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スリランカ旅行 3 3日~6日目 ボロンナルワ~キャンディ~コロンボ

1 仏歯寺   キャンディ

本日はキャンディ観光のハイライト「仏歯寺」の見学。商店街を抜けると広場が現れ、その向こうに建つのが仏歯寺(写真)。 ガイドの説明「仏歯とは仏陀の歯で、紀元前543年にインドで仏陀が火葬された時に取り上げられた。4世紀にインドの王子が、頭髪の中に仏歯を隠して、セイロンに持ち込んだ。仏歯は聖地アヌラーダプラに奉納されていたが、ポロンナルワを経て16世紀にキャンディに移され、仏歯寺内に安置された。スリランカでは仏歯は非常に重要なもので、王権者の象徴であるため、仏歯のある場所が首都とされる。ポロンナルワのシンハラ王朝は、インドからの侵入者に追われて、1474年キャンディに移り首都としたが、1815年イギリスに滅ぼされてしまった」 仏歯って本物?と疑いたくなるが、スペイン・バレンシアのカテドラルにはキリストの聖杯があったし、トルコ・コンヤの博物館にはマホメットのあごひげがあった。宗教・信仰に関しては「疑うよりも信じることが大切」と割り切らないと、ついて行けない。仏歯を日本の三種の神器と同様に理解すべきと考えた。

         ブログ仏歯寺
 
靴を脱いで仏歯寺に入る。日曜日のせいか、観光客であふれかえっている。建物の中心に豪華な部屋(写真)があり、仏歯はこの部屋の中の、宝石をちりばめた小箱に入っているという。部屋の前の廊下には、沢山の信者が座り込んで、部屋の中心に向って敬虔なお祈りを捧げている。その信者たちの目の前を、我々観光客がゾロゾロ歩くのは申し訳ない気分。

            ブログ仏歯寺内

 見学を終えて入口に戻ると、天井に象の祭り行列が描いてある。これが有名な「ペラヘラ祭り」 仏歯を入れた容器を、全身を美しい衣装をまとった象の背中に乗せ、キャンディの町を練り歩くスリランカ最大のお祭り。象が100頭も行列をなし、その間を民族衣装の人々が踊り歩く。夜になると象の衣装に付けた豆電燈の明りがとても美しく、テレビ画面に釘付けとなったほど。このペラヘラ祭りはスリランカ全土で行われるが、キャンディの祭りが特に有名。 

            ブログ仏歯寺祭


2 紅茶畑   ヌワラ・エリア

  スリランカ仏教の中心である「文化三角地帯」を後にして、高原地帯に向かうドライブとなる。標高200 mだった私の高度計が、どんどん上昇する。バスは左は山、右は谷の崖伝いの道路を上って行く。標高700 mを過ぎると、山の斜面に紅茶畑が現れた。 ガイドの説明「1815年スリランカを支配したイギリスは、コーヒー農園を開いたが失敗し、コーヒー農園を紅茶農園に替えて成功した。年中温暖で水はけのよい条件が、紅茶の栽培に好適なことが分かり、イギリス人が大挙してこのヌワラ・エリアに入植して、紅茶産業を発展させた。シンハラ語でヌワラは町、エリアは日差しを意味し、ヌワラ・エリアは『光あふれる町』 世界最大の紅茶輸出国の中心が、このヌワラ・エリア。紅茶畑に点在する樹木は、強い日差しを緩和するために植えている」 崖道でバスが止まる。紅茶畑では数人の女性が茶摘作業中。道路際のサリーを着た女性が茶摘のポーズ(写真)。皆で写真を撮ると、チップを要求してきたのにはガッカリ。運転助手が代表してチップを払ってくれた。緑一面の茶畑は美しいが、相当急な斜面。急斜面での作業はかなり厳しそう。

            ブログ茶摘み

  イロハ坂の途中で「マクウッドファインティー」という紅茶工場に到着。周辺の山々が全て紅茶畑の景観(写真)は一見の価値あり。静岡や狭山のお茶畑をネズミに例えると、象のようなスケールの大きな茶畑。急斜面の山の頂上まで茶畑が広がるのが、世界一の紅茶産地の証明。 工場では摘んだ葉を、発酵したり乾燥したり、すり潰したりしている。 売店に入って紅茶の試飲。等級があってBOP(ブロークン・オレンジ・ペコー)が一般的。BOPF(F:ファニングス)は渋みがある。これはすり潰した紅茶の粒の大きさの違いで、細かくすり潰すと苦味が出る。お土産は標準的なBOPに決定。5袋入りのカートンが1300ルピー。なんと1袋240円程度にはビックリ。4カートン買ったけど5000円もしない。但し全重量が4 Kgと相当重い。宝石を買わなかったのに免じて、この重量の運搬には耐えなければいけない。

