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ロシア旅行 7日目  サンクト・ペテルスブルグ

 ロシア旅行も最終日。再びサンクト・ペテルスブルグに戻り、最後の観光となる。

1 ピヨートル大帝の夏の宮殿  サンクト・ペテルスブルグ

 午前の観光は「ピョートル大帝の夏の宮殿」 ガイドの説明「サンクト・ペテルスブルグから30km離れた場所に、ピョートル大帝が1723年(日本では徳川吉宗の時代)に、夏を過ごす宮殿を建設した。200以上の噴水と庭園が有名な世界遺産の宮殿」 宮殿の中心に建つ「大宮殿」の前のテラスから、斜面に多くの噴水と池が見渡せる。ガイドの説明「このテラスを利用した噴水群は『大滝』と呼ばれ、斜面には37体の銅像と64の噴水がある。これから一斉に噴水が吹き上げるので、階段を下りながら見物しよう」 音楽と共に噴水が吹き上がり、見事な風景(写真)。斜面を利用しているので、とても見物しやすい。ローマの「トレビの泉」よりもはるかに大規模で、これまで私の見た噴水群では世界一の規模。

夏の宮殿1

噴水を見ながら階段を下りる。宮殿、噴水、池が立体的に配置され、見ごたえのある景色(写真)。

夏の宮殿2


2 エカテリーナ宮殿  サンクト・ペテルスブルグ

午後の観光は「エカテリーナ宮殿」 宮殿前の広場に立つと、金色と青と白が見事に調和したカラフルな宮殿がとても美しい(写真)。 

エカ宮殿1

ガイドの説明「この宮殿はピョートル大帝の妃、エカテリーナ1世のために1724年に建設され、次いで有名なエカテリーナ2世が改築した」 宮殿内部に入ると金色の彫刻と鏡が美しい大広間(写真)に出る。ガイドの説明「船が難破してロシア人に救助された大国屋光太夫が、1791年この部屋でエカテリーナ2世に拝謁し、日本への帰国の許可を得た。井上靖著『おろしあ国酔夢譚』にその情景が書かれている」

エカ宮殿広間

 宮殿内を見学すると壁一面が絵画で覆われた「絵画の間」古代ローマ風の浮き彫りと絵画の見事な「緑の食堂」プリントされた絹の布地で壁が覆われた「青の客間」など、贅を尽くした部屋が続く。そして最後が有名な「琥珀の間」(写真) 壁一面が琥珀のパネルで覆われた世界唯一の部屋。琥珀の産地がバルト海沿岸に多いとはいえ、これほど大量の琥珀が飾られているのは感動的。この部屋はロシアの宝である。第二次世界大戦時にナチス・ドイツ軍により、琥珀が全部持ち去られたが、新生ロシア政府が2003年に琥珀の間を再現させ、その9年後に我々が「琥珀の間」を見学できたことを感謝しなければならない。

ロシア琥珀間023
 
 宮殿の裏側を歩き、広い庭園の一部を見学。しかしこの宮殿のハイライトは、庭園よりも青色が映えるロシア・バロック様式の美しい建物(写真)である。

エカ宮殿2


3 ロシアの「光と陰」

 これでロシア観光を全て終えた。古都サンクト・ペテルスブルグの美しい建物は見ごたえがあった。これがロシアの「光」の部分。
 ロシアの「陰」の部分は治安問題。 観光初日に、私の目の前でツアー仲間が、若者4人に取り囲まれて、ポーチを強奪された。しばらくして奪われたポーチがバスに返却されたのが奇妙。ポーチ内の現金はなくなっていたが、カード類を含めて現金以外は無事だった。 共産主義時代には贅沢はできないけど、国民はなんとか生きて行けた。それが自由主義に変換した結果、能力の高い人は豊かになったが、能力の低い人は貧しくなり、国民に貧富の差が拡大した。能力の低い若者たちが犯罪に走ったため、大都市の治安は極端に 悪化。モスクワ、サンクト・ペテルスブルグは、世界で最も治安のよくない都市となってしまった。
 ある泥棒の証言「私は昼に盗みに入る。夜は盗んだ金を持って歩くのが怖いから」という社会になってしまった。 このジョークを紹介して、ロシア旅行の紹介を終える。
 

