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寺社めぐり 21 根津神社 ツツジ

寺社めぐり 21 根津神社 ツツジ

 5月1日、好天に恵まれて、根津神社のツツジの花の観賞に出掛けた。

1 根津神社

表参道入口の鳥居(写真)付近は「根津神社つつじまつり」の観光客が多い。

根津神社鳥居

境内の左手斜面のツツジ(写真)は、残念ながら三分咲き程度。「ツツジの名所」である境内は旧甲府藩邸であり、甲府藩主であった第五代将軍徳川綱吉の兄、綱重が屋敷の庭にツツジを植えたことに始まるという。

根津神社ツツジ

 社殿は、楼門(写真)唐門と瑞垣(写真)拝殿(写真)と連なり、緑の屋根と赤や金色の柱や壁が、とても美しい。いずれも国の重要文化財に指定されている。

根津神社楼門

根津神社唐門

根津神社拝殿

 丘の上から見える社殿は、右から拝殿、幣殿、本殿が一体(写真)となった権現造りの傑作とされる。
根津神社本殿

 根津神社は、1900年ほど前に、日本武尊が創祀したと伝えられる。文明年間(1469~86)には大田道灌により社殿が造られた。 江戸時代、ツツジを植えた綱重の子・綱豊が第六代将軍・家宣に就任すると、根津神社は家宣の産土神とされて興隆し、宝永3年(1706)に現在の社殿が完成した。当時は「根津権現」とも称された。
 主祭神は、須佐之男命(八坂神社の祭神)大山咋命(日吉神社の祭神)誉田別命(八幡神社の祭神)。相殿に、大国主命(出雲大社の祭神)菅原道真公(天満宮の祭神)。境内社に二つの稲荷社(祭神は宇迦之御魂神)となると、天照大神以外の有力な神様が、根津神社に勢揃いされており、まことに壮観である。天照大神を祀らないのは、皇室の伊勢神宮信仰への配慮があったものと思われる。

2 円乗寺

 根津神社から少し歩いて、八百屋お七ゆかりの「円乗寺」(写真)を訪ねた。

円乗寺

 天和2年(1683)の大火で焼け出され、この寺で避難生活中のお七は、寺小姓の吉三郎と恋仲になる。寺を引き払った後、お七は吉三郎と会いたいために家に放火して捕まり、鈴ヶ森刑場で火あぶりに処せられた。
 境内にお七の墓(写真)がある。寛政年間に、お七役で名を馳せた四代目岩井半四郎によって建立された。真ん中の小さいのがお七の墓。

お七の墓

 今年1月に鈴ヶ森刑場跡を訪れ、お七が火あぶりにされた場所を知っていたのが、今回の参拝につながった。 更に成長した吉三郎が住職をしていた、目黒の「大円寺」も参拝した経緯がある。
 円乗寺は、南緑山正徳院円乗寺という天台宗の寺院。本尊は、聖観世音菩薩と釈迦牟尼如来である。
 
 近くの大円寺には「ほうろく地蔵」(写真)がある。お七を供養するために熱したほうろく(素焼きの土器)を頭にかぶり、火あぶりの刑になったお七の苦しみを受入れる地蔵が安置されている。 この地域の人々のお七に対する深い同情があるのがよく分る。

ほうろく地蔵

3 六義園

 根津神社のツツジがイマイチだったので、バスで「六義園」のツツジ観賞に向った。 「六義園」(写真)は、徳川五代将軍・徳川綱吉の御用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園である。

六義園

 「六義園」の名称は、紀貫之が「古今和歌集」の序文に書いた「六義(むくさ)」という和歌の、六つの基調を表す語に由来する。 「六義園」には、将軍綱吉のお成りが58回もあり、柳沢吉保の寵臣ぶりもさることながら、この庭園自体が当時にあっても天下一品のものと評価されていたことが窺える。

 六義園は昔からツツジの名所であり、今回は満開に近いツツジの花(写真)を観賞できた。

六義園ツツジ

 特に「八重」の濃い赤色のツツジ(写真)はとても美しかった。

八重ツツジ
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根津神社

数年前に谷根千(やねせん)巡りをしたことを思い出しました。根津神社には立ち寄りませんでしたが。この地域は戦災をあまり受けず、また大規模開発を免れているため、一昔前の街並みが残っていていいですね。Junpei
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