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狭山丘陵寺社めぐり 71 五輪様  (瑞穂町駒形富士山)

狭山丘陵寺社めぐり 71 五輪様

 狭山丘陵北麓の丘陵沿いの寺社めぐりを終えた。今日からは狭山丘陵から少し外れた、狭山丘陵北方の寺社めぐりをスタート。先ず瑞穂町の狭山神社の傍を北に向い、駒形富士山地区の「五輪様の柿の木」を目指した。 「兜稲荷神社(55報)」で紹介した「五輪様の柿の木の下に落ちていた兜を拾って、祀ったのが兜稲荷神社の始まり」に興味を持ったのが「五輪様の柿の木」を目指した所以である。
 駒形富士山部落の中に、柿の木の大木(写真)が見えてきた。

五輪様カキ木

 大木の幹に添うように、鳥居(写真)が立ち、その向うに小さな祠が見える。

五輪様鳥居

 祠の中に、長い年月を感じさせる古い五輪塔が二つ(写真)安置してある。

五輪様

 案内板には「五輪様と柿の木  五輪様は二基の五輪塔で、伝承によると天正年間(1573~91)甲州武田の家臣がこの地方に住んだといわれ、また天正十年武田氏滅亡の時、その家臣加藤丹後守一族が落ちのびて箱根ヶ崎で討死した際、細渕氏はこの富士山の地に来たり土着したという。 その先祖の供養塔として五輪塔を建てたとみるならば、ここは細渕家先祖の墓であり子子孫孫守り継がれ、墓域は墓地として大切に保存され、五輪様の名で厚く祭祀されてきた。 傍らの柿の木は、古くこの墓所に生育したもので野柿の一種である。推定樹齢三百年、目通り幹周りは二、三五メートル、樹高は十四メートルあり、樹勢なお盛んで枝は遂に地に届くまでに至った。実を採ることや枝を折ることなど固く禁忌として、人皆これを守ってきた」と記されている。
 五輪塔は鎌倉時代以降に一般化した、供養塔や墓塔である。 この五輪塔は武田氏との繋がりがあるようで、一方兜稲荷神社の神主さんも武田家との繋がりがあると言われている。すると柿の木の下に置いてあった兜と伝えられるのは、武田氏所縁の武士の兜、または加藤丹後守一族の兜とも推理できるが、真実は分らない。 五輪塔と柿の大木の組合せには、何故か中世の息遣いを感じた。

 五輪様を訪ねる道端に、庚申塔(写真)が立っていた。駒形富士山地区の人々の、庚申塔への深い愛着が感じた。
五輪様庚申塔
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狭山丘陵北方の寺社めぐり

狭山丘陵北方の寺社めぐり。精力的な記事取材にいつも感服です。Junpei
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