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ロシア旅行 6日目 モスクワ

 本日はロシアの首都、モスクワの観光。たった一日だけの観光なのが物足りないけど、サンクト・ペテルスブルグ観光に三日も当ててあるのでやむを得ない。

1 赤の広場  モスクワ

 モスクワの最初の観光は「赤の広場」 二つの尖塔を持つ美しい「ヴァスクレセンスキー門」(写真)より入場。

モスクワ門

 そしてついに「赤の広場」(写真)に到着。ガイドの説明「『赤の広場』の赤は、共産主義の赤ではなく、ロシア語の赤、即ちクラースナヤは古代スラブ語では『美しい』の意味。『赤の広場』は『美しい広場』を意味する。15世紀末に出来たこの広場は、現在でもモスクワの象徴。広場の北には皆さんの入った『ヴァスクエセンスキー門』があり、その左の赤い大きな建物はロシア最大の『国立歴史博物館』 広場の西の城壁は『クレムリン』を囲む城壁。広場の南には美しい『ワシリー寺院(正式名はポクロフスキー聖堂)』が建っているが、今は逆光で見え難い。最後に広場の東の建物は『グム(国立)百貨店』」 
レンガを敷いた広場は、中国・北京の「天安門広場」ほどは広くないが、これまで旅した欧米の広場の中では最大。それを取り囲む「国立歴史博物館」と「クレムリン」の尖塔、そしてワシリー寺院が美しい。 

モスクワ赤広場

ガイドに連れて行かれたのが、クレムリンの城壁前に建つ「レーニン廟」(写真) ガイドの説明「この建物の中に、1924年に亡くなったレーニンの遺体が永久保存され、公開されている。一時スターリンの遺体も並んで安置されていたが、1961年にスターリンの遺体は除かれた」 

モスクワレニン 

 「グム百貨店」に入り待ち合わせ場所を決めた後、1時間の自由行動となる。家内は買物のため百貨店に残ることになり、私は赤の広場観光に出掛ける。 先ず目指したのが「ワシリー寺院」(写真) 赤の広場からは逆光で見難かったので、寺院の後ろに回り、カラフルで美しいワシリー寺院の写真を撮る。テレビでモスクワが紹介される時に必ず登場する、ロシアで最も有名な寺院。この地を支配していたモンゴル軍との戦勝を記念して、イワン雷帝によって1560年に建てられた。イワン雷帝に使えていたワシリー修道士にちなみ「ワシリー寺院」と呼ばれている。中央の高さ46mの塔を中心に9つのネギ坊主の塔が組み合わさっている。そのあまりの美しさに驚いたイワン雷帝が、二度とこのような美しい建物ができないように、設計者の眼をくり抜いたという話が伝わっている。スターリン同様、独裁者は何をしても罪に問われないのである。なお雷帝と呼ばれたのは、その声が雷のように大きかったためとか。 

モスクワワシリ
   
 「グム百貨店」(写真)は内部の通路が入り込んでいて、店の中に入り込みにくい(写真)。そして買い物客はあまり多くない。家内が「店員の態度がよそよそしい」と言っていた。グム(国営)なので倒産の心配がなく、働いても働かなくても給料は変わらない、共産主義時代の悪弊が残っていることが想像される。30年前の中国の店が同様だった。しかし鄧小平の近代化以降の中国では、店員の態度が一変し、お客サマサマとなってきた。「グム百貨店」も民営化すると、様変わりするのではなかろうか。まだ改革進行中のロシアである。

モスクワグム


2 クレムリン  モスクワ

  午後の観光は「クレムリン」 即ちスズダリで学習した「要塞」である。要塞に架かる橋を渡って、高さ80mの「トロイツカヤ塔」(写真)より内部に入る。ガイドの説明「クレムリンは長さ2235mの城壁に囲まれた要塞で、20の望楼があるが、このトロイツカヤ塔が最も高い。1812年、ナポレオン軍がクレムリンを占拠したが、ロシア軍の放火で大火事となり、この門から追い出された。その時、宮殿内のシャンデリア等が略奪され持ち去られた」 この堅固な要塞であっても、ナポレオン軍に攻略されたのを知る。

