FC2ブログ

パリ旅行 11 ヴェルサイユ宮殿

  パリ観光の最終日は「ヴェルサイユ宮殿観光」と決めた。各国でいろいろな宮殿を見たが、その都度「ヴェルサイユ宮殿と比べると・・・・」と説明のある「ヴェルサイユ宮殿」を見ておかなくてはいけないと決めた。 メトロとバスを乗り継いで、パリ郊外の「ヴェルサイユ宮殿」(写真)に着く。

ヴェル全景

1 ヴェルサイユ宮殿

ヴェルサイユ宮殿の美しい門(写真)から入場。

ヴェル門

 宮殿前広場には長い行列ができていたので、ここでも最後尾に並ぶ。 1時間近く並んで、ようやく入口に到着。 ようやくヴェルサイユ宮殿(写真)の内部に入場。

ヴェル宮殿

 大きな絵画(写真)で飾られたいくつかの部屋を通過。1662年にこの宮殿を完成させた太陽王、ルイ14世の肖像画がある筈であるが、説明者がいないのでよく分らない。 

ヴェル絵画

2階に上ると有名な「鏡の回廊」(写真)があり、当時極めて高価だった大型の鏡が17枚も使用されたのが、回廊の名前の由来。ガイドブックでは、世界でもっとも有名な宮殿がヴェルサイユであり、もっとも有名な回廊が「鏡の回廊」となっている。今では鏡はさほど目立たないが、美しい天井画と、天井から吊るされたシャンデリアで飾られた回廊は確かに美しい。この回廊は、儀式や外国の賓客の謁見のために使われた。

ヴェル鏡の間

 「鏡の回廊」に続く「マリー・アントワネットの間」があり、最後の王妃・マリー・アントワネットの家族を描いた絵(写真)が気に入った。

パリアントワネット102

 次いで「ナポレオンの間」に入る。ルーブル美術館で観た「ナポレオンの戴冠」の絵画(写真)が飾られている。何故同じ絵画が、ルーブルとヴェルサイユにあるのか不思議だった。 帰国後インターネットで調べると、ルーブルの絵は、画家ダヴィッドがナポレオンに差し上げた絵である。一方ダヴィッドは同じ絵を自分のために描き、所有していた。そのダヴィッド所有の絵が、ヴェルサイユ宮殿のナポレオンの間に飾られているのだった。左から二人目の女性の服装が、ルーブルでは白であるが、ヴェルサイユでは赤の違いがあり、その女性はダヴィッドの恋人であったという。
 
ヴェル戴冠式

 午後はヴェルサイユ宮殿の庭園を観光。 20分くらいプチトランに乗って、庭園最奥の「グラン・トリアノン」(写真)に到着。ここはルイ14世が愛人のマントノン夫人と過ごすために建てた離宮である。

ヴェルトリアノン

 プチトランが「大運河」(写真)に着いたので、下車。ここから宮殿まで歩くことにした。宮殿の2階から眺めると、噴水のある庭園の遥か1 km先に見える湖が、この大運河である。幅が100 mもある運河が、この奥に1 kmも伸びているのだから、ヴェルサイユ宮殿のスケールは信じられないくらい大きい。宮殿の敷地は、縦3 km、横3 kmもあり「庭園の見学には半日は必要」とガイドブックに記載されていた。
ヴェル大運河

 庭園の中央に現れたのが「太陽神アポロンの噴水」(写真) 等身大くらいの沢山の馬が躍動しているのは、アポロンが天馬に引かれて海中から姿を現した像である。残念なのは噴水がお休みであったこと。 
ヴェル噴水

 「ラトナの噴水」から大運河を見渡した風景(写真)が雄大。ルイ14世の時代には、庶民に庭園を解放していたという。この豪華な宮殿と庭園を見て、庶民はよろこんだのだろうか? それともこの豪華な宮殿のために高い税金を課されていることに怒っていたのかも・・・・・・

ヴェル庭園全景

 ヴェルサイユ宮殿は、スケールの大きさでは世界一の宮殿(写真)であるのは認める。但し宮殿だけの比較をすると、ウィーンのシェーンブルン宮殿の方が、私は好きだ。シェーンブルン宮殿の「大ギャラリー」はヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」に匹敵するし、シェーンブルン宮殿の「中国の間」「鏡の間」「磁器の間」「マリー・アントワネットの間」などバラィエティーに富んだ部屋は、ヴェルサイユ宮殿よりも興味深かった。 マリー・アントワネットはシェーンブルン宮殿で生まれ育ち、その後ヴェルサイユ宮殿で生きて、死を迎えるとは、なんと波乱にとんだ人生だったことだろう。