         ブログ茶畑


3 大津波   ゴール

 右手の車窓に海が見えてきた。ガイドの説明「2004年、スマトラ島沖の大地震による高さ13 mの津波に襲われ、この海岸沿いで5万人の死者が出た。当時の廃屋が所々未だ残っている」 地図で確認すると、スマトラ島からは1500 kmも離れているけれど、同じインド洋上の島。それでも高さ10 mを超える津波が襲うとは信じ難い。
 インド洋の日没を眺めながらのドライブ。 車窓から津波で放棄された廃屋が見える。バスが止まった所が大きな公園の前。巨大な仏の立像(写真)が見えた。ガイドが「これは日本の本願寺が寄付した、津波の被災者を弔った『津波記念公園』」 本願寺って、こんな所にお金を使っているのか! 本願寺は日本の福祉団体や弱者救済にもお金使っているの? スリランカの津波被災者は、この公園を喜んでいるの? 宗教団体は無税なのをいいことにして、末寺や信者からの莫大な奉納金の使途に困っているのでは、と勘ぐりたくもなった。この不信感、私の勘違いであることを祈る。 

            ブログ津波公園

 スリランカ南部最大の町、ゴールの駅前を通過。ガイドの説明「この駅前に、高さ13 mの津波が押し寄せ、帰宅時間だった満員バスが何台も押し流されるテレビ中継が、世界中に発信された」 津波が街を襲う光景はテレビで何度も見たが、スマトラ島かタイの海岸だと思っていたけど、ここゴールもそうだったとは記憶になかった。 

ホテルに着き、5分以上も廊下や砂浜の道を歩き、コテージ風の部屋に着く。波の音が聞こえ、海岸の傍にいることが分る。一瞬、津波の来襲が頭をよぎったが、これは心配のし過ぎ。津波が怖いなら、モルディブを含めて、インド洋のリゾートには泊まれない。

以上のように「仏教の聖地 スリランカ紀行」に書いている。旅行したのが、2011年1月20日~27日。紀行文を書き上げたのが3月10日。 ところがその翌日に「東日本大震災」の大津波が発生! テレビで津波が町を襲うシーンを見ながら、スリランカで体験した大津波の怖さを思い出したのだった。
                                  スリランカ旅行終わり
 

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スリランカ旅行 2 2日目  ボロンナルワ

1 古代都市シーギリヤ  ボロンナルワ

 狭い道を走ると、樹海から抜きんでるように二つの岩山が見えてきた。岩山の一つがシーギリヤ・ロック、即ち3番目の世界遺産「古代都市シーギリヤ」である。 岩山を見上げる場所でガイドの説明「ここは水の広場と呼ばれる宮殿跡。王宮は岩山(写真)の頂上に建っていた」 広大な水の広場には、王の沐浴場やパレス跡がある。これらの施設が5世紀に造られ、上下水道設備も完備していたというから、スリランカの古代文化は奥が深い。当時の日本が古墳時代であったことを思うと、驚き。
          シギリア全景
 
 ガイドの説明「5世紀に、昨日見学したアヌラーダプラを統治していた王様に、二人の息子がいた。弟の母親が王族の血筋だったので、平民の母親だった兄カーシャパは、このままでは後継者になれないと思って、父親を殺して王位を奪い、弟はインドに亡命した。弟の復讐を恐れたカーシャパは、切り立ったシーギリヤの岩山の頂上に宮殿を建設して住んだ。しかし11年後、インド軍を率いた弟との戦いに敗れて、カーシャパは自殺。それ以来、岩の上の宮殿は廃墟となった。 1875年、望遠鏡でロックの岩壁を見ていたイギリス人が『シーギリヤ・レディ』と呼ばれる、極彩色の壁画を見つけ、それ以来スリランカを代表する観光地となった」  ここから見上げるシーギリヤ城は難攻不落に見え、山頂に立てこもれば絶対に負けないように思えるが、戦いは守りだけでは勝てないに違いない。

 さあ、これからロック頂上への1200の石段上りに挑戦だ。大きな岩の間を縫うようにして続く石段を上り始める。 息を切らして20分も上ると、頭上にらせん階段が見えてきた。昔はハシゴだったが、1938年即ち私の生まれた年に、イギリスが周りを金網で囲った、鉄製のらせん階段を造ってくれた。 崖に掛けられたらせん階段は、鉄網を通して崖下の景色が丸見えでとても怖い。下を見ないようにしてらせん階段を上りきると、オーバーハングした岩壁に、鮮やかな美女たちの半身像(写真)が描かれているではないか! これまでの恐怖が全部消し飛んで、シーギリヤ・レディの鑑賞と撮影に没頭。 美女たちは二人ずつに分かれて、別々に描かれており、現在18体残っている。岩壁に石灰を塗り、その上に顔料で描いたとされるが、5世紀に描かれたとは思えない、美しい色と妖艶な姿をしていた。裸の女性が上流階級で、服を着ているのが侍女。ストロボ禁止なので、あまり上手く写真が撮れなかったのが残念。