モスクワ入口塔2

 クレムリン内の道路沿いに大きな大砲と鐘がある。 ガイドの説明「この大きな大砲は『大砲の皇帝』(写真)と呼ばれ、1586年(日本は豊臣秀吉時代)に鋳造されたブロンズ製の大砲。口径890mm、重量40トンで、当時としては世界最大を誇っていた。大砲の前に置いてある弾丸は1トンもあるが、一度も発砲されたことがない。 大きな鐘は『鐘の皇帝』(写真)と呼ばれ1735年(日本は徳川吉宗時代)に造られた、高さ6.14m、重さ200トンの世界最大の鐘」 「大きな物好み」の共産党時代のソ連人の笑い話を紹介「ソ連のものはなんでも世界一だ。なんたって時計だって世界一速く進むし、マイクロチップだって世界一大きい!」 「大きな物好み」は共産主義時代のソ連人だけではなく、昔からのロシア人好みと分る。しかし日本には高さ15m、重さ250トンの「奈良の大仏」(鋳造された大仏では世界一)があるのだから、この程度の大砲や鐘に驚いてはいられない。 

モスクワ大砲 

モスクワ鐘

 クレムリン観光の最後は「ウスペンスキー大聖堂」(写真) 金色の尖塔を沢山持ち、フレスコ画の描かれたカスケードと白亜の壁が美しい。内部に入りガイドの説明「昔のロシア帝国の国教大聖堂として、ロシア皇帝が戴冠式を行った大聖堂。1479年(日本は室町時代)古都ウラジーミルで昨日見学したウスペンスキー大聖堂を模範として建てられた。教会内部はイコンとフレスコ画で飾られているが、年代順ではウラジーミルが最も古く、モスクワが続き、サンクト・ペテルスブルグのイコンは新しい」 結局「ウスペンスキー大聖堂」はセルギエフ・ポサートでも見学したので、ここが3回目となる。

モスクワ大聖堂
 
大聖堂の外には高さ81mの「イワン大帝の鐘楼」(写真)が建っている。ナポレオン軍がモスクワから敗退する時に爆破されたが、辛うじて破壊を免れて修復された鐘楼である。 

モスクワ鐘楼

 

ロシア旅行 5日目 スズダリ ウラジーミル

ロシア旅行5日目は、宿泊した古都スズダリの観光。次いで古都ウラジーミルを観光した後、首都モスクワに宿泊。

1 クレムリン観光 スズダリ
 
バスの中でガイドの説明「スズダリは12世紀にスズダリ公国の首都となり、15世紀から宗教の中心地として多くの教会が造られ、中世の雰囲気を残したロシアの田舎町として有名となり、世界遺産に登録された。町そのものが歴史博物館」 起伏のあるスズダリの町のあちこちに美しい教会が散在。これまでのロシアにはない牧歌的な風景。
スズダリ観光で最初に訪れたのが「クレムリン」(写真) ガイドの説明「クレムリンは要塞を意味する。ここは11世紀に造られた要塞跡で、今は聖堂、鐘楼、宮殿が建っている。

スズダリクレムリン

中心部に建つのが『ラジヂェストヴェンスキー聖堂』(写真)で、13世紀に建てられたスズダリで最も古い建築」 クレムリンというと、共産国時代のソ連でスターリンが君臨した厳つい建物の記憶が強いが、要塞の意味と知って成程と納得。昔のクレムリンは城壁で囲まれていたのだ。 長ったらしい名前の聖堂は、青い屋根が美しくロシアらしい建物。

スズダリラジ聖堂

古い城壁から出ると、川に木橋の架かかり、教会が散在するロシアの田舎風景(写真)。

スズダリ風景2

川向うの木造教会が絵になる景色。橋の上からの眺望は世界遺産に相応しい風景だった。 「木造教会」(写真)を見学。ノルウェーの木造スターブ教会のような豪壮さはないが、落ち着いた雰囲気のある教会で、今は「木造建築博物館」となっている。

