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寺社めぐり 20 塩船観音寺 ツツジ  (青梅市塩船)

寺社めぐり 20 塩船観音寺 ツツジ

 4月23日、奥多摩での高校同期会の帰りに、ツツジの観賞を楽しみに「塩船観音寺」を訪れた。 入口に建つのが仁王門(写真)と呼ばれる切妻造、茅葺の八脚門。門の中に二つの仁王像が立ち、悪い人が入って来ないように睨みつけている。

塩船仁王門

 仁王門をくぐり、石段を上ったところに建つのが阿弥陀堂(写真)。寄棟造妻入、茅葺形銅板葺である。仏壇の上にあるのが阿弥陀如来だと思われるが、撮影禁止であるのが残念。

塩船阿弥陀堂

 更に上って行くと、広場の左奥に「薬師堂」(写真)が建っている。堂内には木造薬師如来立像が安置されている。赤い布に「ぼけ封じ薬師如来」と書いた幟が10本も並び「後期高齢者となったあなたの参拝を待っていた」と言われているように思うのは、私のひがみ。 薬師如来は病気治癒の仏様であることから、ぼけは病気の一種ということか。

塩船薬師堂

 広場から石段を上ったところに建つのが「大悲山塩船観音寺」の本堂(写真)。 

塩船本堂

 パンフレットの塩船観音寺の由来には「大化年間(645~650)に若狭国の八百比丘尼が、一寸八分の紫金の千手観音を当寺に安置したのが開山と伝えられ、貞観年間(859~877)には安然和尚が十二の坊舎を建て興隆を極めたと伝えられております。 当寺の御本尊は十一面千手観音の木彫立像で、像身四尺六寸(1.4 m)鎌倉時代・文永元年(1264)の作にして、宋朝様式の影響を多分に受けています」と書かれている。 大化年間とは、大化の改新のあった飛鳥時代であり、貞観年間とは、空海・最澄が活躍した平安時代初期に当り、すると武蔵の国では大変な古寺ということになる。但し「伝えられています」という表現が微妙であり、古代を明かす物証はないように思われる。
 鎌倉時代には武蔵七党の流れを汲む金子氏の庇護を受け、室町時代には青梅・奥多摩方面に勢力をもっていた三田氏の帰依を得て栄えたとされる。 更に三つの札所でもある。即ち、関東八十八ヶ所72番、東国花の寺百ヶ寺東京13番、奥多摩新四国59番の札所である。
この「狭山丘陵寺社めぐり」を終えたあとは「東国花の寺百ヶ寺」巡礼に出るのも面白い。
 塩船観音寺は真言宗醍醐派の別格本山であり、本山・醍醐寺に次ぐ寺格を持つ大寺。軒下につながる赤・黄・緑・青・白の旗状の幕は、チベットの寺院のタルチョを想わせる。この幕は真言宗醍醐派に通じるものか、単につつじ祭りのものかが見分けられないのが口惜しい。

 本堂横の高地から見渡す塩船観音寺の風景(写真)は見ごたえがある。

塩船展望

 パンフレットには「塩船とは、周囲の地形が小丘に囲まれ、舟の形に似ており、仏が衆生を救おうとする大きな願いの舟である『弘誓の舟』になぞらえて塩船と名付けられたのであります」と記されている。 ツツジの開花は一分咲程度であるのが残念。満開時には、周辺の丘がツツジの花で埋まってしまうのである。
 三方を丘に囲まれた中心に建つのが「護摩堂」(写真)。真言宗などの寺院で、護摩をたき修法を行うための仏堂で、本尊は不動明王。 「厄除け祈願」の幟が沢山並んでいる。

塩船護摩堂

 谷間の最奥の丘の上には、大きな観音像(写真)が立っているが、この美しい小丘には不釣り合いのように見える。
塩船観音像2

 最後に、三分咲となった鐘楼下のツツジ(写真)と納札堂上のツツジ(写真)を紹介する。 ゴールデンウィークには満開のツツジを観賞でる、塩船観音寺は「花の寺」である。

塩船鐘楼

塩船納札堂
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