               シギリヤ絵1

               シギリヤ絵2
       
 怖いらせん階段を下りて、シーギリヤ・ロックの中腹の道を右から左に歩いて着いたのが「ライオンの入口」(写真) ガイドの説明「石段の左右に石造りの大きなライオンの爪がある。昔は爪の上にライオンの足と大きく口を開けた頭があり、石段を上っていくと、ライオンののどに飲み込まれるような仕組になっていた。ライオンののどをシンハラ語で『シンハギリヤ』と言い、それが『シーギリヤ』に変化した。これから400段の石段を上り切ると、岩の上の王宮跡に着く。皆さん王宮跡に上りますか? 上りたくない人は、ここで待機してください」
 そう言われて見上げると、垂直に近い岸壁を縫うようにして、鉄製の階段が付いている。階段を上り下りする人たちが小さく見え、これは大変な所に来てしまったことを自覚。しかしここまで来て王宮跡を見学しない訳にはいかない。

               シギリヤ入口

 上り始めて鉄製階段にかかると、手摺りはあるものの下界が丸見えで怖い。それでも上り階段は岩壁に接近しているからよいものの、下り階段は岩壁からせり出すように取り付けてある。下りの怖さを先取りして心配するとは、我ながら情けない。「怖い怖い」を連発しながら、高さ50 m程度の岩壁を上りきった。 
頂上は平坦で、石垣の上の王宮跡(写真)に立つ。

                    シギリヤ王宮

ガイドの説明「王様は家来たちと女性たちを連れて、王宮に上ってきた。皆さんが上っ
てきた鉄製階段は後で取り付けたもので、昔は別の道があったと思われる。王様は11年間ここに住んで、弟の襲撃を待ち続けた」 小さな王宮に少人数で住むカーシャパ王の孤独感が分かるような気がする。 ここからは360度の展望が開けている。天気がよいと昨日見学したアヌラーダプラのルワンウェリ・サーヤ大塔が見渡せるというが、今日は曇天のため一面に広がる樹海が見えるだけ(写真)。 
               シギリヤ景色

2 クワドラングル  ボロンナルワ   

第4番目の世界遺産「古代都市ボロンナルワ」観光がスタート。入場したのが「クワドラングル」 ガイドの説明「クワドラングルとは四辺形の意味で、城壁に囲まれた中に11の仏教の建築物が集まっている」 先ず「トゥーパーラーマ」という仏堂に入る。薄暗い室内に三体の仏像が安置されている。仏堂の外壁の彫刻が、ベトナムのヒンドゥー教のミーソン遺跡と似ている。外壁や周辺の木の上に、精悍な表情をしたサルの群れがいた。ヒンドゥー教の猿神「ハヌマーン」のモデルかも知れない。 次いで石柱が立ち並ぶ遺跡が5個所あった。「菩提樹寺跡」「仏歯寺跡」などの石柱群(写真)のみ残っている。
               シギリヤ跡1

 動物たちの並ぶ楽しい彫刻もあった。 「ワタダーゲ」という大きな円形の仏塔があり、入口にはガードストーンという、悪魔を追い払うガードマンの彫刻がある。 ガードマンの後方に白い仏像が鎮座し、この遺跡のハイライト(写真)。 

               シギリヤ跡2

「ガルポダ」という象の彫刻のある石碑には、インドとの関連などの碑文が残されている。 最後は「サトゥマハル・プラサーダ」(写真)という7階建ての建物。カンボジア様式とされるが、メキシコのインカ遺跡の塔に似ているのが興味深い。

                    シギリヤ跡3

これらの建物は、日本の平安時代にあたる10~12世紀に造られた。


スリランカ旅行 1 初日  コロンボ~ボロンナルワ

 一昨年1月、スリランカに旅行したので、スリランカという国を紹介します。スリランカはインドの南にあるマンゴーの形をした島国で、昔はセイロン島と呼ばれていた。「セイロン島6大世界遺産探訪」に魅力を感じ、ツアーに参加。旅行後書いた「仏教の聖地 スリランカ紀行」から抜粋して紹介します。

1 ダンブッラ石窟寺院  ダンプッラ  
 
最初の世界遺産「ダンブッラ石窟寺院」の観光がスタート。バスを降りると、岩山を背景にした大きな仏塔(ダーガバ)と更に大きな大仏が鎮座する寺院(写真)が見えてくる。寺院に入ると、金色の大仏の大きさに圧倒されるが、そのお顔がとても厳しい表情をしており、鎌倉の大仏のような柔和な美男とは言えない。出発前のドロ縄調査の結果、スリランカの小乗仏教は、僧侶の厳しい修行を前提としているので、御仏の表情にも厳しさがあるのだと理解。寺院も大仏同様にきらびやかであるが、これは戒律の厳しさとは、相反するように思った。