スズダリ木造教会

2 ウスペンスキー大聖堂 ウラジーミル

 美しいロシアの田舎町スズダリ観光を終え、幹線道路をウラジーミルに向かって走る。30分も走ると古都ウラジーミルに到着。 ガイドの説明「ウラジーミルは1108年、ウラジーミル・モノマフ公が要塞を築いたのが始まり。1169年(日本は平清盛の時代)ウラジミール・スズダリ公国の首都となり、今に残る白石(石灰岩)の建築群が建設された。しかし1238年、モンゴル軍により町は破壊され、それ以降は新興のモスクワに政治の支配権が移った。町の人口は35万人」
バスを降りた近くの道路上に建つのが「黄金の門」(写真) ガイドの説明「これは古都キエフの黄金の門を模して、12世紀半ばに造られた城門。今もメインストリートを見下ろすように建ち、ウラジーミルの町の象徴的存在。かって町を取り囲んでいた城壁には7つの門があったが、現在残っているのはこの黄金の門だけ。門の上部には教会が造られていたが、現在は戦争の歴史に関する展示室。1238年にモンゴル軍の攻撃を受けるウラジーミルを再現したジオラマが、展示室にある」 ベルリンのメインストリートに建つブランデンブルグ門と似た位置づけのような門。私にはそんなに存在感があるとは思えない。しかしモンゴル軍に対するロシア人の恨みは、中国人や韓国人の日本軍に対する恨みに通じているように思えた。ロシア人のナポレオン軍やナチス軍に対する恨みよりも、モンゴル軍に何百年も支配された恨みの方が大きいように思った。

スズダリ黄金門

 バスで少し走り下車したのが「ウスペンスキー大聖堂」(写真) 芝生の丘の上に5つの黄金の丸屋根を輝かせた、威風堂々とした教会。 ガイドの説明「1158年に建設が始められ、14世紀まではロシアの大聖堂の最高位にあった歴史的な教会。建材は白石(石灰石)が使われ、この教会の姿がその後のロシアの教会の原型となった」 大聖堂の内部には有名なフレスコ画やイコンがあるらしいが、入場はなし。
スズダリウスペン

 次に見えたのが白亜の「ドミトリエフスキー聖堂」(写真) ガイドの説明「この聖堂で有名なのは、外壁一面に施された浮き彫り。加工しやすい白石(石灰岩)の外壁には、聖人、英雄、動植物が描かれ『石の詩』と呼ばれている」 

