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寺社めぐり 22 新潟市

寺社めぐり 22 新潟市

 毎年5月末に開催される、元勤務していた会社のOB会出席のため新潟市を訪れ、新潟市の寺社めぐりを行った。

1 新潟県護国神社

15年ぶりの護国神社への参拝。神社の北、1 kmの場所に3年間住んでいたので、散歩コ    
ースとして何度も訪れた懐かしい神社。 大きな一の鳥居(写真)から境内に入る。

護国神社一鳥居

 長い参道の両側には、戦没者慰霊碑などの石碑が沢山並んでいる。 境内の広場に出たところに、二つの燈籠と二の鳥居(写真)が立ち、広場の向こうには護国神社の拝殿が見える。この広場で「薪能」を観賞したことが思い出される。

護国神社二鳥居

 拝殿(写真)は大きくて重厚であり、新潟県内では越後一の宮である「弥彦神社」に次ぐスケールの大きさ。 明治元年に創建され、新潟県出身の戦死者を英霊として祀り、現在の祭神の数は75.000余柱となっている。

護国神社拝殿

 参道の途中にあるのが「戊辰殉難者墓苑」。 幕末の鳥羽・伏見の戦いから始まり、やがて全国各地に広がった戊辰戦争は、新潟市も激しい戦場と化した。西軍(薩摩、長州ら新政府軍)と東軍(米沢、会津、庄内)の両軍に多数の戦死者が出て尊い命が失われた。 明治元年に新政府軍(西軍)側戦死者415柱を祀って社殿を造立し、新潟招魂社として祭られた。 これが後に護国神社と改称したもので、護国神社の創建は戊辰戦争に深く係わっていることが分った。
 「墓苑」の中心にあるのが「戊辰薩摩藩戦死者の墓」(写真)。150人くらいの戦死者の名前と年齢が記載されている(写真)が、20歳台の薩摩の若者たちの尊い命が失われたことがよく分る。 この墓に薩長政府軍の「討幕、討会津」の気迫がこもっているように感じた。 昨年は東軍の会津若松市の寺社めぐりをし、会津の人々の悲劇を学んだ。今回は、同じ東軍であった米沢市の寺社めぐりをする前の、西軍の戦死者の墓を訪ねたのには運命的な出会いを感じる。

護国神社薩摩墓

護国神社戦死者

 参道から外れた砂丘の松林の中に「蓑塚」(写真)が建っている。案内板には「俳聖芭蕉が元禄二年(1689)七月二日 奥の細道の旅で新潟を訪れたおり、古い蓑(雨具)を脱ぎすて新しいものに更えたことを言う。後人これを偲んで芭蕉の蓑塚の碑を建てると言われている」と記されている。
護国寺蓑塚

 蓑塚の傍には「芭蕉堂」(写真)という、芭蕉が新潟で泊ったであろうと模した建物があり、これは個人の造ったもの。
護国神社芭蕉庵

 奥の細道での芭蕉は、越後路(新潟県)について「鼠の関(山形県最西端)をこゆれば、越後の地に歩行を改て、越中の国一ぶりの関(新潟県の最西端)に至る。此間九日、暑湿の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず」と書いているのみ。越後路については甚だ簡素な扱いである。同行の曽良が「午後5時頃新潟着。ここに宿泊しようとするが、後込宿という下級の宿しか空いていないという」と書いている。 芭蕉一行には越後路や新潟はよい思い出とならなかったようである。 それでも芭蕉は出雲崎で詠んだ「荒海や佐渡によこたふ天の川」という名句を新潟に残してくれている。但し「荒海」は冬の日本海の代名詞ではあるが、7月の日本海を荒海とは言わないと、私はいつも疑問に思っている。

 なお、護国神社近くの海岸で、横田めぐみさんが、北朝鮮に拉致されたのが忌まわしい事件。今年に入り、北朝鮮が拉致被害者の再調査をするとか。風光明媚な新潟の海岸に、全く考えられない事件が起こっていたのである。

2 白山神社

 護国神社と並ぶ新潟市を代表する神社が白山神社。総本社の石川県白山市の白山比咩神社に次ぐ、白山信仰の大社で新潟の総鎮守である。新潟市の繁華街に近いので、新潟在住時によく参拝した神社である。 赤く大きな一の鳥居(写真)から境内に入る。

白山神社一鳥居

 二の鳥居、三の鳥居、四の鳥居をくぐると、「隋神門」という大きな楼門(写真)に至る。

白山神社随神門

 拝殿(写真)は松の枝に隠れて、全体像がつかみにくい。拝殿の内部(写真)はとても美しく、特に花を描いたカラフルな天井絵が魅力的。 「神明照覧」の大文字は「神様が見守ってくださる」の意味かと思われる。
白山神社拝殿

白山神社内部

 白山神社の主祭神は、菊理媛大神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神で、加賀国の白山比咩神社を勧請したものである。菊理媛神は白山比咩大神で女神。「日本書紀」では、夫婦である伊邪那岐神と伊邪那美神が言い争いをするのをとりなした神として登場する、加賀の霊峰白山の御神体である。来年、大学のクラス会が金沢市で開催されるので、白山比咩神社参拝を楽しみにしている。
 
沢山ある境内社の中では「稲荷御蔵」(写真)が興味深い。この小社は「稲荷神社」なのであるが、高床式の建物が稲、即ち米の蔵そのものである。伊勢神宮内に建てられていた「稲荷御蔵」を、新潟地震復興を願って、昭和49年、伊勢神宮を預かる皇室から下賜されたという。これまで稲荷神社は沢山見てきたが、まことに稲荷神社らしい建築様式に感銘を受けた。

白山神社稲荷
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