ダンブ寺院
 
寺院の裏山の石段を上った台地上に建つのが、世界遺産の「石窟寺院」(写真)  張り出した岩山の下に、真っ白いしっくいの壁が並び、門から入ると岩山がくり抜かれた石窟となっている

ダンブ石窟2

先ず入った第1窟には、長さ14 mの巨大な涅槃仏(写真)が横たわっているのは壮観。全身が金色に塗られ、足の裏だけ赤いのが特徴で、紀元前1世紀頃に造られたというのが、この石窟寺院の歴史的価値を高めている。

ダンブ涅槃像

 次いで第2窟に入る。ここは幅52 m、奥行き25 mのダンプッラ最大の石窟で、ノミとハンマーだけで掘った2000年前の人々の努力に敬服。数十体の仏像(写真)が安置され、天井の壁画(写真)が美しい。 第3窟、第4窟は18世紀以降に造られた石窟で、ここにも涅槃仏や仏像が多数安置されている。 最も新しい第5窟は、1915年に造られたというから、スリランカの人々が、2000年以上に渡ってこの石窟群を大切にしてきたことが分る。

ダンブ仏像

ダンブ壁画

 境内に大きな菩提樹があり、赤や白の小旗で飾られている(写真)。これをチベットではタルチョと呼んでいたが、この地では「エマ」と呼ぶとのこと。仏教の伝来には3ルートがあり、インドからシルクロードを経由して中国、韓国、日本に渡来したのが大乗仏教。スリランカを経由してミャンマー、タイ、カンボジアに渡来したのが小乗仏教。インドで仏教が迫害された時に、インドの僧侶が逃げ込んだのが、チベット仏教。中国・日本にはこの小旗がないのに、スリランカやチベットに存在することは、インド仏教の本来の継承国は、中国や日本ではなく、スリランカやチベットなのだろうか? 僧侶の厳しい戒律やチベットの過酷な五体投地を目の当りにすると、その考えは間違ってはいないように思える。明治時代の僧侶、河口慧海が日本の仏教の経典に疑問を感じ、真の仏教の経典を求めて、チベットに密入国したのも、その裏付けとなるだろう。 
 
ダンブエマ

2 スリー・マハー菩提樹  アヌラーダプラ

 現地ガイドの説明「インド・ブッダガヤには、その木の下で仏陀が悟りを開いたとされる菩提樹がある。紀元前3世紀に、インドのアショーカ王の王女サンガミッタが、ブッダガヤの菩提樹の分け木をここに植樹した。樹齢2000年を超えた尊い木(写真)がお宝」 大きな菩提樹を囲むように、白い寺院が建っている。何かの儀式があるようで、白い服装の人々が楽隊を先頭に横切って行く。お供え物を持つ人や国旗を持つ人も見える。小乗仏教では、僧侶は厳しい修行により解脱して輪廻から逃れるのであるが、一般の世俗の者は僧侶に功徳を積むことで、僧侶と 同様に解脱して輪廻から逃れるとされる。この儀式や寺院での信者の敬けんな参拝の姿を見ていると、日本よりも数段、スリランカの人々の信仰心が厚いように思われる。 

ダンブ菩提樹2 - コピー

3 ルワンウェリ・サーヤ大塔

 遠くからでも目立つ、大きな白い仏塔(ダーガバ、写真)が眼前に現れた。 ガイドの説明「この塔は紀元前2世紀に建てられ、当時は高さ110 mあったとされるが、現在の高さは55 m。毎年6月に、竹で足場を組み立てて、石膏で大塔を塗り直す」 これも日本の弥生時代に造られたというのが驚異。スリランカ仏教のハイライトの一つである。 大塔は一段高い石畳の台上に造られ、台座の周囲は無数の象の彫刻で囲まれている。大塔の隣の仏塔には、涅槃仏を始め多くの仏像が安置されている。 
大塔

大塔を一周すると、一人の老僧が直立不動で立っている(写真)のが目に留まる。現地人が近寄っては、老僧を拝んでいるので、相当お偉い僧侶かと思われる。ガイドが「あれは有名な高僧で、一日中あの不動の姿勢で立ち瞑想に耽っている。お供え物は受け付けない」と言うのでビックリ。スリランカの僧侶の戒律が厳しいと知っていたが、この修行を見ただけで納得。チベットの五体投地でもその過酷さに驚いたが、小乗仏教、チベット仏教共に奥が深い。それに比べると、日本の僧侶は信者を極楽に導くというよりは、葬式や法事の稼ぎにのみ執着しているように思えて寂しくなってくる。「国貧しくして宗教興り、国豊にして宗教萎む」ということなのだろうか!
 
大塔僧
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