ヴェル後全景

 これでパリ観光が終わる。 初めての個人旅行であったが、パリの良さを満喫できたので満足。次は「秋のパリ」と「夜のパリ」を楽しんでみたい。
スポンサーサイト



パリ旅行 10 プロヴァン観光

 パリ観光の10日目は、NHKテレビが「フランスの美しい村」として放映していた「プロヴァン」の観光。 メトロでパリ東駅に着き、プロヴァン行きの急行列車に乗り込む。

1 プロヴァン

プロヴァンの田舎駅に着き、若い現地女性に日本語で観光コースを教わるハプニングがあった。 セーヌ川上流の清流の小川に架かる橋を渡り、プロヴァンの町に入る。カルガモの親子が泳ぐ溝に沿って、フランスの田舎町らしい家並み(写真)が続く。

プロバン町景色1

プロヴァンは中世には「シャンパーニュの大市」として賑わい、交易の中心都市であった。2001年「中世市場都市」として、世界遺産に登録されている。 丘の上にある中世の町を目指して歩く。 15分も歩くと丘の麓に着き、急坂を上っていくと、大きな教会「サンキリアス聖堂」(写真)があった。

プロバン教会1

 聖堂前の丘の上に建つのが、プロヴァンのシンボル「セザール塔」(写真)で、要塞の中心塔として1314年(日本の鎌倉時代)に完成した。この丘全体が城壁に囲まれた中世の要塞であった。

プロバンセザル塔

 らせん階段を上り、塔の屋上に出ると、展望が素晴らしい。先程のサンキリアス聖堂(写真)や丘の上の中世の町並みが美しい。

プロバン塔風景1

更に遠くにシャンパーニュ地方の平原が広がる絶景(写真)を楽しむ。このセザール塔はこの要塞の見張り塔で、敵の侵攻を監視していたのであろう。 
 
プロバン塔風景2

 丘を下りながら、シャンパーニュ地方の風景をも楽しむ。坂の下にあった教会の尖塔を持つホテルのある風景(写真)がとても気に入った。

プロバン町風景2新
 
村の大通りは、沢山の花が飾られとても美しい(写真)。ここがプロヴァンのメインストリートで、いわゆる「プロヴァン銀座通り」であるらしい。 

プロバン町風景3

 銀座通りの最奥に、三角屋根の「ANCIEN PRIEURE SAINT―AYOUL教会」(写真)があり入場。

プロバン教会2

教会の周辺を一周すると、鐘楼か見張り塔と思える街中の塔(写真)が印象に残った。

プロバン鐘楼
 

パリ旅行 9 モンマルトル観光

 パリ観光9日目は「モンマルトル」観光。

1 モンマルトルの丘

 メトロの駅から歩くと、目の前に「モンマルトルの丘」と、丘の上に建つ「サクレ・クール聖堂」(写真)が見えてきた。
モンマル聖堂全景

 石段を上り、モンマルトルの丘の上に着いた。 先ず丘の上からパリの街の展望(写真)であるが、期待したほどの景観ではない。エッフェル塔やノートルダム大聖堂からの展望がよかったのは、セーヌ川や寺院が近くにあったためと分る。

モンマル展望

 次いで「サクレ・クール聖堂」に入場。 聖堂内部では、祭壇上のイエス・キリストのモザイクの天井絵(写真)が印象的。 サクレ・クールとは「聖なる心」の意味で、1919年に完成した新しい聖堂。この聖堂のよい所は、パリでもっとも高い丘の上に建ち、パリの街のどこからでも聖堂が展望できることにあると思う。「モンマルトルの丘」は「殉教者の丘」を意味する。

パリモンマルトル聖堂

 聖堂後ろの鐘楼(写真)には、19㌧もある大鐘が吊るされているとのこと。

モンマル鐘楼

 聖堂見学の後は「プチトラン」に乗車。小さな機関車に引っ張られた遊覧車で、モンマルトルの周辺観光ができる。 街中でプチトランが止まったのが「ブラッシュ広場」 道路の向うに建っているのが、有名なキャバレー「ムーラン・ルージュ(赤い風車)」(写真)

モンマルムーラン

  昼食後、「テルトル(画家)広場」に行く。この広場はかって村役場のあったモンマルトル村の中心地。パリ中心街に比べて家賃が安いモンマルトルに、ルノワール、ロートレック、ピカソ、モディリアニ、ユトリロ、ゴッホら、多くの画家たちが移り住んでいた。かつてはピカソやユトリロも、ここで絵を描いていたといわれる。今のテルトル広場は、みやげ用の絵売り(写真)や似顔絵描きのテントや小屋で埋め尽くされている。
モンマル広場

 似顔絵描きには興味があったので、画家が女性の似顔絵(写真)を描いているのを眺める。目の辺りから描き始めているが、とてもモデルによく似ているのには感心。
 
モンマル似顔絵

 丘を下りると、「蚤の市」(写真)があった。広場に台を置き、その上に多くの商品が無秩序に並んでいる。商品も骨董品というよりは、使い古した家具や雑貨で、お土産にしたくなるようなものではなさそう。 「フランス人は家具や雑貨を大事に扱い、修理を繰り返しながら長年使う」と聞いている。「故障すると新品を買う」日本人とは習慣が違うその見本が、この「蚤の市」なのだと気がついた。
 