スズダリドミトリ

 これでモスクワ周辺の古都観光を終え、バスでモスクワに向う。

ロシア旅行 4日目 セルギエフ・ポサード

 4日目はサンクト・ペテルスブルグ空港を発ち、モスクワ空港に着く。空港からバスで北上しセルギエフ・ポサートという田舎町に着く。

1 トロイツェ・セルギエフ大修道院  セルギエフ・ポサート

本日唯一となる「トロイツェ・セルギエフ大修道院」(写真)観光がスタート。16世紀に築かれたという高い城壁に囲まれている。 

      セルギエフ全景

ガイドの説明「モスクワの北東には環状に連なる古都群があり、それを『黄金の環』と呼び、モスクワ以上に長い歴史をもつ町が連なっている。このセルギエフ・ポサードの町も『黄金の環』のひとつ。この大修道院は、聖セルギウスによって13世紀半ば(日本は鎌倉時代)に創建された。彼は民衆から宗教的尊敬を集めるとともに、当時この地を支配していたモンゴル軍に対抗するため、ロシア諸侯のまとめ役ともなった。彼の祝福を受けたロシア軍が初めてモンゴル軍に勝利を収め、その後も彼にまつわる奇蹟が続き、遂には聖人に列せられた。修道院内には数々の教会があり、修道士が300人住んでいて、現在世界遺産に登録されている」 目の前の城壁がモンゴル軍との戦いに関連しているとは興味深い。遥か東方に住んでいたモンゴル軍が、この地にまで攻め寄せて支配したとは信じられないような事件。明確な国境のない地続きの国の恐怖そのものである。日本も鎌倉時代にモンゴル軍(元)に2度攻め込まれたが、神風(台風)のおかげでモンゴル軍が全滅したため、モンゴル軍に支配されることはなかった。日本の国境が海である島国の有難さを再認識させられた。
 修道院内に沢山ある教会の中で、先ず「トロイツキー聖堂」に入場。リディアさんの説明「1423年に完成した聖堂。聖セルギウスの墓所の上に建てられ、彼の棺が教会内に安置されている。天才イコン画家アンドレ・ルブリョフの描いたイコン(写真)が有名」 確かに壁や柱に多くのイコンが描かれている。歴史的にはこのイコンは価値が高いようであるが、「血の上の教会」で観たモザイクのイコンの方が美しさでは上。

      セルギエフイコン

 次いで入場したのが「ウスペンスキー大聖堂」(写真) ガイドの説明「イワン雷帝の命により1585年に建てられた大聖堂。タマネギ型をした4つの青いドームの中央に、金色の大きなドームを持ち、モスクワのウスペンスキー大聖堂を模した建物。内部は17世紀のフレスコ画で覆われている。タマネギ型のドームは、ローソクの炎の形を表している」 ドームの形は「血の上の教会」でガイドが言った「ローソクの炎」が正解で、旅行前に読んだ「タマネギ説」は崩れてしまった。その大聖堂の「ローソクの炎」のドームが輝くように美しい。青とか金色とかの鮮やかな原色が、ロシアの建物に見事に調和しているのが驚き。日本の侘び寂びの世界とは全く異なる世界。世界的にはイスラムの世界やペルーのインカの世界とも通じる民族色が、ロシアの建物にも共通していると気が付いた。

        セルギエフウスペン

 修道院内には数多くの美しい建物(写真)が建ち並び、世界遺産に相応しい風景。

      セルギエフ建物

 修道院の出口の前でガイドの説明「ロシア正教は東ローマ帝国の国教だったギリシャ正教の一派。988年(日本は平安時代)、ウラジーミル聖公がギリシャ正教を国教と定めた。東ローマ帝国滅亡を機会に、1448年ロシア正教として独立した。カトリックに比べ、ロシア正教の特徴は1立ったままミサを行う。2ミサでは楽器を使わない。3聖像やステンドグラスがなく、代わりがイコン・フレスコ画。4十字の切り方が逆」 「正教」というからには、キリスト教の中では最も正しい教えだと解釈したが、仏教における大乗仏教や小乗仏教の違いと似たようなものだろう。 私が気付いたもう一つのロシア正教の特徴は、教会の屋根に立つ十字架が、単なる十字ではなく、上に短い横棒と下に斜めの横棒が加えられ、計3つの横棒が並ぶ複雑な十字架であること。但しこの十字架はあまり見栄えがよいとは言えない。


ロシア旅行 3日目 サンクト・ペテルスブルグ

 ロシア旅行3日目は、終日「エルミタージュ美術館」観光。豪華な宮殿内と数々の名画を紹介する。

1 エルミタージュ美術館

 バスで20分も走ると、本日の観光のハイライト「エルミタージュ美術館」に到着。早速
広大な広場で、美術館を背景に記念撮影(写真)。今日もロシア晴れのいい天気。昨日よりも暑くなりそうなので、今日の服装はポロシャツ。 ガイドの説明「ピョートル大帝が冬を過ごす宮殿をここに造り『冬宮』と名付け、その後エカテリーナ2世が建築し直した建物が、今のエルミタージュ美術館。従ってこの広場を『宮殿広場』という。エルミタージュはフランス語で『隠れ家』を意味し、エカテリーナ2世はこの隠れ家で自分の時間を楽しんだ。エカテリーナ二世(女帝)のお相手をした愛人は、100人もいたと言われている」 緑と白を組み合わせた美術館の色彩が「これぞロシアの建物」と言いたくなるほどに美しい。昨日の「血の上の教会」が派手な色彩であったのに対し、エルミタージュ美術館は上品な貴婦人を思わせるたたずまい。エカテリーナ2世の趣味の良さを彷彿させる。但し愛人の趣味は如何なものか。

