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狭山丘陵寺社めぐり 95 全徳寺  (所沢市北野南)

狭山丘陵寺社めぐり 95 全徳寺

 前報の「藤森稲荷神社」から狭山丘陵を北に下りた所に建つのが「全徳寺」。 丘陵内の部落の中に、南向きの大きな山門(写真)が建っている。山門は切妻造りの四脚門で、山号の梅林山と書かれた扁額が掛かる立派な門。 参道に植えられた蝋梅が美しいことから、梅林山の山号となったようである。
全徳寺山門

 参道の奥に大きな本殿(写真)が建ち、埼玉県の寺院に多い「増上寺の灯籠」も立っている。 本殿の内部(写真)も非常に豪華であり、全徳寺が大寺であることがよく分る。

全徳寺本堂

全徳寺本堂内部

 山門前の案内版には「全徳寺の正式名称は梅林山 北野院 全徳寺である。本尊は釈迦牟尼如来で、文殊菩薩と普賢菩薩を配した釈迦三尊である。 曹洞宗の寺院で大本山は福井県永平寺(御開山高祖道元禅師)横浜市総持寺(御開山太祖瑩山禅師)。 伝統:お釈迦様よりの正統な仏法は達磨大師によって中国に伝えられ、曹洞の禅風として開花し、鎌倉時代道元禅師のお伝えにより日本開宗となす。その教義は瑩山禅師によって広く全土に実践教化され今日に至る」と記されている。
 インターネットでは「山門・本堂は平成元年に完成したものであるが、寺伝によれば、永禄年間(1560頃)に、開山の願山明鑑和尚が、地区内にあった無住の数寺を統合したものと言われている」となっている。

 境内には灯籠や五輪塔の向うに「観音堂」(写真)が見え、これが「武蔵野三十三観音霊場」の第12番札所であり、堂内には「普悲観音」(写真)が安置されている。 普悲観音とは、観音菩薩が三十三の姿に変化した一つで、平等普遍の大慈悲心を強調した名称である。 この普悲観音像は新しく造像されたもので、元々の本像は本堂内に安置されているというから、本堂の仏壇の奥にあった小さな仏像が普悲観音かも知れない。すると12番札所は観音堂ではなく、全徳寺ということになる。
全徳寺境内

全徳寺観音堂内

 墓所近くに「太子堂」(写真)が建ち、聖徳太子を祀ったものと思われる。 狭山丘陵北麓に建つ「太子堂(56報)」に参拝したのが思い出される。

全徳寺太子堂

 丘陵の尾根上に建てられた本堂から小手指方面を眺める(写真)と、新田義貞の鎌倉攻め(1333)で有名な小手指古戦場が望まれる。新田義貞軍が鎌倉幕府軍に、最初に勝利した古戦場である。 「小手指」という名称には、如何にも古戦場らしい雰囲気が漂っているように感じる。

全徳寺墓所2

 山門を出たところに、大きなお地蔵さま(写真)が立っている。どのようなお地蔵さまか分らないが、部落の人々にとても大切にされているようである。

全徳寺地蔵像
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