モンマル蚤の市

パリ旅行 8 ノートルダム大聖堂観光

 パリ観光8日目は、「ノートルダム大聖堂」の観光。 ホテルから歩いて、大聖堂に着く。

1 ノートルダム大聖堂

大聖堂観光の最初は、鐘楼(南塔)からの展望。 狭いらせん階段を200段くらい上って着いたのが、塔の中程にある「キマイラの回廊」。ここからパリの西方面が展望できる。回廊の所どころに、ギリシャ神話に登場する伝説の怪物キマイラの像が建ち、小説「ノートルダムのせむし男」を連想させるに十分な風景(写真)。遥か前方にモンマルトルの丘とサン・クレール寺院が見える。

大聖堂展望1

 狭いキマエラの回廊を、北塔から南塔にかけて歩きながら展望を楽しむ。斜め下を流れるセーヌ川の風景(写真)が秀逸。遊覧船が何艘も浮かび、まさに絵になる風景。セーヌ川の下流にかけてはエッフェル塔やモンパルナス・タワーも見える。

大聖堂展望2

 十分に眺望を楽しんだので、南塔のらせん階段から下りようとすると、南塔の上に向かうらせん階段を見つけた。そこで再び階段上りを開始。100段くらい上ると、南塔の上に出た。ここからはノートルダム大聖堂の後方と、パリの東方面の展望(写真)ができる。大聖堂の後方の天を突く尖塔は見応えがある。
大聖堂展望3
 
 午後はノートルダム大聖堂(写真)への入場。 

大聖堂全景

「ノートルダム」とは「我らが貴婦人」即ち「聖母マリア」を意味し、フランス国内には数多く建立されている。1320年(日本は鎌倉時代)に完成したこの大聖堂内部は、美術史上でも重要なゴシック建築であるという。 三つある有名なバラ窓(写真)はとても美しかった。バラ窓は聖母マリアを暗示するもので、ゴシック建築の教会に多い。欧州各地の教会でいろいろなステンドグラスやバラ窓を見たが、このバラ窓は最も印象に残るひとつである。 

大聖堂バラ窓

2 市内観光バス
 
 ノートルダム大聖堂観光を終え、2階建ての赤い観光バスを見つけ乗り込む。2階の椅子席に座り、イヤホーンの日本語案内のダイアルを設定し、パリ市内バス観光がスタート。
 先ず、セーヌ川の左岸を下流に向って行くと、オルセー美術館前を通過。次いで現れた古代ローマ風の建築物は「ブルボン宮」(写真)で、現在は「国民議会下院」として使用されている。 

バスブルボン

ブルボン宮の前、セーヌ川に架かるコンコルド橋を渡ったコンコルド広場から西に伸びるのがシャンゼリゼ大通り。大通りの向うに「凱旋門」(写真)が見える。なおシャンゼリゼとは、日本語に直すと「極楽浄土」の意味。「世界最高の豪華な大通り」という意味にも取れる。 バスが「凱旋門」を半周する。欧州に多い円形の広い交差点の真ん中に凱旋門が建っており、この円形交差点からは12本の道路が放射状に出ており、シャンゼリゼ大通りもその一つの道路である。 

バス凱旋門

 凱旋門からクレベール大通りを走ると、一昨日来たシャイヨー宮に着き「エッフェル塔」の車窓観光。 次いで向かったのが「アンヴァリッド」(写真)教会の地下にナポレオンの墓所があることで有名な観光名所。
バスアンバリ
 
バスは再びコンコルド広場を通過して「マドレーヌ教会」(写真)を半周する。ギリシャ神殿のような美しい建築。聖女マドレーヌ(イエス・キリストの妻ともいわれたマグダラのマリア)に捧げられた教会で、建設にはナポレオンが深く係わっている。 そしてパリで初の観光をした「パレ・ガルニエ(オペラ座)」を車窓観光。 次いでルーブル美術館前を通過して、ノートルダム大聖堂に戻ったところで、観光バスを下車。 パリの主要観光名所をほとんど見ることができたので大満足。

バスマドレヌ

パリ旅行 7 ジヴェルニー観光

 観光7日目、初めてのフランス国内列車の旅。 先ずメトロを乗り継いで、パリ西方面行き列車の始発駅「サン・ラザール駅」(写真)に着く。 

モネ駅

風格のある堂々とした駅舎。インド・ムンバイの世界遺産「ヴィクトリア・ターミナス駅」には及ばないが、東京駅のモデルとなったオランダの「アムステルダム駅」に匹敵する駅舎である。 フランスで最初に列車が走ったのが1838年で、このサン・ラザール駅が出発駅。従って、日本で言えば新橋駅に相当する歴史ある駅。当時は列車が珍しくて、列車がホームに入ってくるのを描いたモネの絵(写真)を、オルセー美術館で観た。
パリモネサン駅103

