化財)。 妻沼聖天さまと呼ばれる錫杖の中央に祀られたご本尊は、弘法大師が唐より請求されたという、日本最古の聖天像として知られ、特に縁結びの霊験あらたかとされる。
 従って境内には弘法大師を祀る「大師堂」(写真)が建ち、この大祠堂が関東八十八箇所第88番結願所である。関東八十八箇所とは、関東一円に広がる真言宗の寺院を巡礼するもので、第1番発願所は高崎市の慈眼寺で、いわゆる「高崎観音」のある寺院で、最後の結願所が歓喜院大祠堂となる。
歓喜院大師堂

 境内には「平和の塔」という仏塔(写真)が建ち、歓喜院はこれから「埼玉の小日光」という観光地を目指しているようだ。

歓喜院平和塔

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