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ギリシャ旅行 8 アクロポリス

ギリシャ旅行の最終日は、アテネ市内観光。 朝、アテネの外港、ピレウス港で、クルーズ船から下り、バスでアテネ市内に向う。

1 アクロポリス遺跡

ギリシャ最後の観光となる「アクロポリス遺跡」に着く。アクロポリスとは「高い丘の上の都市」を意味する。 緩やかな坂道を登ると「イロド・アティコス音楽堂」(写真)に着く。紀元161年に建てられ、舞台裏の建物が残るステージでは、コンサートやギリシャ古典劇が演じられているという。とても音響効果がよく、小沢征爾がタクトを振るい、蜷川幸雄の演出の催しもあったという。

アテネ劇場

次いで「ブーレの門」を潜って、神殿への参道を登る。坂の途中には紀元前424年に建てられた「アテナ・ニケ神殿」を通過。ニケは勝利を意味し「勝利の女神神殿」のこと。 参道を登り詰めた大きな建物が「プロピレア(前門)」(写真)即ちパルテノン神殿の入口の門。

アテネニケ

丘の上の平坦なところに聳え立つのが「パルテノン神殿」想像していたよりもスケールが大きく、石柱の太さに驚く。ガイドの説明「古代アテネの栄光を象徴するパルテノン神殿は、紀元前432年に建造された。神殿内部には、高さ12 mのアテネの守護神、アテナ女神像が祀られていたが、今はない。巨大なドリア式列柱は46本あり、1本の高さは10 mで下部の直径は2 mもある。石柱の真ん中に穴をあけ、木の棒をさしこんで連結した。アテネの何処からでも目に付くこの丘は、紀元前13世紀より要塞が造られたのが始まり。このパルテノン神殿は1687年、ヴェネツィア軍の砲撃で大破し、修復作業は今も続いている」 中学の教科書で見たパルテノン神殿に立っているのが夢のよう。小中学生時代の夢「万里の長城、ピラミッド、死海」を既に訪れ、更にパルテノン神殿まで見たので、この世にもう思い残すことはない。
自由行動となったので、パルテノン神殿を一周。最も神殿が美しいとされる場所で記念撮影(写真)。

アテネパルテ

 丘の上に紀元前86年に建てられた「エレクティオン」(写真)には、6人の少女像が柱となっている。この少女像はレプリカで、本物の5体はアテネの博物館に、1体は大英博物館に保管されている。この優美な建物が、オスマントルコ占領時には、ハレムとして使われたとはけしからぬ話。

アテネ少女像

 この建物の近くから、アテネの街の展望が素晴らしい(写真)。左手に我々の泊まったホテルがある筈であるが、当然見当たらない。高所から街を見下ろすのが好きで、これまでに多くの街の絶景を見てきた。中でもクスコ、ケープタウン、マルセーユは私の見た世界の3大絶景。アテネの場合は、街から見上げるアクロポリスの丘が絶景といえよう。

アテネ展望
 最後にアテネ市内から写した「アクロポリス遺跡」(写真)を再度掲載して、ギリシャ旅行の紹介を終わる。
スミオンパルテ

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ギリシャ旅行 7 サントリーニ島

 エーゲ海クルーズの3日目、即ち最終日。今日はクレタ島とサントリーニ島の観光。地図で赤丸で示した島。
サントリーニ島地図072

1 クレタ島

 クルーズ船はクレタ島のイクラリオン港に着き、7時から観光スタート。ガイドの説明「これから案内するクノッソス宮殿は、紀元前2000年に建設された。その300年後にサントリーニ島の火山爆発で宮殿は破壊されたが、紀元前1450年頃クノッソス宮殿が再建された。その後のギリシャ人の侵入により、クレタ文明は消滅して宮殿も埋もれてしまっていた。1900年イギリスの考古学者エヴァンスの発掘により、神話とされていたクノッソス宮殿が実在していたことが明らかになった」  
入場した「クノッソス宮殿」(写真)はとても広く、いろいろな建物が重なり合っている。

クレタ宮殿3

ガイドの説明「ギリシャ神話によると、クレタ島のミノス王が、一度入ったら二度と出ることのできない迷宮を建てて、ミノタウロスという牛頭人身の怪物を閉じ込めたとされる宮殿。或る時ミノス王が海神ポセイドンの怒りを買い、ミノス王の妻にミノタウロスを産ませたとされる」 ギリシャ神話はオドロオドロしいなあ。 宮殿の内部には王宮、神殿(写真)、倉庫等があり、通路の下に地下がある立体的な建物。赤い石柱が目立ち、石柱の上下の黒色が不気味なムードを醸し出している。

クレタ宮殿1

  最後に3900年前の劇場跡(写真)を見学。立体感には乏しいが、かなり大きな劇場。ヨーロッパ最古の劇場との説明がある。

クレタ劇場 

 バスの中でガイドの説明「ミノス王はミノタウロスの餌食として、毎年アテネの若い男女の献上を命じていた。アテネの英雄テセウスが自ら志願して、餌食としてクノッソス宮殿に入り、ミノタウロスを殺すことに成功。目的を達成した時には、黒い帆をつけてアテネに凱旋する約束を忘れたので、テセウスの父は白い帆を見て自殺した」 