1 ジヴェルニー「モネの家」

2階建ての急行列車でパリを発ち、ベルノン駅に着く。更にバスに乗り換えて、ジヴェルニーの「モネの家」に到着。 有名な「モネの庭」に入って行く。広い庭には色とりどりの花(写真)が咲き乱れて、とても美しい。それらの花々はモネが自ら植えて、育てたもの。

モネ花1

モネ花2新

広い庭園の一角に、1883年モネが移り住んだ2階建ての家(写真)がある。

モネ家

当時のモネはほとんど無名であったが、この環境の恵まれた家で仕事を続けるうちに有名になり、1926年、86歳のモネはこの家で息を引き取った。 モネが生活した家を見学して驚いたのは、2階に浮世絵を貼りめぐらした部屋が二つもあったこと。モネを印象派の巨匠に育てたのは、庭園の花であり、そして日本の浮世絵であったことが推察される。

 庭園の奥にある有名な「睡蓮の池」を見学。木立の下の水路をたどると、100 m四方もあろうかと思える、大きな睡蓮の池に出る。池は二つあり、二つの池を結ぶ水路の上に太鼓橋(写真)が架かり、まさに日本庭園の趣である。但し太鼓橋の色が日本流の赤ではなく、緑に塗ったのはモネの好みらしい。
モネ太鼓橋

広い池(写真)には沢山の睡蓮が浮かび、ちょうど睡蓮の花が見頃。睡蓮の開花に合わせて、この旅の時期を決めたのがピッタリと当たった。 池の最奥にベンチがあったので、座り込んで30分近くも睡蓮の池を観賞できたのが、この旅では最高の至福の時間。 この大きな池は、モネが掘った人口の池。池造りの背景には日本庭園があったことは確かだと思われる。

モネ睡蓮池

狭山丘陵寺社めぐり 52 加藤神社  (瑞穂町箱根ヶ崎)

狭山丘陵寺社めぐり 52 加藤神社

 JR箱根ヶ崎駅から、国道旧16号線を南に100 m歩くと「加藤神社」の鳥居(写真)が見える。

加藤神社鳥居

 鳥居のすぐ後ろに、小さな社殿(写真)が建っている。

加藤神社社殿

 社殿の内部には、小さな祠(写真)が安置されている。

加藤神社内部

 加藤神社の祭神は、甲州武田家の上野原城主・加藤丹後守景忠。織田信長が武田晴信を征伐し、武田家滅亡の際、上野原から落ち延びた加藤一族が、天正十年四月十一日この地で討ち死。村人がその地に小祠を営んで、丹後守を祀ったのが神社の発祥であるという。 丹後一族が生きのびるのを諦めて自刃した説と、落人狩りで村人に殺害された説があるらしい。前説であれば、村人が哀れと思い丹後守を祀ったのであろう。もし後説であれば、たたりを恐れて丹後守を祀ったことが考えられる。いずれにせよ、裕福であったとは思えない村人が「神社を造ろう」とするくらい、衝撃的な大事件がこの地で起こっていたことが推定される。 落ち武者を祀った寺社は珍しく、関東地方には唯一と言ってよいほどのユニークな神社が、この「加藤神社」なのである。

 社殿の裏には「加藤塚」(写真)が建ち、加藤一族の怨念が偲ばれる。 一族の中でも生き残った人々の子孫が、神社や塚を訪れることがあるという。

加藤神社塚


ブロ友様のコメントを追記する。
「武蔵名勝図会には、加藤神社の最初の形と思われる塚が描かれています。大きな欅の木の下に小さな祠と五輪塔があります。
 ここから、様々な加藤伝承が語り継がれますが、昭和9年、多摩史談会が見学したときの記録が瑞穂町史に掲載されていて、欅、五輪塔は天正頃のものであろうとしています。
 紹介された画像の中で、その五輪塔が形を乱し始めていて?とても残念です」

狭山丘陵寺社めぐり 51 円福寺  (瑞穂町箱根ヶ崎)

狭山丘陵寺社めぐり 51 円福寺

 箱根ヶ崎の大寺「円福寺」は、青梅街道と国道16号線の交差点の近くに建ち、青梅行き都バスの窓からよく見える寺院である。 青梅街道沿いに、やや小振りな山門(写真)が建っている。

円福寺山門

 山門をくぐると石段の上に、見上げるほどの大きな「仁王門」(写真)が建っている。仁王門内の両側に立つ大きな仁王像(金剛力士像)の形相が凄まじい。平成十二年、「円福寺開山四百年遠忌記念事業」として、鐘楼と一緒に仁王門が建てられことを記した説明板がある。 円福寺仁王門は、これまでに訪れた狭山丘陵の寺院では、最大級の門である。

