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狭山丘陵寺社めぐり 55 兜稲荷神社  (瑞穂町駒形富士山)

狭山丘陵寺社めぐり 55 兜稲荷神社  (瑞穂町駒形富士山)

 前報の「水天宮」前の道路を北上し、不老川(としとらずがわ)を越えると、国道16号線を背にした「兜稲荷神社」に着く。狭山丘陵からは 500 m 以上も離れているが、折角この地を訪れたので参拝することにした。
 武蔵野の風景を残す雑木林を背景に、明神系の白い鳥居(写真)が立っている。

兜稲荷鳥居

 鳥居をくぐると参道の向うに、兜稲荷神社の社殿(写真)が建っている。雑木林で陽がさえぎられ、境内は薄暗い。

兜稲荷社殿

 社殿の内部を覗くと、鏡を中心とした、小作りながらも整然とした神棚(写真)があった。これまでの狭山丘陵南麓の神社の社殿内部は、がらんとした空間が多かったけれど、前報の水天宮を含め、狭山丘陵北麓の神社の社殿内部はとても見栄えがする。

兜神社内部

 祭神は「稲荷神」と称される倉稲魂命で、稲の精霊を神格化した神様。日本の代表的な食物神であるが、ご神徳は五穀豊穣、産業興隆、商売繁盛、家内安全、芸能上達など、願いごとはなんでも可能とある。 稲荷神社の総本社である京都の「伏見稲荷神社」に、早く初参拝したいものである。
 この兜稲荷神社は、神社に隣接する栗原家の屋敷神だったとの説がある。多摩地方の旧家の屋敷内にある屋敷神(私の出身の中国地方にはなかったので、とても興味深い信仰である)が、格上げされて神社となったとする説である。 「兜」の由来については、神社の南1 km にある「五輪様の柿の木(後日確認の予定)」の下に置いてあった兜を、神社の神官であった栗原家の先祖が持ち帰り、祀ったことに由来するという説がある。 栗原家の先祖は、加藤丹後守(加藤神社の祭神、52報参照)の家来であったという話もあり、兜稲荷に関する諸説は真偽のほどを別にしても興味深い。

 社殿の右奥に境内社(写真)は「浅間神社」であることが分った。浅間神社は前報「水天宮」で述べた駒形富士山地区名の源となった神社。浅間神社は裁判の結果、箱根ヶ崎地区の所有となってしまったので、駒形富士山地区にある兜稲荷神社の境内に、浅間神社の末社を造ったことが推定される。 兜の由来や境内社の名前から、昔のこの地区で起ったいろいろな出来事が思い浮かぶのであった。
兜稲荷境内社

 これまで全国の稲荷神社は三万二千社もあり、日本で一番数の多い神社であると紹介してきた。それが最近発売された本「なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか」には、全国の稲荷神社は2970社で、八幡神社、伊勢信仰(神明社など)、天神信仰(天満宮など)に次いで、日本で第4位と記載されている。これは神社の総元締めである神社本庁が、その傘下にある79.355社の神社を対象にしてまとめると、稲荷神社の数は2970社となるとのこと。すると稲荷神社三万二千社というのは、神社本庁に登録されていない小社、境内社なども数えたものらしい。 前報の「水天宮」の境内社の一つが「稲荷神社」だったように、多摩地域の神社のほとんどが、境内社として「稲荷神社」を祀っているので、三万二千社という数も間違いではなさそう。 江戸時代の多いものとして「火事喧嘩伊勢屋稲荷に犬の糞」と言われるくらい、稲荷神社が多かったのもよく分るのである。 
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兜伝承は格別です

 初めて知りました。新田集落のお稲荷様と思いましたが、栗原家関係とすれば、中世に遡るのかも知れません。この種の社の記事、大変な努力のたまものです。ますます、楽しみにしています。
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