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寺社めぐり 15 埼玉県毛呂山町

寺社めぐり 15 埼玉県毛呂山町

 「狭山丘陵寺社めぐり 58 出雲祝神社」において「出雲祝神社は延喜式内社であり、昔は出雲伊波比神社と呼ばれていた」と書いたが、「毛呂山町の出雲伊波比神社も、延喜式内社であると名乗っている」とも書いていた。 それを読まれたブロ友様から「毛呂山町の出雲伊波比神社を見ておいた方がよい」とコメント頂いた。 入間郡の延喜式内社はどちらの正当性が高いか、私なりに評価をするべきと考えて、毛呂山町に向った。
 八高線の毛呂駅の近くに、目指す「出雲伊波比神社」の入口(写真)があった。

伊波比神社入口

 入口から坂道の参道と石段を上った丘の上が神社の境内で、一の鳥居(写真)が立っている。

伊波比神社一鳥居

 一の鳥居をくぐり、境内の参道を進むと、なにかいわくのありそうな赤茶けた燈籠が二つ立っている。
伊波比神社燈籠

 参道の奥に二の鳥居(写真)が立ち、その向うに神殿が見える。

伊波比神社二鳥居

 堂々とした造りの拝殿(写真)は、昭和五十八年に改築されたもの。

伊波比神社拝殿

 拝殿の左の大きな石柱(写真)に「国寶出雲伊沙比神社本殿」と刻まれていたのに驚く。正確には昭和十三年に、本殿が国宝に指定されたが、戦後は国宝指定がなくなり、重要文化財指定と変わっている。
伊波比神社国宝碑

 重文の本殿は高い垣根に囲まれ見にくいが、拝殿以上に風格のある本殿(写真)が望まれる。

伊波比神社本殿

 社務所で頂いた「参拝のしおり」や「神社由緒」は、内容が詳しすぎるので、インターネットの「出雲伊佐比神社」を紹介すると「古式ゆかしい『やぶさめ』で有名な神社。小高い独立丘陵である臥龍山の上に位置しています。 当社に伝わる『臥龍山宮伝記』によると、景行天皇の53年(123)に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征を成し遂げ、がい施した際、この地に立ち寄り、天皇から賜ったヒイラギの鉾をおさめ神宝とし、出雲の大己貴命をまつったとされ、また、成務天皇の御代に武蔵国造兄多毛比命が、出雲の天穂日命をまつり、大己貴命とともに出雲伊波比神としたとされています。 奈良時代の宝亀3年(772)の大成官符によると天平勝宝7年(755)に朝廷から幣帛(神前に供えるもの)を受けたという記載があり、出雲伊波比神社が官幣社であったことが明らかにされました。 平安時代には、醍醐天皇の勅命で編さんされた延喜式神明帳のなかで武蔵国入間郡五座の筆頭にあげられており、古来より格式の高い神社であったことが解ります。鎌倉時代以降、武士の信仰も集め、源頼朝が畠山重忠に造営を命じ、また、大永7年(1527)の焼失後、翌享禄元年(1528)には、毛呂顕繁が再建しました。 現在の本殿はこの再建時のもので一間社流造、県内最古の神社建築であり、棟礼二面と併せて国の重要文化財に指定されています」と書かれている。 なお、大己貴命は大国主命の別名である。また、毛呂顕繁はこの地の豪族・毛呂氏の一族と考えられる。
 「参拝のしおり」にも「国指定重要文化財・旧国宝 延喜式内 出雲伊波比神社」と書かれている。但し、1500年代の棟札はあっても、900年代の延喜時代の棟札がある訳ではない。 一方、入間市宮寺の出雲祝神社には、大宝二年(702)の棟札がある。 この二社の延喜式内社論争への言及は、ブログの最後にしたい。

 境内には「稲荷神社」(写真)が祀られている。 更に「神楽殿」(写真)があり、社務所には神主さんの家族らしい人々が住んでおられる。社務所に常駐の人がいない、出雲祝神社とは大分事情が異なっている。

伊波比神社境内社

伊波比神社神楽

 更に、社殿の左には細長い「やぶさめ馬場」(写真)があり、十一月三日の「秋祭」では「やぶさめ」が斎行されている。源頼義・義家親子が奥州平定の凱旋途中の康平六年(1063)に、流鏑馬を奉納したのが起源と伝わる。小中学生が乗り子となり騎射を行う民俗行事。 やぶさめ馬場を含む神社一周の非舗装道路では、中学生のグループがかけ声を掛けながら走り回っていて、とても賑やかな雰囲気の神社だった。

伊波比神社流鏑馬

 最後に「延喜式内社」について言及する。 先ず「武蔵国の式内社一覧」の中に「入間郡5座」があり、出雲伊波比神社、中氷川神社、広瀬神社、物部天神社、国渭地祇社が挙がっている。その内、社名と比定社所在地が確定しているのは中氷川神社(所沢市山口と三ヶ島)と広瀬神社(狭山市上広瀬)の二社のみ。他の三社は、社名と比定社所在地が記入されていないのは、素材地などが確定していないのである。中氷川神社のように、二か所記入するならば、出雲伊波比神社(毛呂山町)と出雲祝神社(入間市宮寺)としてもよいのに、「式内社一覧」には記入されていない。
 確定していないのであれば、出雲伊波比神社が「延喜式内社」を名乗ってもよいし、出雲祝神社が「延喜式内社」を名乗るのも構わないだろう。 私なりに二社を比較してみると、神社のスケール、歴史上の記述、式内社への意欲などは、遥かに出雲伊波比神社が勝っている。 出雲祝神社は大宝二年(702)の棟札を持つ強みはあるが、戦国時代に名称が「伊波比」から「祝」に変わっている弱みもある。しかし古式な社殿と長い参道と静寂な森の雰囲気は、延喜時代からの古社を彷彿させるに十分である。 このような私の推定よりは、「出雲伊波比神社」論争は、矢張り歴史学的な判断を待たないといけないであろう。
 私のブログ「狭山丘陵寺社めぐり 59 出雲祝神社」を読まれたブロ友様の「毛呂山町の出雲伊佐比神社を見ておくとよい」とのアドバイスには感謝。お蔭で「延喜式内社」について、多くを学ぶことができたのが有難い。 
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延喜式内社

論争の追求みたいですね!凄い。Junpei
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