円福寺仁王門

 境内に建つ大きな本堂(写真)は、とても風格のある建物で、明治時代以前に建てられた。以前は茅葺の屋根であったが、近年に現在の屋根に変えられたという。

円福寺本堂

 格子窓から覗いた本堂内部(写真)は、思ったほどにはきらびやかではなかった。

円福寺内部

 円福寺は天正十五年(1587)村山土佐守義光開基、梅室慶香和尚開山といわれる臨済宗建長寺派の古寺。岸地区の禅昌寺(35報)、殿ヶ谷地区の福正寺(41報)と同じく、立川市普済寺の末寺である。 福正寺の説明板に「九世梅室和尚円福寺を開く」と書かれていたので、円福寺は福正寺の末寺かと思い込んでいたが、福正寺と同格な寺院のように思える。 村山土佐守については、その墓のある福正寺(41報)で紹介済み。
 円福寺のご本尊は薬師如来である。病気平癒の功徳があると思われる。

 いつも引用させて頂くブロ友様の資料には「円福寺伝では元応元年(1319)創建を伝えます。武蔵名勝図絵は『円福寺 筥根ヶ崎村にあり。北小山と号す。鎌倉建長寺末なり。寺領十石。天正元年(1573)起立。開山梅室和尚。この寺は往古殿ヶ谷村にあり。阿豆佐美神社より南の田畠を旧地なりと云』の面白い縁起を伝えます」と書かれていて、円福寺は天正元年に殿ヶ谷村または石畑村(丸ケ谷戸)から、この地に移されたことが分る。

 寺内には室町時代末期頃の「紙本着色観心十界図」が所蔵されており、毎年2月15日の涅槃会で展観している。この図は仏教の世界を一般の人にも分かりやすく説明したもので、日本では13点残されている貴重なもののひとつである。
 
 仁王門の左に建つのが「如意輪堂」(写真) 堂内に物思いにふける姿の魅力的な「如意輪観音菩薩像」(写真)が鎮座している。これまで何度か紹介した如意輪観音菩薩の「如意」は、人々の願いを意のままに叶えることを指し「輪」は車輪が転がるように仏の教えを広めることを指す。

円福寺如意輪堂

円福寺如意輪像

 仁王門の右に建つ「鐘楼」(写真)は、仁王門と同時に建立されたもの。

円福寺鐘楼

 墓地入口に並ぶ「六地蔵」(写真)は、これまで沢山見てきた中ではもっとも風格の漂う六地蔵であった。
円福寺六地蔵

 本堂後の丘陵の広大な墓地に入る。墓地の最上部に「円福寺歴代住職の墓」(写真)があり、中央右の墓は「開山 梅室慶香禅師 天正十五年卒」 そして現在は「廿世了山悟堂和尚」であることが分る。20(廿)世、400年の歴史が刻まれた由緒ある墓所である。

円福寺歴代墓

 山門と青梅街道を挟んだ、道路の反対側の墓地に「名主 村山家の墓」(写真)がある。 説明板に「村山家は、箱根ヶ崎村の名主や尾張侯の鷹狩案内役を勤めた旧家である」と書かれている。 村山家は、円福寺の開基・村山土佐守の子孫であるともいわれている。
 名主の墓が、民家の窓に近接しすぎているのが頂けない。それは瑞穂町が東京の通勤圏にのみ込まれている姿を反映しているようだ。
更に昔この辺りが尾張家の鷹狩場であったとすると、前報「筥が池弁財天」で説明したように、江戸時代はこの辺りが、鷹狩に都合のよい芝地であったことが理解できる。

円福寺名主墓

 最後に、円福寺では毎年1月には「だるま市」が、6月には「ほおずき市」が開催されてにぎわいを見せていることを紹介しておく。

パリ旅行 6 エッフェル塔

 パリ観光6日目は、楽しみにしていた「エッフェル塔」観光。

1 エッフェル塔

 メトロから出ると二つの大きな建物があり、これが1937年のパリ万国博時に建設された「シャイヨー宮」 内部はいろいろな博物館となっている。 このシャイヨー宮のテラスから見えるのが「エッフェル塔」(写真) セーヌ川の河岸段丘に建つこのテラスが、エッフェル塔の最良の展望台。

