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狭山丘陵寺社めぐり 77 林神社  (所沢市林)

狭山丘陵寺社めぐり 77 林神社

 狭山丘陵から離れること2 km、少しタイトルの狭山丘陵から逸脱しているけれど、私の姓に係わる神社であるので、特別に訪れることにした。入間市に接する所沢市に「林地区」があり、林川の流域に建つのが「林神社」。この地域はまさに「林」のオンパレードである。 地元の人に道を尋ねながら、ようやく林神社の入口に到着。 入口には鳥居のような大きな建造物が立ち、その後ろに明神系の一の鳥居(写真)が立っている。鳥居の後ろには、長い参道が続いている。

林神社一鳥居

 長い参道の途中に、神明系の二の鳥居(写真)が立ち、明神系、神明系のいろいろな神様が合祀されていることが分る。

林神社二鳥居

 神社の境内の前を、狭山丘陵を水源とした林川(写真)が横切っており、川に架かる赤い橋は「神橋」(写真)と呼ばれている。この寺社めぐりで、神橋に出会うのは初めて。勿論、仏橋にもお目にかかっていない。

林神社林川

林神社神橋

 境内の奥には「林神社」と記された額の架かる、小振りな「拝殿」(写真)が建っている。

林神社拝殿

 拝殿に続く「幣殿」と「本殿」(写真)は、華美に流れない質素な建物である。

林神社本殿

 所沢市ふるさと研究室資料には「村社 林神社  祭神 彦火瓊々杵尊 彦火々出見尊
大山祇神 木花開耶姫命 倉稲魂命  当社天正年間(1573~92)創立したことが承応二年再営の棟札に記され現存している。 明治五年に村社となる。 当社は従来十代神社と称していたが、明治四十年山祇神社・稲荷神社の二社を合祀し、林神社と改称した」と記されている。 ほぼ同じ内容の案内板には、その他に「社名は武蔵野の林が続くことから『林神社』という」と記されている。
 祭神・彦火瓊々杵尊とは「天孫降臨」で有名なニニギノ命であり、祖母に当る天照大神の命により高天原から地上である日向の高千穂に降りてきた神様。山の神・大山祇神の娘・木花開耶姫命を妻として、生まれたのがもう一柱の祭神・彦火々出見尊即ち山幸彦である。山幸彦の孫が神武天皇となり、皇室の祖となる。 この二柱の祭神が主祭神に当り、大山祇命と木花開耶姫命は合祀された山祇神社の祭神で、倉稲魂命は合祀された稲荷神社の祭神と思われる。 

 社殿の左奥に「奥宮」(写真)という境内社が建っている。記念碑には平成元年新築で、祭神は高倉産霊神、天御中主神、神皇産霊神と記されている。これらの神様は、古事記において高天原に最初に現れた神で「造化三神」と呼ばれる。 その中で最初に現れたのが天御中主神で、全ての中心となる神様。高倉産霊神は高天原の中心的な神様。神皇産霊神は出雲の中心的な神様で、大国主命を助けたという。 小さな神社であるのに、神の世界でも最高の地位にある神様を祀ってあるのには驚いた。

林神社奥殿

 境内の建物(写真)は、舞台があるようなので神楽殿かと思われる。

林神社神楽殿

 自分の姓「林」のルーツに興味を持っている。故郷・島根県の海岸には、戦後、韓国からの密航船がやって来て、密航者が日本に潜入するのを知り、自分の祖先も韓国から船でやってきたのだと信じていた。しかし島根県には「林」と称する場所がない。 関東に来て、所沢市に林地区があるのを知り、ルーツにつながるかと関心を持っていたが、案内板には「武蔵野の林をもって林神社と名付けた」と記されていたのにはがっかり。武蔵野の林と島根県の林を結ぶのは難しい。 調べてみると、林性は北陸や中部地方に多いらしい。こうなるとルーツ探しは混沌としてきたので、しばらくはお休み。
 狭山丘陵南麓の武蔵野は、昔は生産性の乏しい茅の原であったという。それに比べ、北麓の武蔵野が森林地帯だったと知り、とても驚いた。不老川、林川、柳瀬川などの水域が森林を育成したと考えられ、茅の原の南麓よりも狭山丘陵北麓の方が人々にとって住み易かったことが推測される。この寺社めぐりには、いろいろな発見があってとても面白い。
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