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狭山丘陵寺社めぐり 65 山之神神社  (所沢市堀之内)

狭山丘陵寺社めぐり 65 山之神神社  

 前報の「八幡神社」から東に向かって300 mも歩くと、目指す「山之神神社」がある。4年前には逆の方向からこの神社を目指し、狭山丘陵麓の民家の裏道から薄暗い参道を上り、やや心細い気分で参拝した思い出のある神社。 茶畑の中の道路で老夫人に教えてもらった神社への参道は、4年前とは違う斜面の小道を上ると、丘陵の上の明るい茶畑ぬ出る。
 茶畑の中の道路の下に「山之神神社」を見つけ、社殿の裏側から薄暗い境内に入る。小さな神社を横から見ると、大きめな拝殿の後ろに小さな本殿(写真)がつながっていることが分る。

山之神神社社殿 (2)

 境内の端に赤い鳥居(写真)が立ち、鳥居も社殿も「都稲荷神社」同様に北向きであるのに驚く。北向きは「鬼門」にもつながり、あまりよい方向とはいえないと思う。
 
山之神神社鳥居

 鳥居の後ろの案内板には「山之神さま由緒 祭神 大山祇神・猿田彦  比留間家の広い山頂に今から約二百年前に鎮座し、多数の信仰があったと伝えられます。本殿内の玉石の記録によれば『文政十一年二月吉日』とあるのみをみても、第120代仁孝天皇(1818)の頃に比留間家13代豊蔵氏が山之神の熱心な信者で、その頃の創立と考えられます。やがて14代音吉氏に継承されますが、家難が続き日蓮様の導きを求めた音吉氏は、敬神の念を深め日蓮様・猿田彦も併祀した」と記されている。 狭山丘陵南麓でも有力者・比留間家の名前に出会っていたが、北麓にも土地の有力者として比留間家の存在があるようだ。
 仏教の日蓮上人を神社に祀るのは、神仏習合の江戸時代には普通のことだったのだろう。今は祭神から外されているが・・・・・・ 前報の八幡神社の境内社である山神社の祭神が大山祇神で、この神社の祭神と同じ。このは単なる丘陵地帯であるのに、山神信仰があったとは興味深い。 最後に、この寺社めぐりで初登場の猿田彦命は、猿や天狗のような怪奇な風貌な神様で、瓊瓊杵尊(ニニギ尊)を日向の高千穂に導いた神様。導き(道案内)の神で、道祖神としても有名。 佐渡島での神式の葬儀では、部屋の神棚の前で笛や太鼓に合わせて、怪奇な猿田彦神が踊り出したのに驚いたことがある。 

 北向きの質素な拝殿(写真)が、薄暗い木立に囲まれて建っている。

山之神神社社殿

 拝殿に近づき内部を覗こうとすると、拝殿の中からラジオの音が聞こえてきた。ラジオ(またはテレビ)のニュース番組が流れているのは、拝殿内に人がいることを示唆している。薄暗い境内なので、なにやら不気味で早々に退散した。
 4年前も、薄暗い参道を不気味に感じたが、今回も同様な気分を味わい、どうもこの「山之神神社」は私の苦手な神社となってしまった。
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