ロシアエルミタ

 いよいよエルミタージュ美術館の館内に入場。ガイドの説明「1764年にエカテリーナ2世が、225点の美術品をベルリンの商人から購入したのが、エルミタージュ美術館の始まり。エカテリーナ2世はそれ以後も美術品の収集を続け、美術品を保管・陳列するために冬宮の周辺に建物を増築した。エカテリーナ2世亡き後も美術収集は続けられ、ロシア革命後は冬宮を含めて全ての建物がエルミタージュ美術館となった。収蔵美術品は300万点という世界屈指の大美術館。フランスのルーブル美術館とアメリカのメトロポリタン美術館を入れて、世界三大美術館と称す」 先ず1階の「古代エジプト室」に入る。3000年前のミイラやミイラの心臓を入れたカノポス壺を見る。これらは既にカイロの「考古学博物館」で見学済み。 次いで「古代ギリシャ室」ここにある巨大な黒い壺には驚いた。
 2階に上り、着いたのが「イタリア美術室」 「ダ・ヴィンチの間」にあったのが「リッタの聖母」(写真)と「ベヌアの聖母」 世界中に10点しかないダ・ヴィンチの作の内、ここで二つも観賞できるのに感激。アメリカにある唯一のダ・ヴィンチの作品は、盗難や破壊防止のため防弾ガラスで守られているというが、ここでは無防備に近い形で展示されている。 「リッタの聖母」は1865年にイタリアのリッタ公から購入したとされるダ・ヴィンチの名作。絵の構図はラファエロの聖母子に似ているが、ダ・ヴィンチらしい力強い描き方である。 この絵が最も有名であるのか、小さな絵を囲む人々で混雑。押し寄せる人々を整理しようとしないので、カメラで写すのに苦労した。館内は撮影代600円を支払えば、フラッシュなしでのカメラ撮影OK。名画をカメラで撮れるなんて、日本では考えられないような仕組みにビックリ。ダ・ヴィンチの絵の痛みよりも、撮影代の稼ぎが魅力的であるらしい。

                        ロシアリッタ

 次いでラファエロの「コネスタビレの聖母」(写真)と「聖家族」を観賞。昔、我が家の屏風にラファエロの絵が貼り付けてあったのを、懐かしく思い出す。ラファエロの絵には人々の関心が少ないようで、心行くまで観賞できた。

                        ロシア聖母

 次いでミケランジェロの彫刻「うずくまる少年」が、無防備に通路に置かれていた。白っぽい彫刻で、これはあまりよい作品とはいえない。 それよりもテッツィアーノの「ダナエ」(写真)と「懺悔するマグダラのマリア」(写真)が素晴らしい。ダナエはギリシャ神話に登場する王女で、全能の神ゼウスに愛され英雄ペルセウスを生んだ。テッツィアーノはダナエを好んで沢山描いたが、その他レンブラントを始め多くの画家もダナエを描いている。近年ではクリムトの金箔を貼り付けたダナエの絵が有名。そのテッツィアーノのダナエよりも、キリストに愛されたとも言われる娼婦、マグダラのマリアの絵の方が迫力があって美しいと思った。 

                        ロシアダナエテ

                        ロシアマグダラ

イタリア美術の最後はカラヴァジオの「リュートを弾く若者」(写真)ここでロシア紳士のガイドが「描かれている女性っぽい若い男は、ホモだ」と言うのに驚いた。そういう目で見れば、品を作った姿はなんだかホモっぽい。ガイドの指摘があったので、この絵が強く印象に残った。

                        ロシアリュート

 部屋を出て「ラファエロの廊下」(写真)を歩く。天井、柱、壁に絵や装飾が施されて、とても美しい廊下。この美しさはダ・ヴィンチやミケランジェロではなく、矢張りラファエルの廊下と呼ぶに相応しい。