塔全景

 テラスからエッフェル塔に向って下りて行く。 エッフェル塔の下に到着すると、エッフェル塔の展望台行きのエレベーターのチケット売り場への、長い行列ができている。その最後尾に並んだ結果、チケット入手に1時間30分もかかった。
 ギュスターヴ・エッフェルの胸像(写真)を見つける。フランス革命100周年を記念して、第3回パリ万国博が開催された。当時のハイテクのシンボルとして、鉄の記念碑を建てることが決まり、エッフェルの設計案が採用されて、1889年に建てられたのがエッフェル塔。但し鉄の塔はパリに似つかわしくないとの理由で、建設後20年で取り壊すと決められていたのだが、塔上に設置された無線通信のアンテナの役割が認められて、取り壊しが中止となったいきさつがある。そのエッフェル塔が、今ではパリで最も有名なランドマークタワーとなっている。

塔エッフェル氏

 ようやくエレベーターに乗り、高さ115 mの2階展望台に到着。 先ず「凱旋門」方面(写真)を眺めると、眼下を横切るセーヌ川がとても美しい。「パリの空の下、セーヌは流れる」は、まさにこの風景である。セーヌ川には多くの遊覧船が浮かんでいる。セーヌ川の手前に見える大きな建物は「ケ・ブランリー美術館」で、アフリカ、アジア、アメリカ、オセアニアの各地から集められた美術品が展示されている。 「凱旋門」は期待したほど大きくなかった。

塔風景1

右に移動すると、緑の芝生が美しい「シャン・ド・マルス公園」(写真) 公園の向うに建つ黒い高層ビルは、高さ210 mの「モンパルナス・タワー」 

塔風景2

更に右に移動すると、セーヌ川の下流方面(写真)が見える。明日はこの下流に位置するジヴェルニーを訪れる予定。 

塔風景3

更に右に移動すると、朝エッフェル塔を展望した「シャイヨー宮」と「トロカデロ公園」の池(写真)が見える。この「トロカデロ公園」と先程の「シャン・ド・マルス公園」の緑のベルト地帯の真ん中に、エッフェル塔が建っているのである。 「ショイヨー宮」の後方の緑地が「ブローニュの森」で、その背後の高層ビル街は、ビジネスの中心地「ラ・デファンス地区」である。 

塔風景4

これまで多くのタワーや高層ビルの展望台に上ったが、好印象ベスト3は、上海の「上海ヒルズ」、クアラルンプールの「KLタワー」、そしてパリのエッフェル塔。 「上海ヒルズ」は大河を見下ろすダイナミックな景色、「KLタワー」は緑に囲まれた都市の景色、そしてエッフェル塔はセーヌ川と公園の美しい景色が印象的。 残念ながら我が東京のスカイツリーからの展望はイマイチ。隅田川が建物の中に埋没してしまい、景観向上にはあまり役立っていない。世界遺産となった富士山が展望できる日は、評価が上がるかも知れない。

2 セーヌ川・クルーズ

大勢の観光客と共にクルーズ船に乗り込む。席が進行方向の左側だったので、セーヌ川をさかのぼりながら、セーヌ川右岸の景色を楽しむ。 昨日見学したルーブル美術館の建物(写真)が、延々と続いている。建物の長さが500 mにも及ぶ大美術館であることを、クルーズ船で実感できた。

セーヌルブル

 次いでセーヌ川に浮かぶシテ島が見えてきた。そしてシテ島の主「ノートルダム大聖堂」(写真)が見えてきた。想像したよりもはるかに大きな寺院で、有名なバラ窓と二つの鐘楼がよく見える。 鐘楼の頂上に観光客の姿が見えた。私も鐘楼の頂上に上らなくてはいけないと決めた。鐘楼の後ろには、天に向かって聳える尖塔(写真)が見え、とても見栄えのするノートルダム大聖堂の展望に満足。 

セーヌノトル1

セーヌノトル2

シテ島を周回してセーヌ川を下りはじめ、見えてきたのが「コンシェルジュリー」(写真)フランス革命の時、マリー・アントワネットが処刑される前に幽閉された場所。 

セーヌコンシェル

次いで一昨日見学した「オルセー美術館」(写真)が見え、そして最後に見えたのが「エッフェル塔」 これでセーヌ川クルーズが終わり。 初めて見るノートルダム大聖堂とシテ島が印象深かった。 但し、リバー・クルーズとしては、ナイル川、ライン川、ドナウ川クルーズに比べるとスケールが小さく、期待したほどの感激はなかった。

セーヌオルセー

パリ旅行 5 ルーブル美術館

パリ観光5日目は、待望の「ルーブル美術館」(写真)の見学。

ルブル全景

1 ルーブル美術館

 開館と同時に入場し先ず向かったのが、ドノン翼の階段の踊り場にある「サモトラケのニケ」(写真) エーゲ海のサモトラケ島で発掘された勝利の女神ニケの像。残念ながら頭部はないが、優美でダイナミックな姿と翼を広げた躍動美に感動。紀元前4世紀頃の作品である。

