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狭山丘陵寺社めぐり 63 西勝院  (入間市宮寺)

狭山丘陵寺社めぐり 63 西勝院

 前報の「清泰寺」から300 m東、国道179号線「所沢青梅線」から狭山丘陵に分け入ったところに「西勝院」がある。「狭山観音霊場めぐり地図」(写真)の赤丸で示した「29番札所」である。緑丸はこれまでに参拝してきた札所。

西勝院地図122

 白い石柱の立つ入口(写真)から、境内に入る。

西勝院入口

 山門(写真)は「黒門」と呼ばれ、江戸時代からの歴史があり、院内では本堂に次ぐ古い建物。徳川幕府の庇護を示す菊水の御紋(写真)があるとのことだが、見逃してしまった。

西勝院山門

菊水御紋124

 本堂(写真)は安政時代(1854~60)の建立とされ、昭和59年に修復されている。屋根に菊水の御紋があるとのことだが、これも見逃すとは悔しい。

西勝院本堂

 西勝院は宮寺山と号する真言宗豊山派の寺院で、本寺は奈良県の長谷寺。ご本尊は薬師如来である。 開基は知養上人で、慶長11年(1606)没とされるので、江戸時代初期に開山されている。

境内の狭山観音29番札所である「観音堂」には、正観音が祀られている。堂内(写真)を覗くと、美しい祭壇は見えたが、正観音は正面奥の木箱の中に納められているとのこと。

西勝院正観音

 観音堂の左には「大師堂」があり、奥多摩新四国霊場第五番札所。堂中の二体の石佛(写真)は、左が弘法大師像で右は地蔵菩薩像。

西勝院二体像

 五輪塔の右にあるのが筒六地蔵(写真)という珍しい六地蔵。墓所の入口にある六地蔵は、通常は六つの地蔵像がならんでいる。ここでは四面ある石塔の一面に二体の地蔵像が彫られ、三面合わせて六地蔵となる。残りの一面には製作日が彫られている。

西勝院五輪塔

 本堂の右に「閻魔堂」(写真)があり、中に閻魔大王像(写真)が鎮座している。

西勝院閻魔堂

西勝院閻魔像

 閻魔堂右の土の盛り上がりが「宮寺氏館跡」 近づいて撮影(写真)すると、昔の土塁跡であることがよく分る。
西勝院居館跡

 入間市の案内板には「市指定史跡 宮寺館跡  桓武天皇9代の孫、村山(平)頼任は、今から約9百年前、村山に住み武蔵七党の一つ村山党の祖となった。村山(平)頼任の子、頼家には四子があり、その二男の家平が宮寺の領主となって宮寺五郎家平と称して、この地に居館を構えたのである。 すでに8百年以上も昔のことであり、この居館跡の全体遺構を見ることはできないが、西勝院境内南側、東側の土塁と空堀また山門手前左側土塁の痕跡は明らかに当時の遺構の一部である。さらに西側を流れる溝が館の堀であったと推測される」と記されている。
 4年前に西勝寺をご案内して頂いたブロ友様の資料には「西勝院が宮寺氏の館跡に立地していることは、立川の普済寺が立河氏の館跡に立地し、立河氏の菩提寺であったように、宮寺氏が庇護した寺と推察されます。付近には、城の腰・城東・的場・的場後などの城に関係のある地名があります。 村山頼家の長男は山口氏を名乗り『山口郷』の領主となります」と記されている。
 西側から西勝院を眺めると(写真)、小川の向うに存在する寺院が古の城郭のように見え、宮寺郷の領主が住んだ場所に相応しく思えた。

西勝院全景
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もう、西勝院まで!!

 精力的な訪問に脱帽です。宮寺館跡が健在で安心しました。この地域は平安から鎌倉時代にかけて、様々な動きがあり、解らないことだらけです。一つでも良いからとその発掘が期待されています。ご健闘を祈ります。 野火止用水
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