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寺社めぐり 16 埼玉県日高市

寺社めぐり 16 埼玉県日高市

 毛呂山町の「出雲伊波比神社」を訪れた帰途、八高線の「高麗川駅」で下車し、「高麗神社」とその周辺の寺社めぐりを行った。

1 高麗神社

 高麗川駅から西に向かって30分歩き、高麗川の「出世橋」を渡ると、高麗神社に着く。神社入口の桜が咲き始め「高麗の郷」も春満開である。 大きな二の鳥居(写真)の近くに説明板がある。

高麗神社二鳥居

 説明板には「高麗神社は、高句麗国の王族・高麗王若光を祀る社である。 高句麗人は中国大陸の松花江流域に住んだ騎馬民族で、朝鮮半島に進出して中国大陸東北部から朝鮮半島の北部を領有し、約700年君臨していた。その後、唐と新羅の連合軍の攻撃にあい668年に滅亡した。この時の乱を逃れた高句麗国の貴族や僧侶などが多数日本に渡り、主に東国に住んだが、霊亀二年(716)そのうちの1799人が武蔵国にうつされ、新しく高麗郡が設置された。 高麗王若光は、高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くし、この地で没した。郡民はその遺徳をしのび、霊を祀って高麗明神とあがめ、以来現在に至るまで、高麗王若光の直系によって社が護られている」と書かれている。 高麗郡や高麗神社の歴史は、予想以上に古いことが分る。

 参道を進むと、石段の上に美しい楼門(写真)が出現。

高麗神社門

 楼門の向こうには、これも美しい拝殿(写真)が建っている。拝殿と同じような造りの本殿が見えにくいのが惜しい。

高麗神社社殿

 社殿の裏側は広場となり、その中に茅葺の「高麗家住宅」(写真)があり、説明板には「高麗神社の神職を代々勤めてきた高麗氏の住宅です。高麗家に伝わる絵図面に、慶長年間(1596~1615)に建てられたと記されています」と書かれている。
 説明板にはハングル語が併記され、韓国人の参拝客の多いことがよく分る。

高麗神社高麗家

2  聖天院

 高麗神社から300 m南の丘陵に、多くの伽藍を持つ「高麗山聖天院」が建っている。入口付近に建つ山門(雷門)は雄大である。

聖天院雷門

 石段を上り「中門」に至ると、拝観券300円の購入が必要。武蔵野の寺社で入場料を支払うのは初めて。 境内の「阿弥陀堂」(写真)は霊場めぐりの一つで、待ち構えていた僧侶に、仏像にまつわる有難いお話を5分間も聞かされた。

聖天院阿弥陀堂

 そこから急勾配の石段を上ると、平成十二年に落成した大きな「新本堂」(写真)に到着。

聖天院本堂

 新本堂前の崖に、清水の舞台のような造りの展望台があり、日高市街を展望(写真)。

聖天院展望

 拝観券には「聖天院縁起 聖天院は奈良時代に高句麗国より渡来した高麗王若光の菩提寺として、侍念僧勝楽上人により天平勝宝3年(751)創建されました。若光の守護仏聖天尊を本尊とし、爾来600年間法相宗の道場でありましたが、貞和年間(1345)中興秀海上人の代に真言宗に改宗されました。天正年間(1584)圓真上人により不動尊(胎内仏弘法大師御作)を本尊とし聖天尊を別壇に配祀し、現在に至っています。江戸時代には高麗郡の本寺として、門末54箇寺を擁するほどの隆盛を誇りました。境内には王霊廟(墓)があります」と書かれている。
 山門の横にある「王霊廟」(写真)を確認して、聖天院を後にした。

聖天院王廟

3  野々宮神社

 高麗川駅から高麗神社に至る途中、野々宮地区に「野々宮神社」(写真)がある。木立に囲まれた雰囲気のよい神社。

野々宮神社全景

 説明板には「野々宮神社は、祭神に天照大神、瓊瓊杵尊、猿田彦命、倭姫命を祀っている。創立年代は不詳であるが、社家の古文書によると大宝三年(703)社殿修築という記述があって、かなりの古社と考えられる。祭神や高麗川のほとりにあることや、拝殿内の絵馬に『奉献大祓一万度』とあるところなどから、潔斎の宮、お祓いの神であり、京都嵯峨か紫野の野宮の分祠とかんがえられる」と書かれている。嵯峨野の野宮神社の祭神が天照大神で、ここ野々宮神社の祭神と一致するので、野宮神社からの分祠は肯ける。但し、野宮(ののみや)神社を野々宮神社に改めているのが少々気懸かりなところではある。

4  九万八千神社

 聖天院から西武線・高麗駅に向かって歩いていると、巾着田近くの丘陵に「九万八千神社」(写真)という変わった名称の神社を見つけた。「くまんはっせん」と読むそうである。鳥居の後ろに建つ社殿は小さくて紹介するまでもないが、名称が面白い。

九万八千神社鳥居

 インターネットの記事によると、「埼玉の神社」という本では「祭神は八千矛命、つまり大己貴命(大国主命)で『一説には九万(高麗)と八千(新羅)に由来するものという。この高麗地域は上古渡来人の住居した場所であるから興味深い説である』と書かれている」という。 「九万」と「高麗」との関係は分るが、「八千」と「新羅」の関係がよく分らない。私なら単純に「八千」は祭神の「八千矛命」と結びつけたくなるが、如何なものか?
 更に、この神社内に大久保長安の代官所が置かれたという説があるらしい。こんな田舎に代官所は想像しがたいが、江戸時代のこの高麗本郷地区は、結構栄えた場所であったのかも知れない。
 高麗という少し変わった土地の寺社めぐりは結構面白かったと、自己満足をして西武線の高麗駅に向かった。
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