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狭山丘陵寺社めぐり 93 堀口天満天神社  (所沢市上山口)

狭山丘陵寺社めぐり 93 堀口天満天神社

 前報「清照寺」横の茶畑の中の道路を、狭山丘陵に向って上ると、茶畑の向うの雑木林の中に「堀口天満天神社」(写真)が見える。狭山丘陵の中の美しい風景の一つである。

堀口天満遠景

 丘陵にかかる石段の下には、神明系の一の鳥居が立ち、石段の上には明神系の二の鳥居(写真)が立っている。神明系鳥居の神社に、明神系鳥居の神社が合祀されていることが推定される。
堀口天満鳥居

 広い境内の奥に、雑木林に囲まれた、重厚な拝殿(写真)が建っている。 数年前に参拝した時は、人の気配のない薄暗い境内が心細かったが、今回はバイクで乗りつけてきた参拝客がいたので一安心。この歳になっても寂しい場所を怖がる癖は治らないのである。 社殿を横から見ると、拝殿に続く幣殿と本殿は一体化した建物(写真)であることが分る。

堀口天満拝殿

堀口天満本殿

 堀口天満天神社は、前報の清照寺に墓のあった地頭久松氏が、天正年間(1573~93)に耕地を寄付して創建し、堀口村の鎮守としたという。天満天神社は、北野天満宮を総本社とする天満宮のことで、祭神は菅原道真の他に、天穂日命と花園姫。 菅原道真は学問の神で、天神様とも呼ばれ、天神信仰の神社は全国に3953もあり、八幡信仰、伊勢信仰に次ぎ全国で第三番目に多い神社の祭神である。 天穂日命は、入間市の「出雲祝神社」(58報)の祭神で、古事記の国譲り神話によると、高天原の最高司令神・天照大神が、大国主命の支配する出雲国を自分に譲るようにと地上に派遣したのが、自分の子どもである天穂日命。ところが地上に降った天穂日命は大国主神に心服してしまい、地上に住みついて出雲国の有力豪族・出雲氏の祖神となってしまう。 花園姫は、天穂日命の妻となった神様ではないかと推定した。
 堀口天満天神社は、旧堀口村の天神山に鎮座していたが、狭山湖の造成により湖底に沈むことになったため、昭和九年に前報の清照寺と共に、この地に遷座したもの。
 境内社が二社あり、いずれも清照寺境内に建っていたが、明治元年の廃仏稀釈令の時に、天満天神社に合祀されたもの。 境内社の一つが「八坂神社」(写真)。祭神は素戔嗚尊で、これも出雲の神様。
堀口天満八坂

 もう一つの境内社は「火消稲荷神社」(写真)。案内板には「この神社はこの地に移転後、不心得者の仕業で放火により一部を焼失しました。今回分解したところ不思議なことに御神体の所で延焼を免れ、大事に至らずに済みました。これを機会にこの霊験あらたかな稲荷神社を、火消稲荷神社と称し後世に遺して行くことにしました」と記されている。
 この程度のエピソードで神社名が決まるのか、と一旦は首をかしげてみたが、発見した氏子の人々には大変なご神託と受け取られたと理解することにした。

堀口天満稲荷

 天満天神社即ち天満宮の鳥居は通常、上に反った明神系。境内社の八坂神社も稲荷神社も、鳥居は普通明神系。明神系の二の鳥居については納得した。すると神明系の反りのない一の鳥居に相応しい神社(例えば神明社)が、境内に存在しないのが不思議。 鳥居について少し勉強したつもりなのだが、疑問を残したまま神社を去る
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高麗郡

 慶安2年(1649)三代将軍・家光の寄進状に「武藏国高麗郡堀口村」とあり、入間郡を含めて、いろいろ面白い背景が語られます。一の鳥居はまた、別の面白さを秘めているようですね。解明の手がかりがつかめると良いですね。期待しています。 野火止用水
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