2 サントリーニ島

 16時にデッキに昇り、船の先端に移動して、近づくサントリーニ島を眺める。大きな火山の火口に海水が入り、その周辺を外輪山が囲むというスケールの大きな風景。真ん中の小さな火山には人家がなく、周辺の外輪山の上に部落がある。遠くから見ると、外輪山の上に白い雪がかぶったように見えたのが、近づくにつれて白い屋根の家だと分る(写真)。それ家並みが何㌔にも渡って連なっているのは異様な風景。

サント遠景1
 船が外輪山の裂け目から、火口の中に入ってくると、外輪山の絶壁の上に人家がへばりついているのがよく分る。この風景(写真)を見ただけで、サントリーニ島にきた価値がある。

サント遠景2
 港に待機していたバスに乗り込み、サントリーニ島観光がスタート。ガイドの説明「サントリーニ島には5000年前から、クレタ島から移り住んだミノア人の文明があったが、3500年前の大噴火により、一瞬にして歴史から姿を消した。その後再び人々が移り住んでいたが、1956年に再び大噴火が起こり、町や村が崩壊した。船から見えたフィラの町やこれから観光するイヤの町並みは、それ以後に造られた」
 島の北端の小さな町、イヤに着く。 石段の上がイヤの中心「スクエア」で、ここから眼下に火口の海が見え、その向こうに白い雪のようなフィラの町が望める景勝地。イヤの町は断崖の上にしがみつくように造られている。ガイドの案内で断崖の小路を少し下ると、青いドームの小さな教会が、絵のように美しい。断崖に建つ白い家との組み合わせは、エーゲ海では最も印象的な景色(写真)。

サントイヤ1

 ここで自由行動となる。小奇麗な店の並ぶ小路がメインストリートを歩きながら、時々断崖の小路を下ると、別の教会が見えて、どこも絵葉書の世界(写真)。ミコノス島が典型的なエーゲ海の島ならば、このサントリーニ島はエーゲ海の中では、規格外の島というべきだろう。「世界にはこのような絶景があったのだ」と、この歳まで知らなかったのが勿体ないように思える。

サントイヤ2

 バスはサントリーニ島をほぼ一周して、フィラの町に戻る。ここは船上から雪のように見えた断崖の上の町(写真)であるが、景観はイヤの方が上。

サントラスト






ギリシャ旅行 6 パトモス島

 昨夜はクルーズ船内に泊り、エーゲ海クルーズの2日目の朝を迎える。今日はパトモス島(写真、赤丸)を観光後、トルコのクシャダス港(写真、赤丸)に立ち寄る予定。

ギリシャ旅行パトモス島070

1 パトモス島

エーゲ海に「パトモス島」の中心スカラに上陸。 バスに乗り込むとガイドの説明「パトモス島は起伏の激しい小さな島であるが、教会が400もある。この島が有名なのは、聖人ヨハネがローマ人に追放され流された場所ということと、この島の洞窟で暮している間に天啓を受けて、聖書の『黙示録』を書いたこと」 バスは狭い山道を登っていく。車窓から小さな教会がいくつか見られるものの、民家の少ない寂しい村。 山頂のホラ部落で下車。そこから見えるエーゲ海の入り江とスカラの町がとても美しい(写真)。

パトモス島
 バスに乗り坂道を下った駐車場で下車。ここが「聖ヨハネが暮らした洞窟」。洞窟へは狭い石段を下りて行くが、見学を終えた観光客とのすれ違いが大変。お互いがクルーズ船仲間であろうが、小さな島、小さな教会に何台ものバスが集中するのだから仕方がない。洞窟は小さな礼拝堂となっていた(写真)。ヨハネはペトロと並ぶキリストの高弟。キリストの殉教の後、イエスの母マリアを連れエフェソスに移り住んだ。その後パトモス島に幽閉されたが、釈放されエフェソスに戻り、そこで没したとされる。
パトモス島教会

 パトモス島の観光を終え、クルーズ船(写真、23.000㌧)はエフェソスの外港であるクシャダス港に向かって、島の多いエーゲ海を進む。 

パトモス島船

船の上甲板に上ると、肌寒いのでプールで泳ぐ人はいないが、デッキチェアーではビキニ姿の人々が日光浴。私なら確実に風邪をひくであろうが、欧州人のこの強靭な体質についてはいつも驚かされる。
パトモス島日光浴
 
2 クシャダス(トルコ)
  
クシャダス港からのオプションが「エフェソス遺跡見学」であったが、10年前に観光したので、このオプションのみ参加を中止。 海岸通を歩いて、エーゲ海に突き出す「鳩島」(写真)に向う。

