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狭山丘陵寺社めぐり 81 妙善院  (所沢市三ヶ島)

狭山丘陵寺社めぐり 81 妙善院  (所沢市三ヶ島)

 前報「願誓寺」から東に 1 km 離れた「狭山観音霊場めぐり33番札所」である「妙善院」(写真の赤○ 緑○はこれまでにめぐった札所)に着いた。なんと「狭山三十三観音霊場めぐり」の第33番となり、第1番の「金乗院(山口観音)から始まった霊場めぐりの最後、即ち結願寺がこの「妙善院」であった。 当寺は「武蔵野三十三観音霊場第14番札所」でもある。
妙善院地図129

 入口の石段の上に「惣門」(写真)が建っている。両側に立つ石柱には「曹洞宗光輪山 三ヶ島寺妙善院」と彫られている。 三ヶ島地区を代表する寺院であるらしい。

妙善院惣門

 惣門をくぐると、大きな「山門」(写真)が建っており、両側に仁王像と2階には十六羅漢像があるという。山門の規模からこの寺院が大寺であることが分る。

妙善院山門

 幼稚園のある広い境内の奥に「本堂」(写真)が建っている。本堂の内陣(写真)は金色に輝くかなり豪華なもの。ご本尊は確認できなかった。

妙善院本堂

妙善院内部

 武蔵野三十三観音霊場公式サイトには「妙善寺は、旧前沢村(東久留米市)浄牧院の末寺で、本尊は白衣観世音、行基の作といわれる。 当寺は天正年間(1570年代)源義家の後孫、徳川の旗本、沢次郎左衛門の開基とされ、開山は阿山呑碩大和尚で、現在が18世である。歴代沢家の菩提寺として護持され、由緒ある寺院」と記されている。 この寺社めぐりで、高僧・行基の作に何度も出会ったが、聖徳太子の作にも出会ったのだから、日本古代史に登場する超有名人の作に、今更驚いたり疑問をもってはいられない。 浄牧院は、東久留米七福神めぐりの大黒天の安置された寺院。妙善院同様な大きな山門があったのを思い出した。

 妙善院の境内で最も有名なのが「五輪塔」(写真)。墓所の中のある墓の前に立っている。

妙善院五輪塔

 所沢市ホームページには「五輪塔は、平安時代末頃からつくられた供養塔または墓塔であり、仏教の五大思想の教え表したものといわれています。宇宙を構成する五つの元素である、空・風・火・水・地を表し、各部は上から空輪(宝珠形)・風輪(半球形)・火輪(三角形)・水輪(球形)・地輪(方形)と呼ばれています。 妙善院五輪塔の各輪の四方には梵字が陰刻されており、一番下の地輪には梵字の右に『嘉暦四年三月二日』、左に『了存順寂六十二才』と刻まれています。これは『嘉暦4年(1329)に了存という僧侶が62歳で亡くなった』ことを示しています」と記されている。 鎌倉時代末期の五輪塔は珍しいもので、埼玉県指定文化財となっている。
 五輪塔は「71報、五輪様」以来の出会いとなるが、妙善院の五輪塔の方が大きくて磨滅が少なかった。

 境内には、大きな慈母観音像の横に「鐘楼」(写真)が建っている。

妙善院鐘楼

 更に「地蔵堂」には、お地蔵様(写真)が大切に祀られている。

妙善寺地蔵尊

 小丘の上に「金比羅大権現」(写真)が建ち、境内や墓所の守護をしている。

妙善院金比羅

 当院は通称「原の寺」ともいわれ、杉の大木が林立し、狼の穴も本堂横にあり、さぞや昔は山中の寂しい寺であったと伝わるが、現在は西武線小手指駅から早稲田大学行きのバスの途中に位置し、住宅地に囲まれた町の中の寺院と化している。 予想以上の大寺であったのに満足して、狭山観音霊場めぐりの最後の寺院・妙善院を去った。
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