パリサモトラケ092

 次いで階段を上り、モナ・リザの写真と矢印に沿って進み、イタリア絵画の間に入って、待望のレオナルド・ダ・ヴィンチの名作「モナ・リザ」(写真)に出会う。何とも言えない「永遠の微笑」を、3 mくらいの至近距離から見ることができて幸せ。観客も少なく最前列で10分ばかり釘づけとなる。 驚いたことに写真撮影がOKである。勿論フラッシュは厳禁としても、世界一の名画をカメラに収めることができるのが不思議。日本では考えられない鷹揚さに驚いた。 「モナ・リザ」の絵の依頼主は、繊維商人のジョコンドで、モデルはその妻リザと言われてきた。しかしこの絵が依頼主に渡らず、ダ・ヴィンチが生涯持ちつづけたのは謎となっている。

パリモナリザ094

 イタリアの絵画観賞はそれまでにして、ミロのヴィーナスを目指してシュリー翼に向かう。1階の古代ギリシャ美術の間に、白い「ミロのヴィーナス」(写真)の裸身が浮き上がっている。エーゲ海のミロス島で発掘されたギリシャ神話のアプロディーテーの像を、いつの間にか「ミロのヴィーナス」と呼ぶようになった。2本の腕が発掘できなかったのは残念なことだが、腕がない方がヴィーナスの優美な姿態を浮き上がらせているように思う。紀元前130年の彫刻家、アレクサンドロスの作品と伝えられる。1964年、東京で展示されたのが、ミロのヴィーナスの最初で最後の海外出張だったとか。

ルブルミロ

 これでルーブル美術館の三大作品の観賞を終える。後はお気に入りの作品を目指して、広い館内を歩く。 ドノン翼2階に戻り、フランス絵画の間で先ず見つけたのがダヴィッド作「ナポレオンの戴冠」(写真) フランス国王に就任し、自らはローマ法王の冠を被り、更に皇妃ジョセフィーヌに冠を被らせようとしているナポレオンを描いた大作。ナポレオンが、そしてフランスが絶頂期にあった時、皇帝専属の首席画家ダヴィッドが描いた名作である。 

パリナポレオン

 フェルメール作「レースを編む女」(写真)を見る。昨年、東京で見たフェルメール作「真珠の耳飾りの少女」と同様に、とても小さな作品。 オランダまで見に行きたいと願っていた「真珠の耳飾りの少女」を、なんと東京で見ることができたのが夢のよう。でも名画を観賞するために、30分も行列をして待ったのには参った。 
ルブルフェル

他の絵画ではジョルジュ・ド・ラ・トゥール作「いかさま師」(写真)が面白かった。上目使いの女が、いかにもいかさま師らしくて見応えがあった。 

ルブル詐欺師

更にアングル作「グランド・オダリスク」(写真)も印象深い。オダリスクとはトルコの後宮の女官のことで、その表情がなまめかしい。

ルブル官女

 午前の最後に見た、フォンテンブロー派の官能的な絵画(写真)も印象深い。

ルブルフォン

 昼食後は、複雑な館内を探し回ってようやく見つけた、カンタン・ド・ラ・トゥール作「ポンパドゥール侯爵夫人の肖像」(写真)は見事な絵。その美貌と知性でサロンに君臨したポンパドゥール夫人は、ルイ15世の寵姫であった。ルイ15世がポンパドゥール嬢を侯爵に昇格させ、ポンパドゥール侯爵夫人と名乗らせたのは本当の話かな? 
ルブル夫人

 再び「イタリア絵画の間」を目指すが、観客が増えて廊下をまっすぐに歩くのが難しい状況。 「モナ・リザ」の前は100人くらいの人だかりで、これは日本の美術館の混雑ぶりと変わらない。朝一番にモナ・リザに突進したのが大正解と分る。更に「見たい絵を決めておき、決めた絵から見て回れ」とガイドブックに書かれてあるのも正解。ルーブル美術館一日観光の基本でもある。
 廊下に出ると、レオナルド・ダ・ヴィンチ作「洗礼者ヨハネ」(写真)を見つける。その右隣にも、ダ・ヴィンチ作「聖アンナと聖母子」が展示されている。「モナ・リザ」を含めたこの3枚の絵は、ダ・ヴィンチがイタリアからフランスに持ち込み、生涯手放さなかったとされる。 更にその右隣にも、ダ・ヴィンチの作品が2点並んでいる。「美しきフェロニエール」と「岩窟の聖母」で、ルーブルには5点ものダ・ヴィンチの作品があるとは驚き。 これまでにダ・ヴィンチの作品は、イタリアで3点、ロシアで2点を見たが、それを合わせたと同じ数の作品を所有しているとは、矢張りルーブル美術館は世界最高というに相応しい。 