            ロシアrファ回廊

 入ったのが「スペイン美術室」 ベラスケスの作品「朝食」と「自画像」 ゴヤの作品「アントニア・サラテの肖像」 エル・グレコの作品「使徒ペトロとパウロ」(写真) ムリリョの作品「犬と少年」を観賞。グレコの作品が最も気に入ったけれど、スペインの画家の絵は、マドリードの「プラド美術館」所蔵の作品にはとても及ばない。

                        ロシアペトロ

 次は「オランダ美術室」 レンブラントの作品が沢山並ぶが「ダナエ」「女神フローラに変身した妻サスキアの肖像」「放蕩息子の帰還」(写真)に注目。「ダナエ」は先に観たテッツィアーノの絵よりは、このレンブラントの絵が気に入った。しかし圧巻は「放蕩息子の帰還」であり、エルミタージュ美術館ではNo1の作品ではなかろうか。ひざまずいて父に抱かれる息子の姿が、不遇な晩年を送るレンブラント自身のようである。 レンブラントの絵では「アムステルダム国立美術館」所蔵の「夜警」がNo1であると信じている。 

                        ロシア放蕩息子

最後にルーベンスの作品「大地と水の結合」を観賞。 さすがに良い作品が所蔵されていると感心したが、レンブラントに至っては20作品以上も所蔵されているとは驚いた。

ここでランチタイムとなり「大使の階段」(写真)を1階に下りる。ガイドの説明「宮殿に外国大使を迎えるための正面階段で、ロシア・バロック芸術の極致」 昼食はフリーということになり、カフェに入りサンドイッチと紅茶の昼食。

                  ロシア大使階段


午後は先ず冬宮の見学。最初は「ピョートル大帝の間」(写真)ピョートル大帝の栄誉を称えるために造られた部屋。 次いで「肖像の間」歴代皇帝の肖像が並ぶ。 最後は「聖ゲオルギーの間」別名「大玉座の間」とも云い、ここで外国の大使や使節が皇帝に拝謁した。いずれも金色に輝く豪華な部屋で、ロマノフ王朝崩壊、ロシア革命という激動に耐えてきたのが不思議。ウィーンの「シェーンブルン宮殿」や、未だ見ていないパリの「ベルサイユ宮殿」に匹敵する華麗な遺産である。

            ロシア大帝の間

3階に歩いて上り「19~20世紀のヨーロッパの美術室」に入る。セザンヌ、モネ、ルノアール、ドガ、ゴッホ、ゴーギャン、マチス、ピカソの作品を観賞。なんでも所蔵されている作品の数がモネ8点、セザンヌ11点、ゴーギャン15点、マチス37点、ピカソ37点もあるという。当時のロマノフ王朝の財政を傾けるほど美術品を買いまくったと伝えられているのは本当だった。これらの作品の中ではゴッホの「ライラックの木」が有名であり、私の好みはマチスの「ダンス」(写真)だった。手を繋いだ5人の踊り子に躍動感を感じた。

                        ロシアダンス

4時間に渡る見学では、ガイドが終始説明してくれ、彼が歴史のみならず美術の面でも深い知識を持っているのには感心した。近代絵画の説明の時は、画家または作品と日本の関係を丁寧に説明してくれたのだけど、4時間の立ちっ放しには疲れてしまった。数少ない椅子を求めて歩くようでは、昼食をはさんだ長時間の美術館めぐりは、私にはもう限界なのかな?

 最後に、エカテリーナ2世がドイツ人の女性であることに言及したい。ドイツからロシア皇帝に嫁いできて、夫である皇帝を追放して自ら皇帝の座につき、ロシアに君臨したのがエカテリーナ2世である。例えば中国人女性が日本の徳川家に嫁ぎ、夫の将軍を追放して自ら徳川将軍になるなんて、日本では信じられないこと。ロシア人のこの気質をどう解釈してよいのか? 私には全く理解できないロシアでありロシア人を、エルミタージュ美術館を創建したエカテリーナ2世に垣間見たように思う。
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