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狭山丘陵寺社めぐり 70 三ヶ島八幡神社  (所沢市三ヶ島)

狭山丘陵寺社めぐり 70 三ヶ島八幡神社

 去る3月4日に狭山丘陵北麓の寺社めぐりを、愛用の自転車で実施した。福泉寺(53報)からスタートして16社をめぐったところで15時を過ぎた。今日の寺社めぐりは、次の三ヶ島八幡神社を最後と決めて、再び狭山丘陵の中に分け入った。狭山観音地図(写真)の赤○が三ヶ島八幡神社。緑○はこれまでにめぐった狭山観音札所。

三ヶ島八幡神社地図126

 路傍で見つけたのが馬頭観世音碑と地蔵像(写真)。寺社めぐりをしているとき、偶然の石像との出会いはもっとも嬉しい瞬間である。

三島八幡馬頭

 丘陵の尾根の上に、笠木の両端が上に反った明神系の鳥居(写真)が見えた。狭山丘陵北麓では初めての南向きの鳥居で、丘陵に向きあう形となっている。鳥居の右に「八幡神社」と刻まれた、大きな石碑も立っている。

三島八幡鳥居

 鳥居の向うに形のよい「拝殿」(写真)が建っている。拝殿の横から眺めると、拝殿に続くやや小振りな本殿(写真)が見える。

三島八幡拝殿

三島八幡本殿

 案内板には「三ヶ島八幡神社  狭山丘陵の西北に八幡社あり、応神天皇(誉田別尊)を祀る地は三ヶ島に属す。 往古、元和発亥九年(1623)、代々ここに住める郷民、鶴岡八幡宮より分祀勧請して一社となし、子孫の守護繁栄を祈願せり。 郷民の崇敬、年を経て重畳、遂に宝暦辛己十一年(1761)大破、三ヶ島村を知行する旗本、武蔵孫之丞、郷民とともに修復普請、建立をなす。社殿の御神体は文化庚午七年(1810)銘文の御神像を祀り、また御神鏡を安置せり  境内社 湯殿神社(大山祇命) 八雲神社(素戔嗚尊)」と記されている。 
神社の創建は江戸時代初期で、修復が江戸時代中期であることが分る。 三ヶ島の近くに大破地区が存在したようであるが、今はどこに位置するのか不明。これから所沢市を歩く時に、大破地区を注意して探してみたい。更にその地区を知行していたのが「武蔵孫之丞」という、武蔵地方管轄にはうってつけの名前であるのが興味深い。
社殿の左に二つの境内社が並び、左側が「湯殿神社」(写真) 出羽三山として名高い羽黒山、月山と並ぶ湯殿山に建つのが「湯殿山神社」 ご神体の大きな岩の上から流れ落ちるお湯(温泉)が特異な風景であった。趣味の温泉めぐりの第139湯目が、湯殿山温泉だと記録している。 この寺社めぐりでは、初めて登場する湯殿神社が、何故ここに祀られているのかは不明。湯殿山神社は修験道の霊地とされているので、境内社「湯殿神社」は修験に関連するのかも知れない。 

三島八幡境内社1

湯殿神社の右に建つ境内社が「八雲神社」(写真)狭山丘陵北麓の神社に多い素戔嗚尊信仰である。
三島八幡境内社2

境内の一角には三個の「力石」(写真)が並び、昔の若者の力比べが偲ばれる。

三島八幡力石

三ヶ島八幡神社をもって、本日の狭山丘陵北麓の寺社めぐりを終える。犬を連れた子どもに「狭山湖の堤防への道」を尋ねると「丘陵への坂道を上れ」と教えてくれた。狭山湖の最奥部からスタートしたのが、いつの間にか狭山湖の堤防の近くにまで来ていたのである。 次は狭山丘陵北麓から離れた平野部の寺社を、瑞穂町、入間市、所沢市と回ることになりそう。この距離的にもっとも苛酷な寺社めぐりをやり遂げれば、狭山丘陵寺社めぐりのゴールが見えてくるのではなかろうか。楽しみである。
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