パトモス島鳩島

鳩島には昔のトルコ軍の要塞(写真)があった。 要塞下のオープンカフェでのんびり過ごす。

パトモス島要塞

ギリシャ旅行 5 ミコノス島

 楽しみにしていた「エーゲ海クルーズ」の初日は、港湾労働者のストライキで、クルーズは中止。 クルーズ2日目となる今日から「エーゲ海クルーズ」がスタート。 クルーズ船に乗り込み、アテネの外港、ピレウス港(地図、赤丸)を出港し、ミコノス島(地図、赤丸)に向かう。

ギリシャ地図066

1 ミコノス島

 17時にミコノス・タウンの中心に近い、小さな桟橋に着き、念願のミコノス島に上陸。青いドームを持つ教会と白い家並みが美しく「これぞミコノス島!」の風景(写真)が広がる。

ミコノス青教会
ミコノス島観光がスタート。最初の青いドームが「セント・ニコラス教会」 次いで訪れたのが真っ白な教会で、ミコノス島で最も有名な「パラポルティアニ教会」(写真)

ミコノス白教会

そこから狭い小路に入ると、おしゃれなカフェや土産物店が並びいい感じ。 海岸にある「ヴェニス」というシーフードレストランから、海岸の丘の上に風車が見えてくる。この「6つの風車」(写真)も有名で、全員で風車まで歩く。

ミコノス風車2

 風車の丘からの海岸の展望(写真)も素晴らしく、ミコノス島に来た幸せをかみしめる。

ミコノス海岸
 ガイドの説明はここで終わり、自由行動となる。地図を片手に、車の通れないような小路を歩く。買物の当てもなく歩いていると、小さな教会(写真)やホテルが出てきたり、美しい花に出くわしたりする。 
ミコノス街教会

迷路のような小路を歩いて、ようやく海岸通りに出た。 小さな桟橋に戻り、目の前に広がるミコノス島の風景(写真)を頭に刻みこむ。

ミコノス最後
 夕方、典型的なエーゲ海の島といわれるミコノス島観光を終え、クルーズ船に乗り込み、船中泊。

ギリシャ旅行 4 スニオン岬

 今日から3泊4日の「エーゲ海クルーズ」であるが、港湾労働者のストライキでクルーズは中止。その代わりにアテネ及び近郊の観光となった。出発前から懸念していたストライキのお蔭で、ロードス島観光が中止となったのが残念。

1 無名戦士の墓 衛兵交替式見学

ガイドの案内で衛兵交替式に向う。坂の多い小路をかなり歩き、「無名戦士の墓」に到着し、8人の衛兵が繰り広げる衛兵交替式(写真)を見学。衛兵の少し変わった制服と風変わりなステップを楽しんだが、モナコ等の衛兵交替式に比べると質素なセレモニー。 衛兵交替式の行われた後ろの建物が、ギリシャの国会議事堂。NHKテレビがギリシャのニュースを報道する時の背景が、この国会議事堂である。
スニオン衛兵2

来た道を引き返しながら「ギリシャのストライキの背景」を尋ねると、ガイドの返事「ギリシャの人口の20%が公務員。破綻した国家財政改善のため、政府は公務員に給料の1/3減額、年金受給者に年金の1/3減額と年金受給年齢を60歳から65歳に引き上げたため、公務員が怒っている。政府はこれまで公務員には甘かった。例えば、勤務時間内に職場に来ると、精勤手当てが支給されるという具合。公務員たちは国の最大の収入源が観光にあることを無視している。ストライキにより観光客を怒らせることが、今後のギリシャ経済に悪影響することを気付かないのはバカだ」 しかしこれまで如何に優遇されたとは云え、1/3も給料や年金をカットされたら、誰だっていや私だってストライキをしたくなるよ。

2 スニオン岬観光

 バスでアテネ(写真、赤丸)からスニオン岬(写真、赤丸)に向かう。

ギリシャ058

 スニオン岬に建つ「ポセイドン神殿」(写真)に到着。ガイドの説明「紀元前444年に建てられた海神ポセイドンを祀る神殿。アテネのパルテノン神殿より5年新しい。ポセイドンは最高神ゼウスの兄で、ポセイドンが海を支配し、ゼウスが天空と大地を支配した。 1810年、この神殿を訪れたバイロンが、石柱に『バイロン』と落書きを残している」 

スニオン神殿

ポセイドン神殿から見える海の色が抜群に美しい(写真)。 
 
スニオン海2

3 アクロポリスへの散策

 夕方ホテルを出て1㌔歩くと、アクロポリスの麓の広場に到着。アクロポリスの写真を撮る(写真)。 最終日がこのアクロポリス観光である。

スミオンパルテ

広場には果物屋台が並び、サクランボが美味しそう(写真)。値段は2,49ユーロ。 ガイドが「ギリシャの果物は美味しくて安い。売る単位は1kg」と言っていたのを思い出し、衝動買い。渡された1kgのサクランボのボリュームにびっくり。これが270円とはシンジラレナーイ! ホテルに持ち帰り食べると、とても美味しい。家内と二人で全部食べつくすのに、4日間もかかってしまった。

スニオン果物
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