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狭山丘陵寺社めぐり 59 出雲祝神社(2)  (入間市宮寺)

狭山丘陵寺社めぐり 59 出雲祝神社(2)  (入間市宮寺)

 出雲祝神社の境内を紹介する。 先ず、二の鳥居の左に「神楽殿」(写真)が建っている。大きな神社には必ずある神楽殿であるが、私の出身の島根県には存在しない。島根県で有名な「石見神楽」の上演は、神社の境内に前日に作られた組立可能な舞台で行われる。従ってこの地のような常設の神楽殿は珍しいのである。常設されているのだから、年間に何度も神楽が催されているのだろうか? それにしてはほとんどの神社の神楽殿が老朽化し、手入れがなされていないように見えるのが気懸かりである。

出雲祝神楽殿

 境内社は二つ。 社殿右には、かなり大きな「八雲神社」(写真)が建っている。八雲神社は、牛頭天王・素戔嗚尊を祭神とする祇園信仰の神社で、総本社は京都の八坂神社。出雲祝神社の祭神・天穂日命の母である天照大神の弟が素戔嗚尊という関係にある。 前報の入間市博物館資料において「文化年間に出版された武蔵野話には、寄木宮とて素盞鳴命を祀る、案ずるに出雲伊波比神社ならんか、これによりてこの地を宮寺と云うらん」と記されているから、出雲祝神社を代表する境内社であったらしい。 社名は、日本神話において素戔嗚尊が詠んだ歌「八雲立つ出雲八重垣妻籠に 八重垣作るその八重垣を」の八重に因むものである。

出雲祝境内1

 社殿の左に建つ小振りな境内社は「護国神社」(写真)。 護国神社は国家のために殉職した人の霊(英霊)を祀るための神社。東京都を除く都道府県に建立され(東京都は靖国神社と称す)、その都道府県出身ないし縁故の戦死者、自衛官・警察官・消防士等の公務殉職者を主祭神とする。 護国神社の境内社には初めて出会い、とても驚いた。

出雲祝境内2

 最後に、出雲祝神社の社殿配置について言及したい。丘陵にある神社は通常、社殿を丘の上に建て、鳥居は丘の下に配している。狭山丘陵南麓の神社のほとんどが、鳥居をくぐり石段を上って社殿に向っている。即ち、社殿や鳥居は南向きに建てられている。 狭山丘陵北麓の出雲祝神社は、通常通りであれば社殿や鳥居は北向きに建てられていてよい。 ところが出雲祝神社は、丘陵に平行して造られており、社殿と鳥居は東向きとなっている。 これは武蔵村山市の神明宮の神主さんの言われたように「社殿や鳥居は太陽の方向、即ち南または東を向くのが普通」の考えに基づくのであろうか。これまで訪れた狭山丘陵北麓の神社は、丘陵地ではなかったけれど水天宮は東向き、兜稲荷神社は南向きに造られていた。 北向きや西向きは「鬼門」ということで避けているのだろうか・・・・・

 社殿裏の広場に立っているのが「重闢(かさねてひらく)茶場碑」(写真)。

出雲祝茶碑

 説明板には「この碑は天保三年(1832)の撰文銘をもつ碑で、狭山茶の由来が記されている。題額は鳥取県若櫻藩主前縫殿頭松平定常、碑文は後の大学頭林韑があたり、当時の一流書家であった巻大任(菱湖)が筆をとったものである。 鎌倉時代栄西によってもたらされた茶は、各地に広まり、この地方にも川越茶がつくられた。その後戦国の乱をへて衰微したが、江戸時代の後期に狭山茶復興の機運が起り、地元の吉川温恭・村野盛政の努力で再興され、文化・文政時代に至って茶の復興全くなり、茶戸五十有余におよび江戸との取引も盛んに行われた。そこで天保元年に建碑の議がまとまり同七年に建立された」と書かれている。
 「重闢」とは、一度閉じた茶作りの扉を再び開くという「復興」を意味する。この辺りが狭山茶畑の中心地であるらしい。

 その広場から斜面と石段を下ると、重闢茶場碑の入口を示す白い鳥居(写真)が、北に向いて立っている。茶場碑のためだけの鳥居には疑問があるが、神社の鳥居ではないので北向きでも構わないということなのか? 社殿・鳥居の南・東向きを発見し喜んでいたのに、最後になって北向きの鳥居を見て、なにか割り切れない気分となってしまった。

出雲祝茶鳥居


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