ルブル洗礼者

廊下にはラファエロ作「美しき女教師」(写真)という、お馴染みの聖母子の名画が展示されていた。

ルブル聖母

 これでルーブル美術館の見学を終え、予定していたパリの4美術館の見学も終えた。 世界の数々の美術館を見学した結果、私なりに1位はルーブル美術館。2位はウィッツィ美術館(イタリア)。3位はプラド美術館(スペイン)。次点はオルセー美術館とエルミタージュ美術館(ロシア)と自分なりに決めた。ウィッツィはボッティチェリ作「ヴィーナスの誕生」プラドはベラスケス作「ラス・メニーナス」の名画の存在を決め手とした。次点では絵画のレベルはオルセーが勝るが、建物の豪華さでエルミタージュは外せないのである。 名画のランキングでは1位はダ・ヴィンチの「最後の晩餐」と「モナ・リザ」。この2作は甲乙をつけ難い。2位は「ヴィーナスの誕生」と「ラス・メニーナス」。3位はフェルメール作「真珠の耳飾りの少女」とピカソ作「ゲルニカ」とレンブラント作「夜警」としたい。次点にモネ作「睡蓮」としておこう。 これだけの名画を観ることができたことを感謝。もうこれ以上の名画を探したいとは思わない。 彫刻では今日観た「ミロのヴィーナス」と「サモトラケのニケ」が最高。但しミケランジェロ作「ダビデ像」とロダン作「考える人」を未だ観ていないのが、若干の心残り。


パリ旅行 4 オルセー美術館

 パリ観光の4日目は、オルセー美術館(写真)の見学。

オルセ風景

1 オルセー美術館

メトロを乗り継いで、開館直後のオルセー美術館に着いた。 美術館内部の円天井の風景(写真)は、いつもテレビで見ていたオルセー美術館内部の風景と同じだった。 ここはかってのオルセー駅で、駅の建築空間をそのまま利用した美術館。1900年に建設されたオルセー駅は、狭くて不便だったのを理由に1939年に廃駅となった。その後1986年、印象派の絵画を集めた美術館として復活したのである。

オルセ内部

 見学は先ず2階の「モネ展示室」からスタート。30点ものモネの作品が展示され、マルモッタン美術館のモネの作品の数にひけを取らない。特に有名な「日傘の女」(写真)を見学できた。マルモッタン美術館の「印象、日の出」と共に、モネを印象派画家としての位置を決定した重要な絵画。モネが「風景画の様に人物画を描きたい」と描いた名作とか。女の顔をぼかして、日傘とドレスだけを強調したもので、「印象、日の出」と同様に私にはまだその良さが理解できない。 

パリ日傘をさす女

モネの作品「サン・ラザール駅」(写真)は、これから訪れようとしているモネの「睡蓮の池」のあるジヴェルニー行き列車の発車駅。当時開通したばかりの鉄道をテーマにした作品である。 モネ展示室に引き続き、多くの印象派の絵画を鑑賞した。

パリモネサン駅103

5階に上ると、ルノワールの作品が沢山展示されていた。そこでルノワールの名作を心ゆくまで楽しんだが、中でも白眉は「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(写真) モンマルトルの丘の上のダンスホールの、楽しく陽気な雰囲気が見事に描き出されている。 名画の前に子供たち20人くらいを座らせて、女教師が絵の解説(写真)をしている。もしこの名画が東京に来たら、多くの観客が殺到し、とても子どもたちが近づけるようにならないことは確実。名画を教材として勉強できるパリの子供たちは幸せである。

パリムーラン091

オルセ学習中

午後は、ルノアール以外の印象派の作品を鑑賞。中でも、印象派の先駆者、マネ作「草上の昼食」(写真)がすごく存在感のある作品。フロックコートの男性たちの横に、ヌードの女性という極めてアンバランスな組合せ。サロン(官展)に出品したが「不道徳」とされ落選している。その後、モネやセザンヌたちに評価され、モネの「印象、日の出」や「日傘の女」の創作に影響した名画とされている。画面も大きく見栄えのする大作で「草上の昼食」はオルセー美術館の至宝であろう。 この絵葉書を探したが、売り切れなのか見つからず、私の拙いデジカメ写真で名画を掲載する。

オルセ名画

ゴッホの作品もかなりあったが「オヴェールの教会」(写真)が気に入った。ゴッホ終焉の地、オヴェールは訪れてみたい。
パリオヴェールの教会

更にドガの得意とした踊り子の絵も見たが、ドガが製作した「踊り子像」(写真)が珍しかった。

オルセ踊り子
 
 一日かけてオルセー美術館見学を終わったが、旧駅舎の5階、2階、地下を展示室とした複雑な構造の美術館だった。印象派画家の美術館としては世界最大と思われ、既に見学した「オランジェリー美術館」や「マルモッタン美術館」よりも上。マネの作品「草原の昼食」がオルセー美術館のハイライト。とてもよい絵を沢山見せてもらった。

パリ旅行 4

プロフィール

リンおじい

Author:リンおじい
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR