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狭山丘陵寺社めぐり 88 狭山不動尊  (所沢市上山口)

狭山丘陵寺社めぐり 88 狭山不動尊

 前報の「金乗院」に隣接する「狭山不動尊」を紹介する。 入口に建つのが「勅額門」(写真)。 案内板には「元東京芝の徳川家台徳院(二代将軍秀忠公)の御廟に建立されていたものである。重要文化財」と記されている。 台徳院は、芝の増上寺の中に建てられた霊廟で、太平洋戦争時の空襲でほぼ全焼したが、焼け残った「勅額門」が、西武鉄道によりこの地に移設されたものである。
狭山不動勅願門

 勅額門をくぐり石段を上った場所に建つのが「御成門」(写真)。 これも台徳院の焼け残った門である。 二つの門は徳川秀忠や建立した徳川家光の威光を示すに十分な美しい門である。

狭山不動御成門

 御成門の天井絵「飛天」(写真)が美しい。 中国・敦煌の莫高窟の飛天の壁画は有名であるが、それよりも映画「敦煌」で、ヒロイン三田佳子が城壁から身を投げる姿がまさに「飛天」であったのが懐かしい思い出。

狭山不動飛天

 貫禄のある黒い門が見えてきた。これが「狭山不動尊総門」(写真)であり、案内板には「元長州(現在の山口県)藩主毛利家の江戸屋敷に建てられた門である」と記されている。
幕末において、徳川幕府が長州征伐を行った時、長州の江戸屋敷は解体されたとされているが、その屋敷門がどのような経緯でこの地に移設されたのか興味深い。

狭山不動総門

 総門をくぐると、狭山不動尊「本堂」(写真)が建っている。 本堂内部(写真)の中央に安置されているのが、本尊の不動明王と思われる。

狭山不動本堂

狭山不動本堂内部

 狭山不動尊の正式名は「狭山山不動寺」。天台宗の別格本山であり、昭和50年創建で、開基は堤義明氏である。西武グループが各地のプリンスホテルを開発する際に、芝増上寺をはじめとする各地の文化財をこの地に集め、オーナーであった堤義明氏と親しかった寛永寺の助力により、天台宗別格本山として建立した。 建立の目的が仏教の信仰とは言い切れないように思われるが、戦後の混乱期に破壊・消滅されかねなかった文化財を救済したと考えるならば評価できる。
 更に天台宗の寺院は、この寺社めぐりでは初めて。本山は寛永寺(天台宗関東総本山)となるのであろうが、総本山は比叡山延暦寺である。天台宗の開祖は最澄で、空海(弘法大師、真言宗の開祖)とはよき競争関係にあったことが知られている。

 境内の奥に建つのが「第一多宝塔」(写真)。 案内板には「この多宝塔は弘治元年(1555)大阪府高槻市の畠山神社に建立されたと伝えられている。 多宝塔とは円塔形の塔身に方形の屋根をのせ、塔身のまわりにひさしを設けたものをいう。一般の塔が元来釈迦の墓を意味したのに対し、多宝塔は大日如来をまつり、わが国では平安時代高野山に建てられたのが始まりである」と記されている。
狭山不動多宝塔1新

 狭山不動尊の左隣に建つのが「弁天堂」(写真)。 案内板には「このお堂は滋賀県彦根市の清凉寺に、井伊直孝の息女が父直孝の追善菩提のため、経蔵として建立したものである。このお堂のご本尊の弁財天は、寛永寺山内の現龍院にお祀りされていたのを、当山の開創にあたりお迎えしました」と記されている。 井伊直孝は彦根藩・井伊家第2代の藩主で、大阪冬の陣、夏の陣で活躍している。
狭山不動弁天堂

 弁天堂の左隣に建つのが「羅漢堂山門」(写真)。 案内板には「虎の門、元田中平八郎邸より移築したものである」と書かれている。

狭山不動羅漢堂門

 山門が閉じているので、塀の外から「羅漢堂」(写真)を見学。 案内板には「明治の元勲として有名な故井上馨公が、奈良二月堂の経堂を模倣して屋敷内に建立したものである」と記されている。 羅漢堂の前に林立するのが「唐金灯籠」 案内板には「東京芝徳川家台徳院霊廟に建てられたもので、全国の大名が献納したものである」と記されている。 この灯籠は見ごたえがあり、狭山不動尊内の文化財では最高クラス。

狭山不動羅漢堂

 羅漢堂の左隣に建つのが「大黒堂」(写真)。 案内板には「このお堂は歌聖・柿本人磨のゆかりの地、奈良極楽寺境内に建立去れた人磨の歌塚堂である。お堂の中のご本尊・大黒天は、寛永寺山内の見明院に奉安されていたのを、当山の開創にあたりお迎えしました」と記されている。 私は歌聖・柿本人磨神社の傍で少年時代を過ごしたので、故郷・島根を思い出させる歌塚堂である。
狭山不動大黒堂

 大黒堂の近くに建つのが「第二多宝塔」(写真)。 案内板には「この多宝塔は室町時代中期、永享七年(1435)兵庫県東條町の椅鹿寺に、播磨国守護・赤松満男教康が建立したものである」と記されている。
狭山不動多宝塔2

 境内の最奥に建つのが「康信寺」(写真)。本堂内部の真ん中に仏像(写真)があるが、孔子像ではないように思える。 インターネットによると「ここは元ユネスコ村の孔子廟であった。西武グループの創設者堤康次郎氏が、孔子、孟子、子思子像を安置していた。ところが仏教の寺の境内に、儒教の孔子廟があるのはおかしいので、堤康次郎の法名に因んで康信寺と名付けられた」と記されている。 康信寺の宗派や本尊は分らない。
 実は5年前、台湾の日月潭湖畔の「文武廟」を観光した時「ここにある孔子像はレプリカ。本物の孔子像は日本のユネスコ村の孔子廟にある」との説明を思い出した。本堂内部の仏像は孔子像ではなさそうなので、その有名な孔子像は寺内に大切に安置されているのであろう。

狭山不動庚信寺

狭山不動庚信寺内

 最後に、参道の両側に立ち並ぶ「石灯籠」(写真)を紹介する。いずれの石燈籠にも「増上寺」の名前が刻まれており、芝の増上寺から移設したもの。 この増上寺石灯籠は埼玉県の寺院によく見かけられ、西武鉄道から献納されたことになっている。

狭山不動燈籠
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