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狭山丘陵寺社めぐり 91 千門大明神  (所沢市上山口)

狭山丘陵寺社めぐり 91 千門大明神

 所沢市上山口地区の「高橋交差点」近くに建つのが「千門大明神」。交差点の北西に向って丘陵を上ると「八幡」の額のある鳥居(写真)がある。

千門明神鳥井

 鳥居をくぐると小さな社殿(写真)が建ち、これが千門大明神。 社殿の内部には小さな祠(写真)があるだけの小社である。 「八幡」の額があるから「八幡神社」であると思われるが、祭神などは不明。更に「千門八幡神社」と呼ばないのも不思議。 境内の石碑に「山口領阿部鎮守」の文字があるが、この意味もよく分らない。

千門明神社殿

千門明神内部

 千門は「ちかた」と読み、インターネットに興味ある説明文を見つけた。そこには「承平・天慶年間の平将門の乱の時、将門の落武者が大勢この地に立往生し、いずれも生々しい血刀をぶらさげていたという。里人はこれらの戦死者を手厚く葬り、その血刀と鎧を埋め、その地に祠を建て『血刀大明神』として祀った。血刀は千刀とも書き、千門ともいう。 今は八幡神社として祀られている」と記されている。 下総国川口の戦いで平将門は大敗しているので、将門の部下が落武者となり、荒川を渡ってこの地に逃れてきたことは予想される。里人が落武者を手厚く遇し、祠まで建てたのは美談である。 しかし当時貧しい暮らしをしていたと思われる里人が、貴重品であった刀と鎧を埋めたのには疑問が残る。むしろ落武者狩りをして刀や鎧を奪い、その祟りを恐れた里人が、祠を建てて祀ったと思われるのだが・・・・・・ 瑞穂町の加藤神社にも、落武者に手厚くした説と厳しい対応をした説の両方が存在するのである。
 しかし、歴史を学ぶ人間としては、もっと心に暖かさが必要だと思われ、反省!
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良い話ですね

 将門に関して「狭服山(さふく・さやきやま)」を狭山丘陵と解する見解があります。武芝の営所と武蔵国府との位置関係からすれば、千門の伝承も生きてきます。
 とても面白く、読ませて頂きました。 野火止用水
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